第34話 火祭りは続き、猫は丸く……なる?
祭りの喧騒から離れた暗がりで、深く求め合うように口づけを交わし、強く抱きしめ合う。
やがて息切れを起こしたリーズロッテは、もう無理とばかりにジェラさんの肩口に顔を埋めた。
ジェラさんは低い声で楽しげに笑い、片方の腕でリーズロッテを抱きしめ、もう片方の手でリーズロッテの頭をくしゃくしゃと撫でてから、指先で髪を梳くようにして乱れを整えた。
「いま、すごくふわふわしない?」
触れ合ったせいで、体に直接声が響く。
笑いながら尋ねられて、リーズロッテは「はい……」と曖昧な返事をした。
我に返ると、顔から火が出るほど恥ずかしい。
(ふわふわ……ふわふわします! すごく!)
全身の力が抜けている。そのまま安らかに寝てしまいそうなほど、心地よい脱力感とぬくもり。まさにふわふわとしか言いようがない状態で、その頼りない体を力強い腕にしっかりと抱きしめられていることに、満たされる感覚があった。
「キスは初めてじゃないのに、全然違います。どうしてでしょう。しようと思って、しているからでしょうか……?」
なかなか、言葉にならない。
くすっと小さくふきだして、ジェラさんはリーズロッテの耳元に唇を寄せて囁いた。
「俺のこと、好きだからだよ。好きなひとと結ばれるって、幸せだろ? 俺はいますごく幸せ。リズには一生片思いかもしれないって、覚悟していたから」
「片思い……」
いつも自信満々のジェラさんの口から聞くと、不思議な言葉だった。そんなことを考えていたなんて、リーズロッテはまったく思いつきもしなかったのだ。
(わたくしは、ジェラさんが不安になったり、孤独を感じるような態度を……取っていましたね。取っていました。大きすぎる好意を、大げさな表現として真に受けないように身構えていました。期待して失望したり、傷つきたくない思いが強すぎて)
猫のジェラさんは、感情表現がはっきりしていて、いつだって好き嫌いも欲望もダダ漏れだった。そこに偽りがあるとは思わなかったが、信じて飛び込めなかったのは、リーズロッテが臆病だったからに他ならない。
他人と寄り添って生きていくことを、自分のこととして考えられなかった。
「すみません。自分なりに、少しずつジェラさんを受け入れていたつもりだったんですが、足りませんでした。これからは、不安にさせないようにしたいです。あなたがわたくしに居場所を作ってくれたように、わたくしの心にも、あなたの居場所はあります。何も、心配しないでください。たとえ離れることがあっても、あなたとわたくしは、心が通い合った仲です」
精一杯、正直に気持ちを伝える言葉を選び、リーズロッテは自分の胸に片手をあてる。
ジェラさんの顔を見上げて、目を見つめて最後まで告げた。
「あなたの場所は、ここです。ジェラさんの、片思いではないですよ」
ジェラさんは、大きな瞳を潤ませて「リズ……!」と湿っぽい声を上げた。
「俺のリズが可愛すぎて、頭が爆発しそう。両思いって、すごいね。いまの俺は無敵だよ。世界の七大陸を海に沈めることだって、できる」
「しなくていいですよね? してはいけませんよね?」
感極まったように声を震わせて、物騒なことを口走るジェラさんに対して、リーズロッテは思わず真顔になって聞き返してしまった。
「うん。しない。しないよ。でもね、ここで獣になってリーズロッテを押し倒すことを考えたら、世界を滅ぼすほうがマシだと思わない?」
「どうマシなんですか?」
「リズを傷つけずにすむから?」
本気でわかっていない様子で、首を傾げながら答えられる。
リーズロッテは唖然としながら、ジェラさんの頬に手を伸ばした。
自分の方をしっかりと向かせて、もう一度目を合わせて、こんこんと言い聞かせる。
「わたくしへの思いが余り余って、ジェラさんが大災害を引き起こして世界を滅ぼすことが、わたくしを傷つけないと本気で考えています? 倫理観が足りないという言葉では済まされませんよ? ジェラさんは、その気になったら、大災害を起こせてしまうんですよね?」
ジェラさんは唇の端からきらっと光る牙をのぞかせて、「うん」と笑顔で頷いた。邪気しか感じられない、凄絶な美貌に似合いの危うい笑み。間近で見ると、惑わされそうになる。
だが、ここで判断を鈍らせるわけにはいかない。
「世間的な意味合いで『世界を滅ぼすのは邪悪な存在』です。わたくしが、そういった手合に魔力を供給することはありえません。単純接触で流れ込んでしまうというのであれば、未来永劫ジェラさんと触れ合うことはありません」
「えっ。リズはもう、俺とキスしない?」
「しません。悪いこと言い出すジェラさんとは、絶対にキスしません」
憐れっぽい態度ですがられても、リーズロッテの決意は断固として揺らがない。
突き放した以上、早速今から厳しくしなければと、さっと立ち上がって、ジェラさんと距離を取る。
見捨てられた、とばかりに膝を抱えるようにして座り直したジェラさんは、沈みきった声で「俺はリズとあれもこれもしたいのに。まだ全然両思いの入口で、何も始まっていないようなものなのに」とぶつぶつ言っている。
さしあたり、リーズロッテはそのぼやきを聞かなかったことにした。
「ジェラさん、調子に乗るとすぐ『世界滅ぼせそうな気がする』って言うのを、まずどうにかしましょう。ジャスティーンではありませんけど、あなたを調子づかせてはいけないということは、わたくしにもよくわかります。楽しさとか、嬉しさの表現が根本的にずれているんです。平和の真逆方向へ」
リーズロッテが指摘すると、ジェラさんはふらっとよろめきつつ立ち上がった。
そして、拳を突き上げるようにしてのびをしてから、石床に足を踏みしめて「だってさぁ」と甘えたような口調で言う。
「俺には他に楽しいことが、なかったんだよね。いつかこのつまんねえ世界を滅ぼすぞっていうのが、俺の精一杯の生きがいとか目標で」
「いけません。そういった、ひとをひととも思わないような暴挙は……」
言いかけて、だめだ、とリーズロッテは鋭く悟る。
(ジェラさんに、常識的な問いかけが通用するとは思えません。「大切なひとが死んだら悲しい」「世界が滅ぶようなことが起きれば悲しむひとがたくさんいる」といった、普遍的な訴えすら)
なぜ人を殺してはいけないかと聞かれたとき「殺してもいいという理屈がまかり通れば、あなたもまた誰かに殺されるだろう」と言うことはできる。しかし、ことジェラさんに関して言えば「殺される前に殺す」とか「俺を殺せる奴などいない」と好戦的な方向に話を持っていかれてしまう危険性が、多分にあるのだ。
その感性を、もっと柔軟で優しいものに近づけてもらわねば……、リーズロッテには優しくできるのだから、世界平和だって願えるはずなのだ。強く責任を感じているリーズロッテは、壮大な夢を見る。
その気持ちを汲んだかのように、ジェラさんは朗らかに断言した。
「大丈夫だよ、いまはそこまで世界を滅ぼしたいとは思ってないんだ。この世界には、リズを喜ばせるものがたくさんあるよね? そういうもの、ひとつひとつ探して、リズに幸せをいっぱいあげたいなって思う。そのためにも、世界には続いてもらわないと困る」
おそらく、その回答に点数をつけることがあったら、とても低い数値になるとは思う。
だが、彼はきっと以前に比べて変わったのだ。その考えが変わったところは、盛大に褒めるべきとリーズロッテは心に決めて、笑いかけた。
「とても素敵だと思います。その目的のためでしたら、わたくしもあなたに魔力の供給を続けるのは、やぶさかではありません。二人で世界中のいろんなものを見たり、食べたり、楽しんだり。きっと、時間はいくらあっても足りませんね」
「うん! 一瞬も無駄にできない。行こう、リズ。今晩の祭りも、まだ続いているよ! 一緒に見よう!」
ぱっと明るい表情をしたジェラさんが、手を差し伸べてくる。
リーズロッテは、その手を取る。
(この力を持て余した大魔法使いさまと、わたくしがいつまで一緒にいられるかは、わかりません。時間の流れが異なる以上、いつか離れ離れになる日がくるのでしょう、でもそのときまでは)
繋いだ手を放さずに、共に生きていたいと願いながら。
「祭り……、そういえば、あの大きな人形を燃やすって言ってましたね。今から混雑したところに近寄っても見えるかわかりませんが、空から見ることはできるでしょうか」
駅からホテルまでの道を歩いているときに見かけた光景を思い出し、リーズロッテが考えながらそう言うと、ジェラさんは目を細め、唇をつり上げて笑った。
「いまの俺は、リズと情熱的に愛のキスを交わしたおかげで、すごく魔力があるから、なんでも言って。全部叶える。空から見たいなら行こうよ。俺につかまっていてね」
再びリーズロッテを抱き寄せて、窓枠から飛び立つ。
視界がさっと開けると、眼下に勢いよく炎を吹き上げている巨大な人形が確認できた。
吹き付けてくる風に、熱と灰ががまじっている。
リーズロッテはジェラさんにしがみつきつつ、じっと燃え盛る人形を見下ろし、心に浮かんだ疑問を口にした。
「あの儀式には、どういう意味があるんでしょうね?」
ん? と、ジェラさんはなんでもないように答える。
「あれ? かつて街を滅ぼさんとした恐ろしい魔導士を、力を合わせて追い返した逸話に由来しているんだと思うよ。魔導士を模した人形を燃やし尽くして、今日の平和を祝うんだ」
そうですかと返事をしようとしたが、リーズロッテは胸騒ぎを覚えて、念の為確認をすることにした。
「まさかとは思いますけど、あの燃やされている魔導士って……」
「俺! 俺だよー!」
心なしか、ジェラさんに似ているとは思っていたのだ。ローブを身に着けた雰囲気が。
リーズロッテの冷え切った空気を察したジェラさんは、めずらしく早口になって言い訳を展開した。
「誤解のないように言っておくけど、街を滅ぼそうとしたわけじゃないんだよ。ただ喧嘩をふっかけられて買ったら、辺りを焦土にしちゃって。犠牲は出てないんだけどね? あんな魔法使い野放しにしてはいけないって住民総出で襲いかかってきたから、俺は面倒になってすぐに退散したし。だから、一般人とは戦ってないし、負けてないよ?」
どうも「負けていない」がジェラさんにとっては大切なようだが、リーズロッテの心境としては「そこではない」といったところ。
「もしかしてと思うんですが、一応確認します。ジェラさんって、長生きする中で、世界中のこういった慣習や伝承に、なんらかの関わりを持っていたりしますか?」
大仰な異名をいくつももっていることも、気になっていたのだ。二つ名が、一箇所で量産されることなどないと思えば、それが意味をするのは彼が辿った道を知ることであり……。
「多少はね? 生きていれば喧嘩もするから、土地によっては俺憎しの言い伝えを残していたりもするみたいだよ。だけど、こう見えて俺だって、本当に悪い奴だなって思った相手以外には横暴なことはしていないからね? 俺、聖獣だよ?」
おそろしく疑わしいことを口にしていたが、リーズロッテはひとまず「聖獣」の呼び名を信じておくことにした。「横暴なこと」の自覚があるということは、横暴かそうでないかの区別をつけて行動する理性はあるのだろうと。
もちろん、この先それを否定するような悪どい事実が出てきた場合は、責任を持って追求するとして。
バチバチと人形が燃えながら崩れる音がして、ひとびとの歓声が夜空まで轟いている。
その光景を「綺麗ですが、ジェラさんが燃やされているというのは……」と複雑な心境で眺めていたリーズロッテであるが、いつしか眠りに落ちていた。
自分を抱きしめている腕が、とても温かくて、安心できるものであったから。
* * *
翌日は、リーズロッテの生家へ向けて、馬車での移動となった。
車内はとにかく賑やかである。えんえんと会話を途切れさせず、相手に負けじと罵詈雑言を並べ立てては応酬を繰り広げるジェラさんとジャスティーンのせいであった。
「あの二人、結局仲が良いですよね」
興味のなさそうな顔で見守っていたマクシミリアンが、アーノルドに声をかける。
「そうだな。俺とお前でも、あそこまで会話は続かない。あれで仲が悪いっていうのは無理がある。好きだとしか思えない」
「わかります。似た者同士で、趣味も合うんですよ。呼吸がぴったりです」
のんびりと言い合う二人の横で、年齢相応の姿を保ったリーズロッテは誰に味方することもできずに微笑を浮かべていた。
気遣うように、アーノルドが水を向けて来る。
「昨日の疲れは残ってない? 家に変えるのが面倒だったら、引き返してもいいよ」
「それは、朝食の席でも聞かれたと思いますが……。心配して頂かなくて大丈夫ですよ。今回の目的は、家族にいまの姿を見せるだけですから。学校をやめて家へ帰れと言われても、聞く気はありません。卒業しても帰る気はないです。でも、まだそこまでの話はしないと思います」
「そうだな。段階を踏んで、少しずつ接点を持てばいい。歩み寄りが無理だと気づいたら、その時点で断ち切ってもいいんだ。俺がとやかく言わなくても『聖獣』がそのつもりだろうし。リズを不当に傷つける者に対して、あいつは容赦ないだろ」
昨日の魔法戦は強烈だったみたいですね、とマクシミリアンが横から口を挟む。
和やかなな空気の中で、リーズロッテは「ジェラさんの攻撃魔法は、不当に攻撃をしてくる相手に対してだけなら、問題はないんですけどね」と答えた。。
(家族との関係は、どこまでが不当でどこまでが正当なのか、わたくしにも判断しにくいものがありまして……)
敏感なジェラさんが「リーズロッテをいじめているのか?」と敵愾心をむき出しにしないよう、どうにかおさえてもらわねば、と思う。いずれ離れることがあるとしても、今日はそのときではないとリーズロッテは考えている。
騒いでいるジェラさんへと目を向けてから、アーノルドに向き直り、笑顔で言った。
「わたくしにも気持ちの整理がついていない部分で、ジェラさんに出しゃばられてしまうと、まるく収まるものも収まりませんね。ここはひとつ、大人しくなっていただきましょう。ジェラさん!」
「なに?」
呼びかけると、ぱっと振り返る美貌の魔導士。
リーズロッテは、にこにこと微笑みかける。
その次の瞬間、ジェラさんは人間から猫へと姿を変えた。
「にゃあああああああ!?」“リズーーーーーー!?”
猫の鳴き声で、さかんに抗議をしているが、リーズロッテは聞き流す。
足元まで「にゃあにゃあ」と言いながら寄ってきた大きな猫を、膝に抱え上げた。
「家に帰っている間だけ、おとなしくしていてください。お茶を飲んだら、すぐに御暇しますから」
にゃあああああ、とジェラさんは恨みがましく鳴く。
その様子を見て、ジャスティーンが晴れやかに笑い声を立てた。
「いいざまだよ、猫ちゃん。目障りだから、ずーっとそのままでいればいいのに。ずーっと」
そしてまた、「にゃあ!」“うっせえな!”と、ぴょんとリーズロッテの膝から飛び上がったジェラさんと、不毛な応酬を再開するのであった。
当初の予定通り、リーズロッテは実家の伯爵家に長くとどまることなく、お茶を一杯飲んだだけで席を立った。
年齢相応の姿を取り戻したことに関して、両親は何かいいたげであったが、アーノルドたちの目もあって多くは語らず、ただリーズロッテに「体に気をつけて、つつがなく学生生活を送るように」と型通りの挨拶をくれた。
今回はそれで良しとして、リーズロッテは帰途についた。
* * *
付き合ってくれたアーノルドたちに礼を言い、寮に帰ったリーズロッテは、もはや我が家よりも慣れ親しんだ自室で寛ぐ。
寮に入るときは子どもの姿に戻っていたが、人の目のない部屋の中では年齢相応の姿になっていた。
「魔力の流れが変わったせいか、こどもの姿でいるほうが、最近は疲れるんですよね」
ベッドに腰掛けてしみじみと言うと、早速横に座った人間型のジェラさんが、肩を寄せながら「わかるよ」と囁きかける。
「俺は、子どもでも年齢相応でも、とにかく可愛い俺のリズをみんなに見せたくない気持ちもあるけど。どうせなら、これからは思い切ってその姿でいても良いんじゃないかな。まずは寝るときから。ほら、俺も接する面積が広いほうが、魔力の吸収効率がいいからさ、俺もこのままで」
子どもの姿より身長のあるリーズロッテと、人間型の自分で寝るべきだという主張である。
笑顔で聞くだけ聞いていたリーズロッテは「まさか」と言って、ジェラさんの手を取った。
すぐに、猫の姿に戻ってしまう。
「まだまだ、一緒に寝るときは、ジェラさんは猫ですよ。人間の姿でベッドに入ってはいけませんと、言いましたよね? ジャスティーンと約束もしていますよね?」
「にゃあああ……」
悲しげな声を上げる猫を抱きかかえて、リーズロッテはベッドに横になった。
ジェラさんは猫である。ただ、自分は疲れるから年齢相応の姿のままでいてもいいだろう、と。
抱きしめられたままの猫は、瞳に葛藤を浮かべて、リーズロッテを見つめた。
だが、目を瞑ったリーズロッテを前にして、手出しを諦めたように「うにゅ」と悲しげに鳴き目を瞑る。
いずれ訪れるときまで、いましばらく二人の関係は、このままで。
ほんの少しだけ、前に進みつつ。
聖獣さまの番認定が重い 有沢真尋 @mahiroA
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