女神の誕生

 ファーリスにわたしが魔王であることがバレるというハプニングはあったものの、まあなんとかなって、わたしは無事学園を卒業する手続きを終えた。そのままえいやっと魔物に占領されていたサラームの街を解放してあげたけれど、それを疑問に思う人はいない。

 ぶっちゃけ、わたしは配下にも記憶操作の能力を大盤振る舞いしてしまったので、人間社会の反応なんてどうにでもできてしまうようになっているのだ。おかげでわたしは魔王城にこもって一日中女神になる方法を考えることができた。

「でも、結局あの太陽を手に入れるのが早いのかなあ」

 わたしは瘴気の雲に開けた穴から見える太陽を見上げる。あれはこの世界を作った存在が、魔王の過度な増長に対応するために用意したマナの蓄積装置である。それゆえ、この世のどんな物質をも凌駕りょうがする力を秘めており、わたしがあらゆるものを超越した神になるためには不可欠なものだ。

 しかしながら、誇張抜きに世界を何万回も滅ぼせるほどの力をもってしてなお、あの太陽には手が届かないのだ。空を飛んで行っても、光の塔のてっぺんから少し上のところに見えない壁があって、そこから先に進めないようになっている。岩を蒸発させるような炎をぶつけてみてもびくともしなかったので、力づくで突破するのも無理そうだった。


 わたしはなんとか太陽に近づこうとしたり、太陽の代替となる物質を探したりと、いろいろと試してみたけれど、どれも空振りに終わった。ちょっと休憩したくなったので、森の中の温泉に浸かって疲れをとっていた。広々とした大自然の風景を独り占めしつつ、わたしはぽろっとつぶやいた。

「ねえ、アミナ。どうやったらあの壁を突破できるのかなあ」

「わたくしはその壁を実際に見たわけではございませんが、その壁が塔の高さと関係しているのであれば、その塔を伸ばせばよろしいのではありませんか?」

「それができれば苦労しないんだけど」

「その塔は聖女を支援するものなのでしょう?それならば、魔王であるお嬢様がより世界にとって脅威であると思わせればいいのでは?」

 確かにそうだ。魔王が本当にどうしようもないくらいに強大になってしまったときは、最後の手段として聖女にありったけの力を注ぎ込むようなシステムがあってもおかしくない。わたしは聖女でも魔王でもあるのだから、究極のマッチポンプによって世界の根幹たるあの太陽を手に入れられるかもしれない。

 そこまで考えて、わたしは一つ重大な問題に気が付いた。

「でも、それって世界をほとんど滅ぼす必要があるよね……」

 わたしが今まで通り事なかれ主義を貫く限り、魔王は直接の脅威たりえない。すなわち聖女に力を与える必要性は薄いのだ。真に魔王を排除する必要性を発生させるには、やっぱり世界滅亡の危機を起こすしかなさそうである。気は進まないけれど、しょうがない。なんとかうまく最終的な被害が少なくなるように計画を練っていると、アミナが不思議そうに言った。

「お嬢様に従わない人類を滅ぼすことに何の問題があるのでしょうか?」

「大問題だよ!?この件については、わたしの命令があるまで一切の行動を禁止するからね!」

 危ない危ない、うっかり世界が滅んでしまうところだった……







 *********







 さて、どうすれば平和的に人類のピンチを演出できるだろうか。とりあえず、世界中の人間を覚めない眠りに付ければいいのだろうか。わたしは適当にジャーミアの配下の魔術師ゴーストを数体放って、大きな街の住民を魔法で眠らせることにした。

 結果、やりすぎた。一体でよかった。人間どころか、あらゆる生命が一分もしないうちに深い眠りに落とされてしまった。客観的に見れば(客観視できる存在は残っていないけれど)、魔王の完全勝利に終わったと言えるはずなのだけれど、聖女の紋章には反応がない。どうやらもっと派手にやらなければならないらしい。


「人殺しはしたくないんだけどなあ」

 わたしが煌びやかな食堂で濃厚なフォアグラを食べながら悩んでいると、シェフをやってくれたジュナリが提案してくれた。

「マスター、過去の聖女に干渉してみるのはどうですか?実際に聖女に危機感を与えないとダメなのかもしれないですし」

「それは盲点だった!確かに聖女のわたしがぴんぴんしていたら助ける必要は薄いよね」

 言われてみれば当たり前だった。聖女と魔王の実力が完全に一致しているならば、わざわざ世界の仕組みを犠牲にするような最終手段に出る必要性は全くないではないか。


 そうとわかったらさっそくわたしは歴史を調べて、かつて世界の半分を支配した大魔王のいた時代を標的にすることにした。さっきの反省を踏まえて、まずは魔王城の中でも弱めの魔物を数体だけ大魔王のところにぶつけて、ちょっと様子を見てみることにする。さすがに歴代屈指の魔王と聖女の実力があれば、弱い魔物に対して負けたことすら自覚できないような大敗を喫することはないだろう……







 *********







 ここは大魔王の城。かつてはこの世界すべてを支配せんとするほどの栄華を誇っていた大魔王だったが、現在は聖女たちによる反攻を受けていて領土を縮小している。その現状が大魔王にはひどく不満なようで、眷属の魔物は八つ当たりを受けているようだ。

「バティ!あの目障りな聖女を今すぐに始末してこい!」

 そう命令されたクマムシの魔物は、それでも嬉々とした表情で城を飛び出して出撃していった。こんな感じで戦力を使いつぶすものだから、日に日に大魔王の軍勢は小さくなっている。


 そんなご機嫌斜めな大魔王の部屋に、一人の少女が入ってきた。少女は頭に大輪の花を咲かせ、うっすら緑色の肌をしているので、植物の魔物であることは明らかだ。

「何者だ!?」

 大魔王はその侵入者に対して剣を抜いて切りかかろうとしたが、すぐに体が痺れて指一本動かせなくなった。倒れこんだ大魔王に、少女は無表情で告げる。

「かつての最強の魔王だって聞いていたのに、わたしに近づけもしないなんてがっかり」

 少女が一歩、また一歩と大魔王に近づくたび、大魔王はゆっくりと目を閉じていった。




 同時刻、大魔王への対抗拠点の街ミブツァルの上空に、白く大きな竜が現れた。『予言の聖女』の宮殿をすっぽり覆うくらいに大きな影を落とすその竜の姿に、街中の人々はくぎ付けになっていく。すると、竜の体が光り、広範囲に白い光が降り注ぎ、木々や城壁が消滅した。

 それを目撃した多数の人民はパニックになり、ある者は必死に竜から逃げようと走り出し、またある者はその場にうずくまっていた。人類を守護するはずの騎士たちも、ただ呆然と立ち尽くしていた。

「一体何が……?」

 当代の聖女である『予言の聖女』は、太陽を覆うような図体の白竜を見上げて杖を構えた。すると、白竜はゆっくりと降下してきて、石造りの建物を吹き飛ばさんほどの暴風が街全体に巻き起こった。同時に、白竜の翼が太陽の光を収束させ、また増幅し、レンガを融かすような光線が四方八方にばらまかれた。

 聖女は、降りてくる白竜を食い止めるべく自らの杖を掲げて光の弾を放った。しかし、それを受けた白竜の体は微動だにせず、逆に倍の数の光弾が返ってきて宮殿に穴を空けた。

 迫りくる破滅の脅威に対して、聖女は戦意を失い、指を組んでただ祈ることしかできなかった。

「女神様、どうか我らをお救いください!あの災厄の竜を退け、人類に安寧を!」

 しかし無情にも白竜は街に降り立ち、それだけで城壁は木っ端微塵に破壊された。固有の結界に守られた聖女でさえ、その衝撃に倒れ、がれきに押しつぶされた。

 聖女は、その薄れゆく意識の中で、小さく呪文をつぶやいた。直後、再び猛烈な突風が辺りを覆いつくし、あたりに散らばっていたあらゆるものをずたずたに切り裂いていった。




 整然とした白い石造りの宮殿の最奥で、聖女はぼんやりと意識を取り戻していた。彼女はまだ破壊されていない宮殿を目にして、ほっと安堵あんどの息をついた。

『予言の聖女』と呼ばれる彼女は、破滅的な出来事が起こったときに、時を巻き戻して過去に戻る能力を持っていた。この力のおかげで、彼女はまるで未来を予知したかのように迫りくる危機を退けてきたのだ。

 こうして白竜の襲撃の一年前に戻った聖女は、どうにかしてあの惨劇を回避できないかと思考を巡らせはじめた。戦力の差を一年で埋めるのは絶望的にも思えるが、聖女はあきらめてはいなかった。どうにかして白竜を追い払えないか、そもそも白竜の出現を回避できないかを必死に考えた。

「わたくしは人々の希望ですから」

 自分を鼓舞するようにつぶやいた聖女は、しかし、信じられない光景を目にした。

「どうして街が襲撃されているの!?」

 ミブツァルの街は、無数の骸骨がいこつの魔物に襲われていた。狂乱状態の大通りで、淡々と人々の命を刈る大鎌。立ち向かう騎士たちを鎧ごと貫く槍。息をひそめる者を正確に射抜く矢。骸骨たちは機械的に、作業的に、人々の命を奪っていた。

 もちろんこのような出来事は聖女の記憶にない。街を滅ぼす存在が、過去にまで追いかけてくる恐怖というものは、聖女を絶望のどん底に叩き落とすのに十分すぎた。聖女は、襲われている人々を助けることもできず、ただその場に崩れ落ちた。もはや救いの手を祈ることさえできなかった。


 そのとき、空から白い光が降ってきたかと思うと、街の上空で拡散し、街全体に広がった。すると、骸骨の魔物たちはあっという間に消滅し、死んだはずの人々は息を吹き返した。そして街の人々はまるで何事もなかったかのように、平穏な日常を再開していた。

「これは一体……?」

 ただひとり聖女は、不思議な光が降ってきた空を見上げて、首を傾げた。







 *********







「聖女さん、ほんとごめん!でもよかった、なんとかうまくいって」

 かなりやりすぎたと反省しているけれど、とにかく目的は達成した。

 わたしは『予言の聖女』を精神的に追い詰めるために、演出重視で街を襲わせた。聖女の目の届かない場所では被害を出していないから見掛け倒しなのだけれど、聖女さんにはさぞかし恐ろしく映っただろう。本当に申し訳ない。


 そんなわけで最後に魔王らしいことをどどんと行ったわたしは、現在、クリスタルの塔の最上階に立っている。すぐ手の届く場所には、眼球が焼けるようなまぶしい星の地平線が広がっている。人々の暮らす大地も、瘴気の雲に覆われた魔王城も、人の目では見えないくらいに遠くに見える。

「よしっ」

 わたしはこの大きな太陽に触れた。刹那、世界の歴史すべてを蓄積したような知識と力がわたしに入り込んでくる。貴族たちの祈りが、聖女たちの願いが、わたしの魔力として、また知恵として再構築されていく。全体像をとらえることもできなかった太陽は、だんだんとしぼんでいって、光が世界から消えていく。そして、しまいには暗闇の中にぽつんとそびえる塔と、そこに立つわたしを除いては何も見えなくなった。地に住む生き物は、突然光を奪われて恐怖に囚われていった。

「光あれ!」

 完全に光の魔力を吸収できたところで、わたしはぱっと手を振る。飛び散った光の粉が集まっていって、がらんどうの星が形作られていく。同時に大地が揺れ、新しい世界が構築される。そして、わたしの手の魔王の紋章が消え去り、聖女の紋章もわたしから離れていく。目まぐるしく再生する世界を前に、わたしは雲でできた神殿にそっと降り立った。


 雲の椅子に座ってほっと一息ついたわたしは、魔王城の配下たちを次々と召喚していく。

「お嬢様、ついに成し遂げられたのですね」

 やってきたアミナが微笑んで言った。それに続いてクァザフ、リーシャ、ジャーミアと、次々にお祝いの言葉をくれた。

 ひとまず城を与えられた四人と魔石ゴーレムのリーダーたち、そして大精霊カムルを呼びだしたところで、わたしは彼らに告げる。

「わたし、これからは世界を見守る女神になろうと思うの。それで、みんなも協力してもらうから」

 わたしは魔王も聖女もやめたけれど、一匹で世界を滅ぼせるような魔物たちを野放しにするわけにはいかない。わたしの眷属けんぞくとして抑えられるようにするのは必須だろう。

「それじゃあ、ダンジョンコアの力を配るね」

 わたしはアミナに水、クァザフに土などと、これまで集めてきたダンジョンコアの力を分け与える。魔王と同じように外なる宇宙からいくらでも魔力を引っ張ってこられるようになったわたしにはもう必要ないものだからだ。そして、有象無象の魔物たちを統治し、世界のマナを安定させる任務を与えた。

「マスター、ダンジョン自体はそのままにするんですか?」

「いきなりなくしちゃうと影響が大きすぎるからね。コアのある場所まで侵入されなければ、そこまで問題はないと思うし」

 ジュナリたち魔石ゴーレムには、今まで通りダンジョンの管理を任せた。ダンジョンの下層にいる魔物たちは強大だけれど、外に出ていくことがないのならば世界のバランスを脅かすことはないだろう。

 そして、闇と光の力を与えたジュリミとカムルには、それぞれ魔王と聖女を選ぶ使命を課した。あれだけ複雑な紋章であっても、今のわたしになら簡単に制御できる。

「わたしのときみたいに問題が起きないように、二人には慎重に紋章を授ける相手を選んでほしいの。また世界の危機を招かないようにね。いい?」

「承知いたしました」


「ところで、お嬢様はこれからどうなさるのですか?」

 仕事の分配を終えたわたしに、アミナが突然尋ねてきた。わたしが答えに窮していると、アミナは即興で雲で椅子を作り出して、わたしを座らせた。ほかの眷属のみんなも、この天国のような場所に雲の宮殿を作っていく。あれよあれよといううちに、女神が住むにふさわしい立派な宮殿が完成してしまった。

「いや、わたしの生活よりも神様としての使命を優先してほしいんだけど……」

「お嬢様のお世話をすることが、わたくしどもの最も大事な使命ではありませんか」

 ああ、わたしは魔王をやめて女神になっても、眷属たちにかしずかれる日常から逃れることはできないようだ。







 *********







 地上の世界では、数百年に一度、聖女と魔王の争いが繰り広げられる。

「なんかもうちょっと魔王には頑張ってほしいなあ」

 女神はちょっとした気まぐれでちょっかいを出して、両者の実力が拮抗きっこうするように計らう。それがこの世界の秩序であった。








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