滅亡へのカウントダウン

「あいかわらず、神聖な場所だね」

 わたしは再びクリスタルの塔を登っていた。以前よりも塔はさらに高くなり、窓から上を見上げても頂上が見えないほどになっていて、空に輝く太陽に届くようにも見える。前回聖女の力を受け取った四十階層を通り過ぎたところから、塔の外壁の彫刻も、中を照らすランプの宝石も、一層透明感を増し、また芸術性を大きく進化させていた。わたしは糸のように細い宝石によって織物のような装飾が施された階段を上っていくと、空中に浮かんだ女の子たちに出迎えられた。

 透き通るような一枚の布をかぶった女の子たちは、その体がかすかに光っていて、精霊とでも呼ぶべき存在であることは明白だった。その数は十人ほどで、みんな幼くあどけない顔をしていた。

 精霊たちは魔王であるわたしを排除するのかと思いきや、無言でわたしを上の階に案内してくれる。結構上ったところで、わたしは外の景色が真っ黒になっていることに気が付いた。塔の内側は昼よりも明るいのに、外側は夜よりも暗くて、そのコントラストが幻想的でとても美しかった。下を見下ろしてみると、瘴気の雲が星を覆い、そこからこの塔だけが飛び出しているのがかろうじて見えた。そして、上にはどの宝石よりも強く輝く太陽が、魔王城のある星よりも大きく広がっていた。


 そこから少し上ったところで、現在の最上階にたどり着いた。薄い宝石の天井が格子状のレンズのように太陽の光を集めて、空間をまばゆく照らしていた。そして、その場所の中央には、まるで女神のように人間離れした美貌の女性が浮いていた。

 その女神は、純白の透き通った髪を携え、無表情のまま金色の瞳で空をじっと見上げていた。わたしよりも多くの金色の装身具を身に着け、圧倒的な魔力を放ち続けるその姿は、神々しい以外の感想を抱けないほどで、わたしはついぼーっと立ち止まってしまった。

 すると、女神がわたしのほうを向いて、ゆっくりとこちらに近づいてきた。目を合わせるだけで、無性にどきどきしてしまうほど、女神の美貌はすさまじい。わたしは一歩も動けないまま、女神が目の前にやってくるのを待っていた。

 女神はわたしの直前にたたずむと、わたしのほほをそっとなでて、頭に響くような声で告げた。

「聖女の紋章を持ちし者よ。なんじに大いなる力を与える。世界に混沌をもたらす魔王をたおし給え」

 えっ!?いや、魔王はわたしなんだけど!?


 わたしが我に返ってツッコもうとしたときには、すでに白い光が頭上から降り注いでいて、大量の魔力が体に流れ込んでいた。同時にこの世界に生まれて死んでいった森羅万象の記憶がわたしの中にフラッシュバックする。歴代の聖女の心の中、散逸し断絶した伝承、物言わぬ動物の記憶。あまりの情報量に、わたしは現実を認識できなくなってしまっていた。

 魔王城のコアで予行演習しててよかった!こんなのいきなり受け取ったら人格吹っ飛んでもおかしくないよ!

 精神も強化されていたおかげで、なんとか現実に戻ってこられたわたしは、ちょうど持ってきた『賢者の石』が女神の体に吸い込まれていくのを目撃した。わたしはあわてて手を伸ばしたけれど、遅かった。『賢者の石』は解けるように消え、女神の周りにうっすらと虹色のオーラが現れた。金色の瞳にも五色の膜が張り、まとう神々しさはさらに増している。そのオーラに触れた透明な宝石が、どろりとした液体に変わり、そして刺々とげとげしいオブジェに変わった。


 わたしはもうやけくそになって叫んだ。

「わたしは魔王だよ!?聖女の味方が魔王を助けてどうするのよ!?目の前にいる魔王と戦おうとはしないの?」

 本当はもう手遅れだって確信しているけれど、声に出して発散せざるを得なかった。今のわたしは魔王側の情報も聖女側の情報もほとんどすべて知っているのだ。予想外のことのほうが少ないくらいで、このあとどうなってしまうのかも大体見当がついている。でも、ちょっとくらい夢を見てもいいじゃないか。

 案の定、女神はわたしに敵意を見せることもなく、逆にへりくだった態度を見せてしまった。

「聖女を助けることこそが我が使命。その聖女がいかような人格かは関係ない」

 そのきらきらした表情がアミナたちわたしの配下のものとそっくりで、わたしはため息を吐いた。

「だったら、魔王の紋章だけでもなんとかできないの?」

「我、大精霊カムルはただの管理人にすぎない。創造主の作り出した世界の根幹に干渉することは不可能だ」

 女神改め大精霊カムル曰く、この世界を作り出した創造神はすでにどこかへ行ってしまって、魔王と聖女のシステムが残されたらしい。カムルは女神っぽいオーラを持っているけれど、あくまで聖女を補助するための存在であり、聖女を生み出す力はないのだ。

 さらに言うと、魔石ゴーレムから作られた『賢者の石』を取り込んでしまったカムルは、すでにわたしの配下になってしまっているみたいで、勇者ラーニヤと同じようにわたしに攻撃することができなくなっているようだ。なんてこった。


 まあ、それはともかく、カムルが『賢者の石』の能力を使えるようになったことで当初の目的は達成されたと言ってもいいだろう。ついでにわたし自身も物質を作り替えたり、マナから任意の性質を持つ素材を作り出したり、いろいろと好き勝手にできるようになった。

 そして、それだけの力を得たがゆえに、『賢者の石』のいまだ手が届かない本質が見えてきた。それは、現実世界の制約を無視して無からものを作り出したり、歴史を書き換えたり、思うがままに世界を作り替えることができる神の能力だ。おそらく、創造主がこの世界を作った力が残っているのだと思う。


 わたしはいろいろと起きたことを整理するために、一度瘴気の雲の下の魔王城に戻ることにした。新しい力を試してみたいというのもあるけれど、ちょっと不穏なことがわかってしまったのだ。

 わたしは金色のシャンデリアと紫のカーペットが目立つ部屋の立派な椅子に座って、アミナとジュリミの二人より目線の高い状況で話を始めた。

「まず最初に、どうやらわたし、本当に聖女だったみたいなの。聖女は魔王の敵だけど、これからもわたしに仕えてくれる?」

 衝撃的なことがありすぎて言いそびれたけれど、カムルの言葉やわたしの得た知識をもとに考えると、間違いなくわたしには聖女の紋章が埋め込まれている。いくらわたしが魔王でもあるとはいえ、聖女についていくなんて嫌かもしれないとちょっとだけ心配したのだけれど、アミナもジュリミも二つ返事でうなずいた。

「当然でございます、お嬢様」


 わたしはほっと安堵しながら、本命の相談事に入る。

「それはよかった。じゃあ本題だけど、どうも、わたしが聖女と魔王両方の紋章を持っているせいで、ちょっと不具合を起こしているみたいなんだよね。このままだと、遅かれ早かれ世界は瘴気に飲み込まれてしまいそうなの」

 そう、実は世界の危機だったのである!

 魔王の紋章は、この世界の外側から瘴気という形でマナを供給する機能を持っている。その量は魔王の実力に比例するため、強大な魔王ほど多くの魔物を従えられるようになっている。その一方で、聖女は魔王を適当なタイミングで倒すために準備された存在であるため、魔王に対抗できるほどの魔力が与えられる仕組みになっている。

 つまり、魔王でありかつ聖女でもあるわたしには、指数関数的に魔力が流れ込むことになる。これまでダンジョンを作るたびにわたしの魔力が大きく増加していたのは、単純にダンジョンコアの力もあるけれど、この効果も大きかったようだ。おかげでわたしは『賢者の石』を作るどころかその能力を使えるほどに魔力を得られたわけである。

 しかし、現状でも魔王城に瘴気をため込むしかないのに、これからどんどん流入量が増えるとなると、わたしと配下の実力は青天井に膨れ上がり、ちょっと破綻があっただけで世界が滅びかねない。例えば一匹でも魔王城の魔物が外に出てしまったらおしまいだ。

「そういうわけで、わたし、魔王と聖女をできるだけ早く辞めたいの。そのためには、神様になるのが早いんじゃないかって思っているんだけど、二人はどう思う?」

「わたくしはお嬢様がどのような道をお選びになってもそれを支えるのみです」

「私もマスターの意志に従うまでです」




 わたしはひとまず配下の魔物たちに力を分配して、瘴気の流入量を抑えることにした。一時しのぎでしかないけれど、これで数年くらいの時間は稼げるはずだ。

「はあ、思っていたよりもおおごとになっている気がするよ」

 わたしがため息をつきながらすっからかんの寮の自室に戻ると、なぜかそこに人がいた。聖騎士団長のファーリスだった。

 いや、なんでここにいるの!?

「サラームの街の奪還について話をしようと思えば、これはなんだ!?」

 ファーリスはどうやら魔物に占領されてしまったサラームの街を攻略するために、わたしに助力をお願いしようとしていたようだ。しかし、わたしが横着してドアの錠を開けてから転移してきたため、禍々しい魔王城へのゲートからわたしが出てくるところをばっちり目撃されてしまったのだ。大失敗である。

 まあ、ラーニヤに見つかったときと比べれば、今は対処方法もたくさんあるので、そこまで動揺はしなかったけれど、それでもわたしは内心あたふたしていた。

「えっと、サラームの街に向かう海路が確保できたんですよね?でもあと一日待ってください。学園を卒業する手続きが終わってないので……」

 わたしは頑張って話題をそらそうとしたけれど、ファーリスの顔つきはますます訝しげに変わっていく。

「いきなり謎の空間から出てきておいて、しらを切るつもりか?単刀直入に訊こう。セキラ嬢、お前は一体何者だ?」

 ぐふっ、一番訊かれたくないことをドストレートに言われてしまった。こうなったら腹をくくって真正面から受けて立とう。

「ファーリスさんはどう思いますか?わたしがムナーファカと同じく偽物の聖女だと主張するのであれば、それは違いますよ」

 わたしが指を鳴らすと、数人の精霊少女がふよふよとわたしの周囲に現れる。精霊たちはゆっくりと部屋の端に動いていくと、強固な光の結界が生み出された。

「いや、だが……」

「でも、ファーリスさんの想像通り、わたしが魔王であるというのも正しいんです」

 わたしはファーリスの心を読んで続ける。内心を見抜かれたファーリスは驚愕した表情でわたしの言葉を待った。

「わたしは魔王ですけど、世界を征服しようとか、滅ぼそうとか、そういう考えは一切なくて、ひっそりと暮らしていければそれでいいと思っています。ファーリスさん、ここはどうか、わたしを見逃してくれませんか?」

 実際のところ、今のわたしはファーリスの記憶を操作することもできるし、時間を巻き戻すこともできる。もちろんファーリスをこの世から消し去ることも容易だ。でも、そうするのはなんだか敬意が足りないように感じられて気が進まなかった。だから、わたしは思い切って真実を打ち明けて、率直にお願いすることにした。

 しかし、悩んでいたファーリスは顔を上げると、わたしに剣を向けた。

「俺は聖騎士団長だ。魔王が目の前にいるとわかっていて、見て見ぬふりはできない」

「ファーリスさん、わかってますよね?あなたでは魔王であるわたしを倒すことなどできないって」

 そのまま切りかかってきたファーリスの剣を、わたしは当たる寸前に指ではさんで止める。身体能力でさえ大差がついている状態で、ファーリスに勝ち目はない。わたしはそのままファーリスの体を軽く飛ばして、精霊の一人に受け止めさせた。


 わたしは最期まで魔王を睨みつけているファーリスにすこし感嘆しながら、傲慢そうな口調を意識して言った。

「ここは魔王らしく、三つの選択肢を与えましょう。一つ、このままわたしに負けて、魔王城の魔物に生まれ変わる。二つ、わたしの正体をさっぱり忘れて、これまで通り聖女と聖騎士の関係に戻る。三つ、わたしが魔王だということを誰にも話せなくなる呪いを受けて、一人でわたしに挑み続ける」

 本当はファーリスだって、わたしを倒せる存在はどこにもいないということを理解している。ただ、魔王を倒し、人類を救うために生きてきたファーリスにとって、魔王に一矢報いることさえできないことは死ぬよりも耐えがたいのだ。

 ファーリスは口を開かない。けれども、彼が何を考えているのかはわたしにはわかる。わたしはファーリスに黒い光を浴びせて、呪いをかけた。そして部屋を取り囲んでいた精霊と結界を消し去って、部屋を立ち去る。あとにはファーリス一人だけが取り残されていた。

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