東屋

増田朋美

東屋

杉ちゃんと水穂さんは、暑さしのぎのために、田貫湖の湖畔を散歩していた。ふたりとも今日は暑いなあととりとめのない話をしながら、のんびりと湖畔を歩いていたのであるが、水穂さんのほうが、ちょっと腰をおろしたいと言い出した。杉ちゃんがどうしようかと周りを見渡すと、近くに小さな東屋があったので、そこに座らせて貰うことにした。

「いやあ、暑いなあ。ほんとに暑いねえ。ちょっと休んだら帰ろうか。」

「そうだねえ。」

杉ちゃんと水穂さんがそういいあいながら東屋に入ると、そこにはすでに先客がいた。二人組の、ノースリーブの洋服を着た観光客と思われる女性であった。彼女たちは、それぞれ高級品と思われる水筒を持って、それぞれジュースとかコーヒーを飲んでいた。水穂さんが汗を拭きながら、

「今日はどちらからお見えになりましたか?」

と聞いても何を言ってるんだと言うような顔をして、返事もしなかった。

杉ちゃんは車椅子で、水穂さんは、そのまま東屋の椅子に座った。しばらく汗を拭いたりしていると、東屋に、おばあさんが現れた。一緒に、三人の女性もいる。彼女たちは、顔つきがよくにていることから、姉妹だと思われた。だけど、どこか普通の人とは違っていて、何か変なところがあるなあと思われた。

「すみません。」

と、先に来ていた女性観光客たちに、姉妹たちは声を掛ける。

「な、なに?」

女性観光客たちは、驚いたようで思わず怯んでしまった。

「水をください。」

姉妹の長姉とおもわれる女性が言った。

「うちの娘たちの相手をしてやってくれませんか?」

おばあさんがそう言うが、観光客の女性たちは、三人の姉妹の顔を見てばかにするように言った。 

「他人に飲ませる水なんかないわよ。」

「でも水をください。」

次女と思われる女性が言った。

「だからないものはないってば。あたしたちは自分だけで精一杯なの。それなのに、あんたたちに水を分けろなんて、そんな暇はないわよ!」

観光客がいうと、

「お願いします。」

と三女が言った。三人の姉妹たちは、どこか言い方が幼児のような言い方で、多分きっと重度の知的障害でもあるんだなと思われるような女性だった。

「だから、ないものはないって言ってるの!わからないの!」

観光客は彼女たちにきつく言った。それではと諦めたのか、三人の姉妹は、今度は杉ちゃんと水穂さんの方へ近づいてきた。

「水をください。」

と、長姉と思われる女性がいうと、

「ほらのみな。」

杉ちゃんがペットボトルのお茶を差し出した。長姉は、それを受け取って、ラッパ飲みするようにそれを全部飲んでしまった。

「私にもください。」

と、次女がいうと、水穂さんが、自分の水筒をあけて蓋にお茶を入れた。次女は、それを受け取ってガブ飲みするように飲んだ。

「あたしもほしい。」

と、三女がいうと、水穂さんは、また蓋にお茶を入れて彼女に渡した。彼女は、お茶を半分飲むといきなり蓋に指を入れて、ぐるぐると回した。そして水穂さんに向かって

「はい。」

と渡した。どうやら飲んでくれということらしい。水穂さんは、にこやかに笑ってそれを受取り、

「どうもありがとう。」

と言って中身を飲んだ。観光客たちが、はあ、あのひと何をやってるの、汚らしいなと言っても気にしなかった。

「おじさんはどうして着物なの?」

不意に長姉の女性が聞いた。

「いやあ単に、好きできてるだけで特に理由なんてないよな。そうだろう。」

杉ちゃんが水穂さんに目配せすると、

「そうだね。それに着物のほうが、暑くないし。」

水穂さんはそう答えたのであった。

「暑くないの?」

次女がそうきいてくる。彼女たちにとって、着物というものはまるで珍しいというか、殆ど見たことのないものなのだろうと思われた。

「何だ、着てみたいか?」

杉ちゃんがそうきくと、

「うん。着てみたい。可愛くなりたい。」

三女がにこやかに言った。きっと彼女たちはそう願っているんだろうなと言うことはわかったが、重度の知的障害のある女性たちが、着物を一人で着るのはどうなんだろうと思われることもあった。でも、水穂さんはそういうところはあえて口にすることはなく、にこやかに笑ってこう答えるのであった。

「そうなんだね。着物の着方は難しいと言われるけれど、今では、簡単に着られる着物もちゃんとあるから、それを選んで着てみるといいかもしれないね。」

「わあ嬉しい!」

彼女たちはとてもうれしそうに言った。

「あたしたちも着物が着られたら、どうなるんだろう?」

「きっとあたしたちも、変な目で見られることもなくなるよ。」

そういう彼女たちは、きっとどこかで知的障害があるというところから、つらい思いをしているんだろうなというところが読み取れた。多分彼女たちは彼女たちで、それなりに、自分たちが変に見られているということを感じているんだろうなということだろう。

「変な人達ね。ああいう人達ってさ、どっか怖い所あるじゃない。暗いところで、変なことを叫んだり、欲しいものがあったらキャーとかわーとか言って、なんか気持ち悪いよ。そういう人たちを相手にできるあの人達もまた怖いよ。」

「きっとなにか重大な事情のある人たちなんじゃない。あたしたちは、普通で良かったわね。何も無いってはっきりということができてさ。それで正常なのよ。あたしたちのほうが。」

二人の女性観光客はそういうことを言っていた。そして、あたしたちは関係ないと言いながら、そそくさと、東屋から出ていった。それと同時にザーッと雨が降ってきて、彼女たちの頭を濡らした。女性の観光客たちは、どうしてこういうふうに急に雨が降ってくるんだろうとか、文句を言いながら、東屋から走っていってしまった。きっと、屋根のある高級ホテルとか、そういうところで休めるのだろう。

一方杉ちゃんたちは、女性たちとおしゃべりをたのしんでいた。この女性たちは確かに、態度が子供っぽいし、きっと知的障害があるんだとわかるのであるが、望んでいることは皆同じであった。ちゃんと女性らしく、メイクもしたいし、おしゃれな着物も着たいし、恋愛もしてみたい、そういう感情を持っているのだ。だけど、それの表現ができないため、おかしな人に見えてしまうのだ。もし、彼女たちに、そういう表現することの素晴らしさを伝えてくれる人がいてくれたならどんなに楽だろう。

幸いにも雨は、30分くらいでやんだ。杉ちゃんたちは、僕らもそろそろ帰ろうかというと、水穂さんがそうだねと言って立ち上がった。女性たちは、なんだか名残惜しそうにしているが、おばあさんは、杉ちゃんたちに向かって、

「どうもありがとうございました。お礼に、受け取ってください。」

と、カバンを開けて、杉ちゃんたちに饅頭を一つづつ差し出したが、

「いえ、これは受け取るわけにはいきません。」

水穂さんは、そう断った。

「どうしてですか?だってうちの子達の相手をしてくれたんですもの。お礼の言葉も言いようがありません。」

と、おばあさんは言うのであるが、

「でも、僕らは、そういう身分の高い人間ではありません。あそこにいた、女の人たちよりも、僕らは低い身分の人間なんです。そんな人が、人助けをして饅頭をもらうなんてありえない話では無いですか。僕らは、そういうことは、できませんよ。たとえ人助けをしても、余計なことするなって言われて、追い出されるのが落ちですよ。」

水穂さんは、そうにこやかに笑って饅頭を返した。杉ちゃんも、

「これは受け取れないねえ。」

と言って、饅頭をおばあさんに返したのであった。

「それよりも、彼女たちを、なにか国家的な福祉家とかそういう人たちに託してあげてください。」

「では、御免遊ばせ。」

水穂さんと杉ちゃんはそう言って、にこやかに笑って、東屋をあとにした。三人の女性たちは、にこやかに笑って杉ちゃんたちが帰っていくのを見送った。






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東屋 増田朋美 @masubuchi4996

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