俺を惚れさせようと毎日嘘コクしてくる白雪先輩

安居院晃

俺を惚れさせようと毎日嘘コクしてくる白雪先輩

春馬はるま君……私、貴方のことが大好きなの」


 全ての授業が終わり、多くの生徒が部活動に勤しむ夕暮れ時。

 茜色の光が差し込む美術室に入った瞬間、室内にいた人物は俺に向かって、そんな誰もが憧れる告白の言葉を投げかけた。


 今日は初っ端にかましてきたか……。


 俺は一瞬心臓が高鳴ったことを悟られないよう平静を装いながら後ろ手で扉を閉め、告白をしてきた人物へ細めた目を向けた。


「今回は中々に良い嘘コクでしたね。ちょっとグッときましたよ」

「嘘だなんて酷いなぁ。本心だよ?」

「その言葉が嘘じゃないですか。俺は騙されません。嘘つきの白雪先輩に信じられる部分なんて一つもないんですからね」

「うわ……女の子に嘘つき呼ばわりなんてサイテー。女の嘘は笑って許すのが男だって何処かのコックも言ってましたよー?」

「漫画の話じゃないですか……」


 呆れを声音に乗せた俺は肩に掛けていたリュックサックを机に下ろし、椅子に腰かけた。


 彼女の名前は、白雪もみじ。

 2年生の先輩であり、二人しかいない美術部の部長である。

 亜麻色の艶やかな長髪と大きな茶色の瞳が特徴的で、学校内でも一番と噂されるほどの美人。おまけに成績も優秀ときたものだ。


 あらゆるものを持ち合わせていると言っても過言ではない白雪先輩は当然の如くモテており、入学から現在に至るまで、既に二百を超える告白を受けてきた……と言われている。正確なことは当の本人ですらも『多すぎて憶えてない』とのことなので不明。

 まあ、ようするに、この美人な先輩はとてつもなくモテるということだ。


 そりゃあ、この容姿。モテないわけないよな。


 俺は机に腰掛けたまま筆でペン回しをしている白雪先輩をマジマジと見つめながら、ここへ来る途中の自動販売機で買ってきたフルーツジュースのプルトップを開けた。


「あ、それ新発売のやつ?」

「そうですけど……んー、微妙ですね」

「え、なんで?」

「何というか、色々なフルーツの味がごちゃごちゃしすぎているというか……」


 上手く言葉に表すことができなかった俺は少し悩んだ末、手元の缶を白雪先輩に差し出した。


「飲んだほうが早いですよ」

「え──ッ!?」


 俺の提案に、白雪先輩は驚いた声を上げた。

 なんだ? 何をそんなに驚いて──はっは~ん? なるほどなるほど。はいはい、そういうことね。完全にわかってしまったよ。

 白雪先輩が驚いている理由を理解した俺はわざとらしく口元をにやつかせた。


「大丈夫ですよ、先輩。俺は間接キスとか全く気にしませんから。そういうのを気にするのは小学生までです。勿論、先輩も意識なんてするわけないですよね?」

「も、勿論平気だよ! なんたって私は先輩なんだからね。君より年上。何なら飲み口を舐めてもいいよ?」

「先輩。それは流石に引く……キッショ」

「なんで酷いほうに言い直したのッ!?」

「いや別に。神様からそっちのほうがいいってお告げが下りて来た気がしたので」

「絶対嘘ッ!」


 ぐるる……と犬のように唸りながら俺を睨む白雪先輩。

 それを受け流し、俺は彼女に向けて顎をしゃくった。


「ほら、飲んでみてくださいよ。不味くはないですから」

「……う、うん」


 見栄を張った以上、後戻りはできない。

 数秒の間、缶の飲み口を見つめていた白雪先輩は深呼吸を一つ挟み、やがて意を決して飲み口に唇を触れさせ、中身を喉に通した。

 時間にして数秒。

 缶から口を話した白雪先輩は微妙な表情を浮かべた。


「……いまいち」

「でしょ」


 俺が返すと、白雪先輩は両腕を組んだ。


「なんていうんだろ……色んなフルーツがミックスされてるのはわかるんだけど、邪魔な味があまりにも多いというか。これなら普通のパインだけで十分って感じ」

「完全に同意見です。元々の良さがないんですよね、これ」

「これいくら?」

「160円」

「うわぁ、ちょっと高め。それなら、私は別のジュース買うね」


 中々の酷評し、白雪先輩は缶を俺に手渡した。

 新作ジュースは期待外れ。味に対して値段は高めのため、購入は踏み止まるべし。クラスメイトの友人にはそう伝えておこう。

 俺が明日やるべきことを脳内のメモ帳に記入しながら、返却された缶を受け取り、再び飲み口に口をつけた──と。


「本当に気にしないんだね、春馬君」


 やや不満そうな声音と表情で白雪先輩は言った。

 自分は覚悟が必要だったのに、俺はいとも簡単に間接キスを受け入れていることが気に入らないのだろう。瞼は半分に下ろされ、声音にも納得いかない感情が宿っている。


「だから言ったでしょ。俺はそういうの全然気にしないって」

「いや確かに言ってたけど……変だよ? 学校一の美少女と呼ばれる私との間接キスに緊張も興奮も発情もしないなんて、凄く少数派だと思う。あ、もしかして我慢してる? もっとドキドキしてもいいんだよ?」

「発情とか言わないでもらっていいですかね……つか、自分で美少女って言わないでくださいよ」

「え? もしかして春馬君は、内心で自分のことを可愛いことを理解しているのに『私全然可愛くないよ~』って嫌味たらしくいう女の子のほうが好みなの?」

「いやそういうわけじゃないですけど。何て言うか、日本人の美徳である謙遜が足りないというか」

「私が謙遜すると嫌味になるでしょ?」

「凄い自身だな本当に!」


 ここまで自信家な人は中々いない。いや、実際可愛いし美人だから否定できないんだけどさ。

 もしかしなくても、この人は普段からこんなことを周囲に……。と、一瞬俺は思ったが、すぐにそれはないなと否定した。

 何故なら……。


「……あまりにもモテるから、白雪先輩は困ったことになってるんでしょうが」

「うぐ──ッ!」


 俺が頬杖をつきながら言うと、白雪先輩は胸を押さえて苦悶の声を上げ、明後日のほうを見た。


「い、痛いところを突いてくるね……後輩君。私の苦しむ姿がそんなに見たかったのかな?」

「なわけないでしょ」

「案外Sな一面もあるんだね……」

「話聞いてよ」


 俺が懇願する中、白雪先輩は瞳に強い後悔を宿し、ハァ、と大きな溜め息を吐いた。

 彼女が胸と瞳に宿している後悔。それが一体何なのかは、以前彼女に教えてもらった。

 主張をフル無視された腹いせに、俺はそれを再確認することにした。


「陰キャだった中学時代とは変わって高校デビューを飾ろうとして、頑張ったんですよね? お洒落を頑張ったところまではよかったけど、そこから小さな嘘を次々と重ねて、気がついたら、いつの間にか戻れないところまで来てしまった、と」

「仰る通りでございまする……」

「具体的にどんな嘘を?」

「好きな食べ物は洋ナシと生ハムのサラダとか、家では哲学書を読んでいるとか、休日は美術館や博物館を巡っているとか……そういう嘘をついてたら、いつの間にか知的で完璧で窮極な清楚系ハイパー女子高生って周りから認識されちゃった」

「何をめざしてそんな嘘をついたんですか……」

「一般家庭に生まれた教養があってド清楚な超絶美少女女子高生……」

「欲張りすぎでしょ」


 なんで清楚に『ド』までつけちゃったかな……ただの清楚で済ませとけよ、そこは。

 白雪先輩は既に二年生。今更ついた嘘の撤回などできるはずも現実に、彼女は半泣きになって机に突っ伏した。


 呆れてしまう。

 大きな見栄を張った結果、その見栄を維持するために多くの嘘をつかなくてはならない状況に陥ってしまったわけだ。話を聞いたところ、今の彼女は学校でほとんど本音で会話ができない状態。

 築き上げられたド清楚な庶民お嬢様というイメージを崩さないよう、常に気を使いながら人と接しているという。中には事情を知っている人がいるけど、それは極僅か。

 学校内での彼女は、全く本音や素の自分を曝け出せない状態なのだ。


 特に男子では、彼女の事情を知っているのは僕だけだ。

 嘘をつくと面倒なことになるのだから、最初から正直に話していればよかったのに……。


「ただ、先輩って結構詰めが甘いですよね」

「詰め?」

「はい。だから学校帰りに肉まんとピザまんを両手に持って頬張っているところを僕に見られたんですよ」

「それは忘れろと言ったはずだぞ貴様ぁ!!」


 僕との出会いは掘り返されたくない過去だったのだろう。

 白雪先輩はビシッ! と机に置かれていた筆を手に取り、その先端を僕に向けた。

 それに対して俺は『過去をなかったことにはできませんよ』と返すと、白雪先輩は『ぐぬぬ……』と悔しそうに拳を固めた。


「もう今更カミングアウトなんてできないよ……本当は野菜嫌いだし洋ナシなんて食べたことないし、家では漫画とアニメ三昧で、ド清楚どころかド級の平凡女子高生だなんてー……」

「ド級の平凡女子高生ってなに……ていうか」


 ちょっとだけ慰めてやるか。

 と、俺は半泣きになっている白雪先輩に言った。


「お嬢様設定はあれですけど、少なくとも平凡ではないでしょ。美人なことに変わりはないですし」

「え……春馬君……」


 一体何を感じたのか。

 ガバッ! と顔を上げた白雪先輩は感激したような表情を浮かべた後──正面から俺に抱き着いた。


「ちょ、先輩──ッ!?」

「私は今、感動してるよ。初めて後輩から優しさを向けられたことに」

「別に優しさを向けたわけじゃ……」


 若干声を上擦らせる。

 抱擁されたことで、伝わってくるのだ。白雪先輩の……女性の肉体の柔らかさと、甘い香り。衣擦れの音と吐息。

 異性のそれらが否応なく俺の心を乱し、脈拍を上昇させる。

 このままではまずい。俺だって健全な男子高校生。頭の中は欲求でいっぱいだ。自制が効かなくなってしまう……。

 

 変なことになる前に、離れないと。

 と、俺は白雪先輩の肩を掴み、強引に引き剥がそうとした──が。


「ドキドキしてるね」


 不意に、白雪先輩が俺の胸の中心に手を当て、耳元で囁いてきた。

 これまでとは違う、明確な『女』を感じさせる声色。誘惑しているようにも思えるそれが鼓膜を揺らし、俺はびく、と身体を一瞬震わせ固まった。

 そんな俺にニヤリと笑い、続ける。


「憶えてるよ。君、私にこう言ったよね。『嘘で塗り固められた人を好きになることなんてない』って」

「……言いましたけど」


 忘れるわけがない。

 だって、それが今の俺たちの関係の発端だ。

 二つの中華まんを頬張る白雪先輩を目撃した翌日、彼女にこの部室に連れ込まれた俺は彼女の秘密を知り、話の流れで先の言葉を言った。


 そして、それに苛立った白雪先輩が『明日から毎日嘘コクするから。私を好きになったら君の負けね。絶対に負かしてみせるからッ!』と啖呵を切り、今に至る。

 俺と白雪先輩の、嘘コクをするされるの関係が。

 その勝負をするために、白雪先輩と二人になるために、美術部に入ったのだし。


 忘れるわけないでしょ。そんな全ての発端となる台詞を。

 俺が視線で言うと、白雪先輩はニヤリと笑い、俺の胸に当てた手を少し動かした。


「じゃあ……この鼓動はなに? これってもしかしなくても、私のことを意識しているってことじゃないのかなー? 恋しちゃったんじゃないのかなー?」

「答えはNOですよ、先輩」


 俺は何とか感情を表に出さないようにしながら、首を左右に振った。


「男は異性に近付かれると必然的にこうなるんです。特に思春期の男なら、なおさらね」

「えー、本当かなー? 嘘はよくないよ?」

「先輩にだけは言われたくないですね……というか、早く離れ、て……」


 不意に至近距離から衝突した視線。

 普段はこれほどまでに近くから見ることのない、彼女の綺麗な茶色の瞳。内側で光を乱反射している二つの宝石に、俺の視線は磁石のようにひきつけられた。離せなかった。もっと見ていたいと、本能で思ってしまったから。

 

 綺麗だ。

 胸中で無意識のうちに呟いた──その時。


「ねぇ」


 白雪先輩が、真剣な声音で言った。


「春馬君は……嘘の言葉じゃ恋に落ちないんだよね」

「は、はい。そうですけど」

「なら、さ」


 少しだけ潤んだ瞳で、白雪先輩は提案した。

 あまりにも魅力的過ぎる、欲求をかき乱す提案を。


「言葉じゃなくて行動なら……キスなら、落ちる?」

「ぇ」

「私はいいよ。君としても」

「──ッ」


 驚きに声が出なかった。ジュースを飲んだはずなのに、喉がカラカラに乾いた。

 唾液を呑み込むと痛みが走る。


 する、のか? 本当に? 勿論経験はない。それはきっと白雪先輩もだろう。

 互いに初めての口づけを差し出すことになるのだ。この茜色の教室で。

 

 するべきではない。こんな遊びのようなことで、大切な初めてを失うのはよくない。とくに白雪先輩は。

 けれど、拒絶できなかった。欲求に抗えなかった。彼女の蠱惑的な唇に、魅力的な瞳から、視線を外すことができなかった。


 こうしている間にも、互いの距離は縮まっていく。

 数十センチから十数センチ、十数センチから数センチ、そして……数センチから、数ミリ。


 嗚呼、本当にここで……。

 と、頭の片隅で考えた──瞬間。



 キーン、コーン、カーン、コーン



「「──ッ!!」」


 最終下校時刻を告げるチャイムが鳴り響き、その音で、俺たちは互いに我に返った。

 そして、互いに顔を真っ赤にしながら、大慌てで身体を離した。


 あ、危ない……もう少しで、本当にやってしまうところだった。

 あの蠱惑的な唇と連結するところだった。愛を確かめ合う行為を、ここで……


 考えた瞬間、カッ、と顔に熱が宿った。

 それは白雪先輩も同じだったらしい。彼女は赤くなった顔のまま視線をあちこちに飛ばした後、


「あ、あはは!」


 わざとらしく笑い、机に置かれていた手提げ鞄を乱暴に掴んだ。


「あの、先輩?」

「あー、いや、何かごめんね? 変な空気にしちゃって。冗談だから安心して!」

「え、その──」

「あー、もう最終下校のチャイムがなったから帰らないと! 春馬君も遅くなっちゃ駄目だよ? 私は先に帰るから……鍵、職員室に返しておいて! じゃ、また明日ね!」


 俺に一言も喋らせる隙を与えず、大きな声で捲し立てた白雪先輩は引き留める間もなく部室を飛び出してしまった。

 あれは照れ隠しだ。

 自分の行動を振り返り、あまりの大胆さに悶えてしまったに違いない。可愛い人だ、本当に。


 俺は暫く白雪先輩の消えた扉を見つめた後、背凭れに体重を完全に預け、脱力した。

 そして、ハァ、と天井を見上げたまま深い息を吐き──。


「危ない……とっくに惚れてるのバレるところだった」


 熱が冷める兆しが見えない顔を片手で覆いながら、呟いた。

 思い出すだけで胸が高鳴る。加速した鼓動が減速しない。

 もしもあのまま、チャイムが鳴らなかったら……俺は本当に白雪先輩とキスをしていたのだろうか。

 熱に浮かされたまま、流れと雰囲気に身を任せ、永遠に記憶の片隅に残る思い出を作っていたのだろうか。


 おのれチャイム。邪魔をしおって。

 そう思ってしまう自分が確かにいた。


「はぁー……ドキドキした」


 部室の鍵を手に取り、俺は立ち上がった。


 ……好きになるに決まってるだろ。

 あんなに美人な人に毎日、嘘だとしても好きだと言われて好きにならない男がどこにいるんだ。特に男子高校生。性に多感。色恋と性欲で頭の大半が支配されている年頃だ。あれだけ異性を意識させられて、心が動かないわけないだろう。


 毎日破壊力がやばいんだよな、あの人。

 しかも、今日は大好きって言ったぞ。叫びたいよ。俺だって好きだって言いてえよッ! もう楽になりたいって思ってすらいるよ!


 けど、だけど……本心は明かさない。それは今じゃない。

 自分勝手だけど、今はまだ、この日常を手放したくないのだ。

 嘘でもいい。好きな人に毎日『好き』と言われるこの生活を、享受していたい。


「こう願ってしまう俺は傲慢ですかね……神様」


 暗くなった無人の廊下に出て、入口扉の施錠を済ませた後。

 俺は誰にも聞かれることのない、いるかもわからない神様に向けた独り言を零す。


 それは無音の空間内に少しだけ反響した後、空気に溶けて消え去った──。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 短編なので完結

 気が向いたら続き書くかも

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