俺のはなし

我那覇キヨ

俺のはなし

 破滅派企画 『ロスジェネの答え合わせ』 巻頭言より

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 就職氷河期が「ロスジェネ」と呼ばれ、社会問題として認知されるようになってから20年近くの時間が流れようとしています。本誌では「ロスジェネの答え合わせ」と銘打って、特定の世代がその後けっきょくどうなったのか? という問題について取り組みました。もちろん、ゆとり世代やバブル世代も参加しています。人生のヒリついた部分、ぜひ味わってください。

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 俺のはなしをしよう。

 大学進学のため上京した俺は、大学のサークルより先に、ゲームセンターとインターネット掲示板に夢中になった。ちょうど俺の受験の前くらいに出た『ジョジョの奇妙な冒険』の格闘ゲームにハマり、大学そっちのけで遊び惚け続ける生活を送っていた。


 この『ジョジョ』はすごいゲームだった。

 原作は週間少年ジャンプのカルト的人気漫画で、それを格闘ゲームを得意とするカプコンがゲーム化した作品だ。キャラクターの再現度はめちゃくちゃ高く、技の一つ一つが原作のシーンとリンクするという、細部に至るまで作り手が『ジョジョ』を愛しているのが伝わってくる作品だった。

 

 小学生の頃から『ジョジョ』が好きだった俺は歓喜した。(少ないこづかいで買い集める漫画を選ぶ時、漫画の貸し借りを考慮に入れた結果、クラスのみんなが持っていない『ジョジョ』を戦略的に選んだという経緯があったが、そういうセコい戦略はともかく、人は自分の選択を愛するようになるのもあって、俺は『ジョジョ』が好きだったのだ)


 だが、格闘ゲームの『ジョジョ』は原作らしさを意識し過ぎて開発されたため、対戦ゲームとしてのバランスはめちゃくちゃで、俺が遊び始めた頃になると、ゲームの上級者達からはそっぽを向かれていた、対戦の流行っていないゲームだった。


 だが、それが良かった。上級者が遊んでないから、俺のようなヘタクソでもちょっと練習すれば勝てるようになった。ネット対戦もない時代だったから「俺って結構強いかも」と勘違いできる幸福な世界が広がっていたのだった。

 

 インターネット掲示板を巡り、『ジョジョ』の流行ってるゲーセンを探る過程で、オフ会の存在を知る。

 

 オフ会と言ってもゲーセンで集まってゲームするだけのことなので、上京したての田舎者にとってもハードルは高くなかった。

 何度か通って対戦しているうちの顔見知りができて、一緒に飯を食いに行くようになる。飯を食いながら話す内容は、普段どこのゲーセンで遊んでいるのか、その店には他に強いヤツがいるのかみたいな、ゲームを中心にした内容だから多少コミュニケーションに難があってもなんとかなる。話の流れで今度そっちのゲーセン行くわ、みたいなこともあった。

 

 それで遊びに行くと、オフ会で知り合ったやつがその店の常連を集めておいてくれて、店の常連vs俺のような形で対戦になる。ボコボコに負ける時もあれば、ちょうど互角ぐらいの対戦ができる時もあった。


 格闘ゲームは、遊ぶ人によってプレイスタイルが違う。柏の承太郎使いは動きが速ぇとか、西武池袋線沿いのやつらは連続技が華麗でかっこいいとか。


 格闘ゲームの面白いところは、そういったプレイヤーの個性を表現できつつも、最終的には相手の体力をゼロにして勝利するというルールがあるところだ。相手のプレイスタイルが好きでも嫌いでも、相手に興味があってもなくても、筐体に座ってコインを入れたら対戦が始まる。上京したてで慣れない一人暮らしをしている俺には、このゲーセンの薄い繋がりが本当に助けになった。


 当時、東京にはゲーセンがいっぱいあって、店ごとに特徴的なプレイヤーが居て、それを巡って遊び回ってるうちに、友達は増えていった。

 時代もよかった。インターネット掲示板のおかげで他の地方との交流も盛んになりつつあったのだ。

 大阪から強いやつが来た時は、心の中で勝手に関東勢の看板を背負ったつもりで対戦していたりした。


 同じ掲示板に集まる連中で、ゲーセン雑誌『ゲーメスト』の主催するミニ大会に出たこともあった。

「どうせ俺たちで大会上位は独占だろうな」なんて調子に乗ってて、知らないやつに優勝をかっさらわれた時なんかはリベンジに燃えたりと、今振り返ると俺は自分の居場所を「あの掲示板に集う連中の中」に置いたり、「関東ジョジョ勢」に置いたり「デーボ使い」に置いたりと、その時々に応じて変化させながらも、楽しく過ごした。


 学校のクラスメートのような必要性に縛られた人間関係ではなく、自分で得てきた人間関係だという感覚が、体験を特別なものにしていたんだと思う。


 そうそう。

 これは俺のはなしとはちょっとズレるんだけど。

 雑誌主催のミニ大会は二回目があるはずだった。しかし、大会の日に出版社のビルにあるゲーセンに行ったら、ゲートが閉まってて雑誌社ごと潰れてたなんてこともあった。


「あらゆるサブカルチャーはその中心に雑誌の力がある」なんて言葉を聞いたことがあって、それはその通りだと俺は思う。

 

 ゲーメストって雑誌はゲーセンに集うゲーマーは全員読んでた。ゲーメストで新しいテクニックが紹介されるとみんなこぞって練習したり、雑誌に載ることで「プレイヤーの使う言葉」が更新されていくのを目の当たりにしたこともある。

 そのゲーメストを作ってる新声社が潰れてた。

 

 実は俺たち『ジョジョ』のプレイヤーは、ゲーメストに『ジョジョ』の記事がやたらと少ないことから、ゲーメストにはやっかみ半分、若気の至り半分で「ゲーメストはレベルが低い」みたいなことを言ったりもしてたんだけど、それでもビルが暗くなって入れない状況はショッキングだった。


 ゲーメストのファンがビルの前に来てショックを受けた様子で帰っていくのを見ると、俺のような生意気で世間知らずなガキでもちょっとは感じるところがあった。(俺は中の人が遅刻してるだけで遅れて大会開かれないかなってしばらくビルの前で待ってた。アホ過ぎる)


 この倒産は今振り返ると象徴的だなと思う。「雑誌が弱くなり、インターネットがその役割の中心を担っていく」ということの始まりだった。


 その後、1999年の9月には『ジョジョ』の続編が出て、ゲームバランスの刷新とキャラクターの追加が行われた。


 これまで俺のはなしを聞いてくれた我慢強い人なら「好きなゲームの続編が出るんだから、めちゃくちゃ嬉しいんでしょ」と思うだろうが、実際に体験するとそれは複雑な位相を持つめちゃくちゃに嬉しい経験だった。


 まず、操作感が変わったり、キャラクターの性能が変わったこともあって、それまで勝てた相手に負けるようになったり、その逆もあった。

 この「ゲームが変わることでそれまでの積み上げがリセットされる」という体験は、俺の今の性格にも強く影響を与えてると思う。


 要は自分が積み上げたものにこだわらなくなったし、他の人が積み上げたものに対しても、距離を置いて見れるようになった。

 上達するために遊ぶ。でも上達してできるようになったことに執着しない。これはゲームをやってないと身につかない感覚じゃないかなと思う。


 そのほかにも、自分の使うキャラクターを変えることで自分の考え方自体が変わるのを経験したりと、立場の変化が考え方に直接影響を与えるのを経験できたのはよかった。自分の感情や判断を絶対視しないようになったのも、多分ゲームのおかげだ。


『ジョジョ』の続編が出たので、ゲーセンも集客のため盛り上げようってことで、頻繁に大会が開かれるようにもなった。巣鴨プレイシティキャロット、新宿プレイマックス、吉祥寺プラサカプコン……普段行かないようなところに行くと、見たことないプレイヤーが居て、仲良くなったり、すげなくされたり「流行ってるゲームをやるってこういうことか」という楽しさがあった。


 夏前には、掲示板でよく話すメンバーが俺たちで全国大会開こうぜって言い出した。

 とは言っても、規模は小さくて。

 大阪、名古屋、東京で予選開いて、予選で勝ったチームは本戦トーナメントでシード権獲得。各地で予選1回、最後に東京で誰でも参加可能なトーナメント1回って程度ではあるんだけど。


 大会開くにあたっては、掲示板で古参のおっさんが「俺も大会に噛ませろ」って言ってきて、そのおっさんと大会の中心人物がモメた。


「大会開くなら、主催者は選手として大会に出ずに運営に回るべき」ってのがおっさんの主張だった。

 デカい規模で運営が回らないんならそれもわかるけど、俺たちの大会では実況も進行も持ち回りでやれる範囲だし、トーナメントもくじで決めるし、おっさんの主張は「なんとなくきちんとしてるように見せるため」以外の理由はなさそうだなってことで大会の中心人物が断ったら、おっさんはブチギレていろんな掲示板で俺たちの大会の悪口書いて回る荒らしおっさんへと変貌した。

 

 俺自身は大会の進行のため試合不参加でもいいかなと思ってたけど、すでにモメたあとでそのことを知ったので、時すでに遅し。


 おっさんはその後、別のゲームでキャラクター別掲示板など基礎的なデータベースサイトを作り、コミュニティの中心になってたので、面倒見自体はいい人なんだと思う。


 結局「全国」って言葉は外して大会は行われた。その夏の終わり、一ヶ月間、俺の部屋でルームシェアした名古屋のともだちとこれからどうする? って話をした。


『ジョジョ』は新作が出て一年経った。この夏までに色んなプレイヤーと出会ったけど、これからは減っていく一方だろうって。それよりはストリートファイターみたいな、格闘ゲームのメインストリームを遊んでいくべきなんじゃないかってのがともだちの主張。


 その頃になると『ジョジョ』は格闘ゲームの中では傍流も傍流で、上手いヤツらは遊んでないことが俺たちにもわかってた。「俺より強いやつに会いに行く」ってのは格闘ゲームブームの元祖、ストリートファイターⅡのキャッチコピーなんだけど、そういうことを求めるんなら『ジョジョ』はもう潮時だよなって。


 しかも当時『カプコンvsSNK』っていう格闘ゲームを作ってる二つの会社のコラボ作品が出ていて「カプコン派のプレイヤーとSNK派のプレイヤーのどっちが強いんだ?」みたいな話が盛り上がってた。車で言うならトヨタvsホンダみたいな。


 後にプロゲーマーになったウメハラの噂も耳にしたし「俺たちジョジョ勢でそこに殴り込んで行こうぜ」ってともだちは誘ってくれた。


 ともだちの言葉は「一緒にお互い大好きだったものを捨てて次に行こうぜ」ってことで、こんなこと言ってくれるともだちはなかなか得難いものなんだろうけど、俺はそれを聞きながら別のことを考えてた。


 夏休みが終わって大学が始まると俺は文芸サークルに入会した。俺が経験したようなことよりもっと面白い物語が、ゲーセンで稼働してるゲームの数だけあって、その物語は誰にも知られずに消えていく。それってすごく勿体無いなと思ったんだ。

 

 もちろん、当時こんなところに注目してるやつはほとんどいないから、ブルーオーシャンでチャンスがあるかも、なんて気持ちもあった。


 ただ誤算だったのは俺の文章力が俺の想定以上に低かったってことだ。文芸サークルでは、文学好きと毛色の違う俺を、戸惑いながらも暖かく迎えてくれた。行頭字下げやカギカッコ内の句点の処理など、小学校で習うような基礎さえおぼつかない俺の文章を根気強く直してくれたり、話のスジがおかしくないか事前にペアでチェックする仕組みなんかを作ってくれた。ありがたい。


 その頃俺は『ジョジョ』の月一定期大会をやりつつ(半年開催して、大会上位に入ると獲得するポイントを競う、ランキングバトル形式を、ゲーセンの好意で開かせてもらった)、文芸サークルでヘタクソな文章を書きつつ、ともだちから誘われたゲームをやるという生活だったんだが、どれも中途半端だった。


 俺の下宿先はゲーセン仲間の溜まり場と化し、家に帰れば誰かしらともだちが居るという生活で、毎日楽しかったが、このままじゃいけないんだろうなという焦りは少しづつ強くなっていった。


 ゲーセンではデカい祭りになると思われた『カプコンvsSNK』のデキがイマイチで、コケた。同じ時期に出た『ギルティギアゼクス』というアニメ調のゲームが、今までにゲーセンに居なかったオタク層を連れてきてくれなかったら色んな店がヤバかったんじゃないかなと思う。


 大学二年から三年の間の春休み、沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れていた俺はインドに一ヶ月、一人旅に行った。これはあんまり言ってる人を見ないんだけど『ジョジョの奇妙な冒険 第三部』が日本を離れ、香港からインドを経由して旅をするのは『深夜特急』の影響下にあると思っている。発表順も深夜特急の方が先。


 そんなわけでこの一人旅も、俺の中では『ジョジョ』と繋がっているのだが、まぁそんなことはどうでもいいか。


 初めての一人旅でインドはやはり難度が高かった。

 最初のホテルのチェックインで自分の英語力の低さに危機感を覚えた俺は作戦を練った。一人で部屋でシャワーを浴びたら流石に心細くなってきたのを覚えている。


 ベッドに腰掛けながら自分の状況を整理した。

 海外旅行スキルは皆無。装備は現金(日本円)と肩掛けバッグひとつ。バッグの中は替えのTシャツ2枚と空港まで着てきたダウンコートが入っている。なお当たり前だが当時はスマホもないのでGoogleに助けてもらうこともできない。情報面で頼れるのは持ってきたガイドブック『地球の歩き方』ぐらいだ。


 当時俺はこう考えた。

「仲間が必要だ。一緒に旅の中で成長していく仲間が。しかしインドを旅行している旅行者は熟練者が多く、俺のような素人を仲間には選んでくれないだろう。足を引っ張りまくるのも気がひける。仲間は素人がいい。しかし、素人の旅行者はおそらく仲間と共にインドに来ている。俺の入り込む余地はないだろう。となると、俺を仲間に迎えてくれるようなヤツなど居ない」


 うまい方法がないかと『地球の歩き方』見ていると、「日本人をカモにするボッタクリの旅行会社に注意!」というトピックが目についた。

 これだ! と俺は思った。


 ありがたいことに記事にはそのボッタクリ旅行会社の名前もバッチリ書いてあった。ホテルのボーイに場所を聞き、あとは作戦を立てる。


 作戦①ボッタクリツアーに参加してそこで弱者日本人同士集まる。

 作戦②ボッタクリツアーに参加して、他の日本人と共にツアーをキャンセルして一緒に行動する。ボッタクリから助けるので仲間として受け入れてもらえる。


 詳細は省くが、結果的に作戦②の形となった。俺はその時助け合った早稲田大学の旅行サークルメンバーと共に一週間ほど楽しく旅行をし、その間にインドでの旅に慣れた。


 リキシャの交渉や値引きの交渉も軽くこなせるようになったし、あるホテルでは一緒に行動してる日本人にマサラフード以外を食わせてやりたいからってことで、厨房を使わせてもらって自分で料理するようなことまでできるようになった。インドでは交渉をしてるうちに、よくわからない着地点に着くことがある。


 インドを旅するとカルチャーショックを受けるというが、俺にとってのカルチャーショックは「不恰好なことを受け入れれば大体のことはできる」というものだった。日本にいて、きちんとしているものばかりに触れていると「きちんとしてないことに対する圧力」に負けて、話す前から萎縮してしまう。


 この時の経験は、大人になってソーシャライズされた結果「図々しいかも知れませんけど、こういうのってダメですか?」くらいの言い回しになって、今も俺の背骨を支えてくれている。


 カルチャーショックを受けたからって格闘ゲームが強くなるわけでも、文章が上手くなるわけでもないので、日本に帰ってからもゲーセンと小説と大学の生活は、パッとしなかった。


『カプコンvsSNK』は2が出て、そのデキがめちゃくちゃよかったから一年前不発になってしまったデカい祭りが訪れた。公式全国大会は多くの店で予選をやっていたんだが、結局俺は予選の切符を取れなかった。ともだちの付き添いで本戦は見に行った。


 当時、カプコンの格闘ゲームでは三作品連続で同じ人物が全国大会を優勝しており、それがウメハラだった。「ウメハラを倒すため上京してフリーターやって毎日ゲーセンに来てる」みたいな人も俺が知るだけで三人は居たし、まぁなんというか……ちょっと変わってるけど熱い時代だった。


 プロゲーマーなんてものもなく、ゲームをやったって褒められることはないという時代に、それでもあえてゲームに打ち込んでる変な人たちがたくさん居たのだ。


 冬の夜にビルの窓を全開にしていても、まだ暑くてたまらないくらいゲーセンに人が集まって、血眼になってゲームをしている。終電で帰る時、汗とタバコの匂いで服がくさくて、身体は疲れてるんだけど、毎日楽しかった。


「彼らの物語を書かなきゃな」

「ゲームとは言え、そこに夢中になって努力することはこんなに尊いものを生み出すんです」


 みたいな、そんな主張が強い作品を書いては、上手くいかないなとボツにしたりチクチク直したりして時間ばかりが過ぎた。


 なんとか完成させたいびつな作品を俺は文藝賞に送ったが、まったく選考には引っかからず、その年は『ひとのセックスを笑うな』と『野ブタをプロデュース』が取った。俺の格闘ゲームは笑われもしなかった。


 なお、後年、プロゲーマーとなったウメハラ自身が自分の体験を漫画化している。その作品はゲーセンのちょっと変な人間関係も含めて上手く漫画家してあり、俺の「彼らの物語を描かなきゃな」という気持ちはすっかり成仏した。


 就活については……ちょうど就職氷河期ということで苦労した。俺はITの会社に行くことにした。ゲーム作る仕事がしたかったが、俺はそれまでゲームを作るトレーニングはしてなかったし、俺を育てるコストはIT会社に払ってもらうのがいいと思ったのだ。その後、見込みがありそうならゲーム会社に転職すればいいし、と。


 面接の前の履歴書はものすごく面倒だった。

 インターネットで検索したが、サークルで頑張った話などを書いていいんだなと誤解して、格闘ゲームをやって大会を開いてた話を書いて出した。就職のためにウソで取り繕うと、そのウソで落ちた時になんの学びもないと思ったのからだ。面接官からあからさまにバカにするような態度を取られたりもしたが、十回に一回くらいは面白がって採用されないかなというのを狙ったのだ。


 思惑は当たり、二十七社目で上野にあるIT企業で採用が決まった。

 就活では俺は病まずに済んだが、つらい勉強に耐えてきた人や、どうしても入りたい企業があった人は大変だと思う。俺は仕事を業界単位で選んだし、スキルを身につけたら転職することが前提の忠誠心ゼロだったので、落ちた時のダメージが低かった。ゲーセンであからさまに煽られたりすることにも慣れてたから、就活で落ちても自己肯定感が下がるようなことはなかった。


 就職してから最初の研修は初めてのプログラミングで大変だったが、大変なりに楽しかった。

 最初に褒められるような成果を出したのは、変わり者の先輩と二人部署になった時、先輩が酒で内臓がやられて突然ダウンして会社に入院先も告げずに入院してしまった時だ。業務要件もシステム仕様も先輩以外わからない状況だったので、俺は先輩の住所を総務から聞き出し、その付近の救急病院に電話を片っ端からかけたのだ。


「昨日入院になった○○の弟ですけど……」と。


 そうやって入院先を突き止めることができたので、なんとか引き継ぎを行って仕事を回すことができた。システム開発に必要なあらゆることをするのがシステムエンジニアの仕事なんだなと、その時学んだ。


 その頃のIT企業はどこも一緒だと思うが、一年目のひよっこを三年目と言って客先に常駐させるし、仕事はやりながら覚えろっていう、いい加減なものだった。とは言え、任されたプログラムも、類似の画面のソースをコピペしてから要件に合わせて手直ししていけばなんとかなるくらいに簡単な仕事が多かった。オブジェクト指向は対面レビューを受けながら実地で学んだ。


 俺は客に言われるまま、データベースの値を0~100の間で更新できる管理画面を作ったり、多少のボロを出しつつも都度ガッツで取り返してなんとか仕事をこなした。

 俺が働いていたのは株屋のシステムだった。インターネットで株を買ったり売ったりするシステム。その末端の開発を行うために俺は川崎近くのビルに毎朝出社していた。


 その頃の日本の株式市場を騒がせていたのはライブドア株だった。フジテレビの実質的な株主である日本放送の株を買い占める、と連日テレビで大騒ぎするホリエモンの会社だ。


 新興のIT会社として紹介されていたが、株に関して言うと、めちゃくちゃに分割を繰り返す、ゲテモノ系の銘柄だった。1株が30万株になるほど分割を繰り返しており、株数を保存するデータベースのカラムの桁数が足りなくなりつつあって、数値型から文字数型に変えるようなアップデートなんてのもあった。


「仕事増やしやがって」なんて先輩は言ってたけど、俺たちのような株のシステム屋は間接的にホリエモンに食わせてもらってたところがあるのかも知れない。


 テレビで見るホリエモンの不遜な態度に怒る人もいたが、上の世代へ反抗する俺たちの姿を見るようでファンもついていたように思う。ある種テレビも巻き込んだショーができていたように、俺には見えた。


 毎日のようにテレビで見かける名物社長が仕掛ける祭りに、ライブドア株を持つことでより深く参加できてるような気持ちがあったんだろう。ライブドア株を保有している人は多かった。値段も手頃だったし。


 2006年の1月にライブドア本社とホリエモンの家に強制捜査が入った。翌日ライブドア関連企業の株価は一度大きく下げるが、所詮は一企業の不祥事に過ぎないと、市場全体の影響は限定的だった。しかし、そこで起きたのが、マネックス証券によるライブドア株の代用掛け目の変更だ。

 

 なんのことかわからない読者のために簡単に信用取引の説明をしよう。株には現金で株を売買する現物取引と、証券会社に入金した金を保証金にして、元手の3倍まで売買できる信用取引がある。


 要するに100万円しか元手がないと現物取引なら100万円までしか買えないところ、信用取引なら300万円まで売買ができるのだ。ちょっと考えればわかるが、100万円のものが105万円に値上がりするよりも、300万円のものが305万円になる方が容易い。そんなわけで、株で早く大きく儲けたい人は信用取引に手を出すようになるのだ。


 で、この信用取引にはもう一つ元手を増やす方法がある。それは持っている現物株をその価値の80%の現金入金とみなす、というものだ。要するに100万円のトヨタ株を持ってたら、100万円の80%の3倍で、240万円まで取引できる。ライブドア株は祭りに参加するためのショバ代として長期に保有してる人も多かったから、その分を寝かすのではなく信用取引の元手にして、3倍までなんてギリギリじゃなく、1倍くらいで安全に運用しようってので信用取引口座を開いてる人も居た。


 で、さっきの計算式に出て来た80%という数字。これがそのライブドアに強制捜査が入った翌日にマネックス証券が変更した代用掛け目だ。変更後の数値は0%。つまり、ライブドア株をいくら持っていても、信用取引の証拠金にはなりませんよ、ということだ。


 このマネックス証券の突然の対応に「証拠金割れが起きて売りが殺到するのでは?」とか「ここまでするとは、ライブドアがつぶれるだけの材料をマネックス証券は知っているのでは?」などといった投資家の不安が高まり、市場がパニックを起こした。様々な銘柄で売りが殺到し、取引所全体が緊急措置で取引停止になるし、ライブドア株は連日ストップ安となり、二ヶ月後には上場廃止まで決定してしまった。


 この一連の騒動をライブドアショックと言うが、引き金を引いたマネックス証券のせいだという意図を込めて、マネックスショックと呼ぶ人もいる。


 さて、すでに勘の鋭い読者なら気づいていると思うが、俺がちょっと前に作った0~100の間でデータベースの値を更新する画面。あれがこの代用掛け目の変更画面だ。俺はきちんと仕事をしたので値に0を入れた場合のテストも、システム稼働中の昼間に変更した場合のテストも行っていた。

 

 データベース変更後、即座に顧客の証拠金の再計算が行われることもテストで確認している。運用時にテスト結果を確認したくなった時のため、テストパターンも明確に、エビデンスも見やすく残したのも俺だ。システム屋として、日々の生活費を得る仕事としてやった。


 俺にもう少し知識や経験があれば「この数字を一気に変えてしまうと投資家への影響が大きいため80→50、50→20と段階的にしか下げれない画面にするのはどうでしょうか? 加えて、一度変えたら一日経つまで変更できない仕様にするのはいかがでしょう」みたいな提案ができたかも知れない。


 当時の2ちゃんねるなどのログなどは今でもネットで見ることができる。そこでは財産を失った人の生々しい記録や、どこそこで電車が止まったなどの情報も載っている。代用掛け目変更の決定をしたのはマネックス証券の社長だし、俺はその時に使う画面を作っただけだ。だから俺には責任はない。ないことになってる。起きたことでたとえ人が死んでいたとしても。


 俺の仕事に過失は無かったが、だからと言ってあの騒動の一翼を担ってしまったという意識はある。


 ドイツのアイヒマンは自分の罪を問われた時、ユダヤ人の強制収容所までの輸送計画を担っただけだ、と語ったそうだ。オッペンハイマーは自分の作った爆弾が何をもたらすのかを正確に把握した上で原爆を作り、戦争後は核兵器反対の立場となって、それまでの功績を投げ捨てて活動した。


 なにもアイヒマンやオッペンハイマーと俺を比べるわけじゃないが、この二人の間の振れ幅の中に人は落ち着くんだろう。


 このことが原因ではないが、俺は会社を辞めてフリーのエンジニアになった。

 俺は証券関連の仕事に関わるべきではない……と思った時期もあったが、結局は今も証券業界の会社でシステムを作っている。


 もし仮想通貨アプリで年を跨いだ際、前年分の税金を仮計算して出金を促すダイアログが出ることがあったら。

 それは俺のようなエンジニアが、なんとか罪滅ぼしをしようとしたあがいた結果なのだと思っていただけたら幸いだ。

(税金は年明けまでの損益で計算するが、納付は3月だ。この期間に大損すると税金が払えない事態が起きる)


 ここまで俺のはなしを辛抱強く聞いて「この人は遊んでばかりで何事もなし得ず、結局は巨大な構造に利用されるだけの存在だった」みたいな感想を持つ人もいると思う。


 実際、俺は遊んでばかりだった。

 ゲーセンのことを小説に書いている時「ゲームと言えども人が真剣勝負で競い合う姿は美しい」みたいなことを書いていて、なんかしっくり来ないよなと思ってた。

 今ではわかる。

 たいしたこともせず遊んでいる中に、俺の青春はあった。何事もなし得なかった日々が、空回りの情熱が、時を経て思い出すだけで心を安らかにしてくれる。プロゲーマーなんて職業がなかった頃、ともだちが自嘲気味に「ゲームじゃ頑張っても意味ないんだよな」と言っていたことを思い出す。当時の俺がどう答えていたかは覚えてないけど、今なら自信を持って言える。

「でも俺は楽しかったよ」と。


 これは日本初のプロゲーマーウメハラが、プロゲーマーという職業を作り出した物語の、その視界に入らないほどすみっこの方の物語。

 それが俺の青春。

 勘違いを原動力に、何事かを成し遂げるわけでもなかった物語。

 細部に覚え違いはあるかも知れないが、楽しかったことだけははっきりと覚えてる。


 だからどんな形であっても、息子も青春を味わってくれたらいいなと、スマブラで一緒に遊びながら思う。ほぼ互角になるくらいに強くなった息子に、今度はスト6もやってくれないかなって、パッドを二つ買ってある。


 一緒に遊びながら、楽しむ姿を見せられていればいいなと思う。

 俺は今日も、奇声をあげながらボタンを連打して、勝った負けたに大騒ぎする。

 これがなんにもなりはしないけど、楽しい。俺にはそれで充分だ。こういうのを人間讃歌って言うんだろ。『ジョジョ』のテーマも人間讃歌だ。


 どうでもいいって?

 そうだな。俺もそう思う。

 次はあんたのどうでもいい話を聞かせてくれ。

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