第26話

 鬼狩りとの戦いが終わって、一か月が過ぎた。

 拓哉と唯菜は、家に新たな住人を迎えていた。

「きょ、今日からよろしくお願いします!」

 亜耶香がそう言ってぺこりと頭を下げる。

「こちらこそよろしく。如月さん」

「亜耶香。いいから荷物運んで。ぐずぐずしてたら日が暮れちゃうでしょ」

「は、はい!」

 亜耶香の荷物が入った段ボールを、拓哉たち三人は手分けして家に運び入れていく。

 拓哉たちは朝一から引っ越し作業を行っていたが、唯菜の言うようにすでに日暮れが近い。

 これほど引っ越しに時間がかかっているのは、ひとえに拓哉たちの家の立地が悪いからだ。

 拓哉たちの家は山の中腹にあり、車が通れるような道はない。そのため拓哉たち三人は、麓から家までの山道を、段ボールを抱えながら歩いて上らなければならなかった。しかも、段ボールをすべて運ぶには、三度の往復を必要とした。

 亜耶香のアパートから山道の入り口までは、アパートの大家である美絵が軽トラックで運んでくれた。美絵の手助けがなかったら、今頃とっくに日が暮れていただろう。 

「ここが如月さんの部屋だ」

 拓哉はかつて両親が使っていた部屋の一室へ、亜耶香を案内する。すでに両親たちの荷物は拓哉と唯菜が整理し、部屋は空き部屋になっている。

 鬼狩りとの戦いが終わった後、拓哉たちはみんな深手を負っていたが、一週間もしないうちに全快した。拓哉の腹も、唯菜の背中も、亜耶香の脚も、今は綺麗さっぱり治っている。傷跡が残ることもなかった。

 亜耶香曰く「鬼なら普通それくらいの早さで治ります」とのこと。

 拓哉と唯菜は、鬼狩りとの戦いの後、生えた角を戻そうと、亜耶香に色々とを聞いたが、何をしても角は消えてくれなかった。このままだと日常生活に支障が……と困り果てていたが、丸一日経つと、自然に角は消えていた。拓哉は心底ほっとしたものだった。

 そもそもどうして鬼の角が生えたのか――。

 美絵にその話をすると、拓哉たちの鬼の血が目覚めたのだろうということだった。

 どういうことかと言えば、鬼と人間のハーフである拓哉と唯菜は、人間と鬼の血が混ざりあった存在。普段はおそらく人間の血が優位に働いていて、鬼の血はほとんど休眠状態にある。けれど、亜耶香の血に触れたことで、それが刺激になって鬼の血が活性化――言わば目覚めて、鬼の姿になったということらしい。

 一日経って鬼の角が自然に消えたのは、鬼の血がまた休眠状態に入ったからではないか、と美絵は言っていた。鬼の角が生えて以来、拓哉たちの回復力は格段に上がっていたため(稽古で体を酷使しても、すぐに回復するようになった)、半休眠状態と言うほうが正確らしいが。

「――うんしょ、うんしょ――」

 段ボールを運ぶ亜耶香を目で追っていると、

「お兄ちゃん! よそ見してたら転んじゃうよ!」

 唯菜が目ざとく注意してくる。

 そう言えば、美絵に鬼の血の話を聞いたとき、ふと気になって、亜耶香につい目を惹かれるのも鬼の血が関係しているのか、と尋ねたんだった。拓哉の中にある鬼の血が、鬼である亜耶香に惹かれているのではないかと考えたのだ。

 美絵はにやにやと笑って「さあ、どうなんだろうねぇ」と言って、はっきりした答えを返してくれなかった。その場に一緒にいた唯菜は、処置なしとでも言いたげに首を横に振り、亜耶香は「あわわわっ――」となぜか慌てた様子だった。

「亜耶香。この段ボールはどこに置けばいい?」

「え、えーっと……ここでお願いします」

「りょーかい」

 鬼狩りとの戦い以降、唯菜が亜耶香に少し優しくなった気がする。

 あの戦いで唯菜が助かったのは、亜耶香が機転を利かせて唯菜に血を与えたからだ。唯菜にもそのことは伝えてある。

 亜耶香は、瀕死の状態の拓哉が自分の血に触れた途端に回復するのを見て、ひょっとしたら――と考えたらしい。鬼の血が目覚めて云々――といった細かいことまでは考えていなかったそうだが、唯菜を救ってくれただけで十分である。

「あと少しね。これなら日暮れまでに何とか全部運べそう」

「そ、そうですね!」

 亜耶香が拓哉たちの家で一緒に暮らすことになったのは、今後も亜耶香を襲ってくる鬼狩りが現れるかもしれないからだ。そのときに亜耶香一人だと危険だと思ったのである。拓哉たちと一緒にいれば、また三人で鬼狩りと戦うことができる。勝率も上がるはずだ。

 一緒に住まないかと誘ったとき、亜耶香は「……少し考えさせてください」と言って踏ん切りがつかない様子だった。色々と考えたいこともあったのだろう。

 誘ってからしばらくしても返事がなく、亜耶香と一緒に住むのは諦めるしかないか……と思っていた頃、亜耶香から「い、一緒に住んでもいいですか」と返事をもらった。それがちょうど一週間前のことだ。

「――ふぅ。これで最後っと。お疲れ~、お兄ちゃん、亜耶香」

「お疲れ」

「お、お疲れ様です!」

 最後の段ボールを家に運び込んだ。窓の外を見れば、空は深い紫に染まりつつある。何とか夜までに運ぶことができてよかった。

 唯菜が額の汗を拭って、

「段ボールを開ける前に、一休みしない? アイスでも食べて」

「ア、アイス!? 食べます!」

 亜耶香が目を輝かせている。

 冷凍庫には、昨日の稽古終わりに買ったアイスが入っていた。亜耶香に内緒で買いたいと唯菜が言ってきた、ちょっと値段が高めのカップアイスである。唯菜が高めのアイスをおねだりしてきたのは初めてだったので、なぜだろうと首を傾げていたのだが、なるほど――アイスが大好物の亜耶香のためだったのだ。

 唯菜は唯菜なりに、命を救ってもらったことに感謝しているのだろう。

「ん~! 美味しいです!」

 亜耶香がとろけるような笑みを浮かべている。

 唯菜は彼女を一瞥してから、満足そうな顔で自身のアイスを食べ始めた。

 ……父に酷い言葉を浴びせてしまった罪悪感は、今も拓哉の中に残っている。

 どうしてもっと父と向き合い、話をしようとしなかったのか……。

 後悔をしない日はない。

 だけど――、

「お兄ちゃん? アイス食べないの?」

 唯菜がスプーンを口に咥えながら小首を傾げる。

「拓哉さん! 早く食べないとダメですよ! アイスは鮮度が命ですから!」

 亜耶香がスプーンを顔の横で振って、ちっちと生徒を窘める先生のような素振りを見せる。亜耶香はアイスのことになると、態度が大きくなるのだ。

 拓哉はアイスを一口食べる。

 ――だけど、両親への罪悪感があるからこそ、今という時間が、以前よりも少しだけ尊く映る気がする。

 ――かけがえのない時間が目の前を流れているのだと、強く意識できるようになった気がする。

「……うん。美味いな」

「ですよね!」

 亜耶香がテーブル越しに身を乗り出してくる。

「ちょっと亜耶香、ちゃんと椅子に座って食べなさいよ」

 罪悪感に救われた――はっきりとそう言える日が来るのかは分からない。

 そんな未来が来ることを願いつつ、拓哉はアイスを口に含んだ。

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人鬼乱戦 まにゅあ @novel_no_bell

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