第25話
「きゃははは! いいねいいね! 最高!」
レイナは剣を幾度も振るって疲れたのか、剣をわきに置いて地面に尻もちをついている。
「何だ、その生意気な目は! 碌に動けもしないくせに、目つきだけは一丁前ってか」
レイナはふらっと立ち上がると、蹴りを繰り出してきた。
拓哉は何も抵抗できずに宙を舞い、地面を転がった。手から刀が零れ落ちる。
「けっ! 雑魚どもは、レイナが休んでる間、仲良く地面でも転がってろ」
「――た、拓哉さん!」
顔を上げると、すぐそこに亜耶香がいた。下半身を引きずってやってくる。
「酷い……」
亜耶香が拓哉の体に目を向けて言う。
そう言う亜耶香も、血塗れの太ももがすごく痛そうだったし、何度も強く蹴られたためか、全身に擦り傷や切り傷がたくさんあった。
「……ごめんなさい。私のせいで……私を守ろうとしてくれたばっかりに、こんなことになってしまって……」
それは違う、と拓哉は言いたかった。けれど、口が上手く動かなかった。さっきから体がすごく寒い……。
亜耶香が拓哉の手を両手で強く握った。彼女は涙を流していた。
「……私、気づいたんです。拓哉さんや唯菜さんとの時間が、かけがえのないものだったんだって。二人との時間は、とても楽しかったです。……これからも、二人と一緒にいたいなって。だけど、私が……私が、弱かったから……。私のせいで、二人は……」
拓哉は、レイナに蹴られて傷だらけになった自分の手を、最後の力を振り絞って、彼女の頭の上に持っていこうとした。そして頭を撫でてやろうと思った。そうすれば、拓哉の今の気持ちが伝わるだろうって。
だけど……手は少ししか上がらなくて、あっけなく下に落ちた。
手が落ちた先は、亜耶香がひどく怪我をしている太ももだった。血で真っ赤に染まっている。
――ドクンッ!
突然、不思議な感覚に襲われた。
何だろう、全身が脈打つような、この感じは……?
――ドクンッドクンッ!
激しい寒気に襲われていた体が、少しずつ温かくなっていくような……。
――ドクンッドクンッドクンッ!
「……拓哉さん……その頭……」
亜耶香が目を見開いて、口に手を当てている。
「何をそんなに驚いて――」
あれ、喋れる?
それに――やけに体が軽い。拓哉は上半身を起こした。お腹の傷も、心なしかマシになっている気がする。
拓哉は頭に手をやった。亜耶香が先ほどからやけに驚いた顔で見ているものだから、気になったのだ。
「……ん?」
ちょうど眉間の上あたりに、固いしこりのようなものがあった。
しこり……いや、尖っているような――。
「――角! それ、鬼の角です!」
「え? 鬼の角?」
言われてみると、確かに鬼の角のような形をしている。
……でも、なぜだ?
確かに拓哉の母は鬼だったが、拓哉に角が生えたことは今まで一度もなかった。
人間と鬼の間に生まれた子供は人間として生まれてくるのだと思っていたが、そうではなかったのか……?
拓哉の思考は、しかし甲高い声で遮られた。
「はあ? あんたも鬼だったの? 生意気にもレイナをだましてたってわけ。――ぶっ殺してやる!」
レイナは立ち上がると、地面に刺していた剣を口で咥えて引き抜き、猛然と向かってくる。
拓哉は立ち上がろうとしたが、自分の体とは思えないほどに体が軽くて、思わずふらついて膝をついてしまう。
「た、拓哉さん!? そんなフラフラの体で……私が戦います! だから拓哉さんは――」
懸命に立ち上がろうとする亜耶香の肩を、そっと両手で押し返す。
「任せろ」
今度は一切のふらつきなく立ち上がり、迫りくるレイナと対峙する。
手を軽く握る。全身の力がみなぎっている。
「――た、拓哉さん!」
眼前にレイナの剣が迫る。剣速は、口で咥えて振るっているとは思えないほどに速い。
普段の拓哉であれば、この距離から躱すことは難しかっただろう。
だが、今の拓哉なら――、
拓哉は顔を軽く反らして、レイナの剣を容易く躱した。
相手の動きがよく見える。体もよく動く。
「――っ!」
レイナが目を見開いている。まさか躱されるとは思ってもいなかったのだろう。
納得がいかないのか、レイナは繰り返し剣を振るってきた。
拓哉はそのすべてを完璧に躱した。剣先がかすることさえなかった。
レイナは乱暴に剣を地面に突き立てると、剣に呼びかける。
「銀ちゃん! 銀ちゃん!」
「……ん、なんだい、お嬢。人が気持ちよく眠って――お、その腕、どうしたんだい?」
「いいから! さっさとサポートして!」
「……あいよ――っておい、咥えるのか! 唾で柄が濡れて――」
レイナは剣の言葉に最後まで耳を貸すことなく、地面から再び剣を引き抜いた。
ものすごい勢いで剣を振るってくる。
先ほどまでより格段に剣の動きがよくなっている。
だが、回避できることに変わりはない。
拓哉は隙を見て、素早くレイナの背後をとった。
掌底をレイナの背中に叩き込む。
「――う、がっ!」
レイナの体が大きく前方に吹き飛んだ。咥えていられなかったのか、剣はあらぬ方向に飛んでいき、地面に落ちた。
「……くそっ!」
レイナはうつ伏せから必死に立とうとしているようだが、背中を痛めたのか、上手く起き上がれないようだ。両腕がないとなっては尚更だろう。
拓哉は歩いてレイナへと近づいた。
「鬼なんかに! 鬼なんかにレイナが負けるはずない! レイナは特級――選ばれし鬼狩りなの! 殺してやる殺してやる殺してやる――」
レイナは血走った目で、拓哉を睨め上げてくる。
拓哉は辺りを見回した。
白い刀身が目に入る。……唯菜が使っていた刀だ。
ちょうどいい。
拓哉はその刀を拾って、レイナのところへと戻った。
レイナは変わらず拓哉を睨み、「殺してやる――」と呟いている。
「殺されるのは、お前のほうだ」
拓哉は刀を振り上げる。今の自分であれば、間違いなく一撃でレイナを仕留められる。
唯菜を殺した女を、この刀で――。
拓哉は一つ息を吐いた。
唯菜の弔いという気持ちを込めて、刀を振り下ろす。
「――拓哉さんっ!」
拓哉は刀を止めた。刀の切っ先は、レイナの首元まで迫っていた。
「……如月さん」
亜耶香が脚にしがみつき、拓哉を見上げていた。
「どうやってここまで……」
亜耶香は左脚に酷い怪我をしていて、歩けるような状態ではなかった。
ふと目線を上げると、亜耶香の背後の地面に、何かを引きずったような跡と、こすれた血痕が残っていた。
亜耶香は左脚を引きずって、拓哉のところまでやってきたのだ。
見れば、亜耶香の左脚には砂や泥がたくさん付いていた。
亜耶香は己の左脚に一切目を向けることなく、拓哉を見上げて言う。
「ダメです! その人を殺したら! ……拓哉さんの気持ちは痛いほど分かります! でも……でも! ダメなんです! 拓哉さん、男の鬼狩りにしてましたよね、罪悪感の話。彼が罪悪感に救われて初めて、拓哉さんたちの両親が死んだことに意味が生まれるかもしれないって! あのとき、拓哉さんがどれほど辛い気持ちで、納得できない思いで、その言葉を口にしたのか……」
亜耶香の頬を涙が伝う。
「……その女の人を殺すってことは、唯菜さんの死を、拓哉さんが無意味にしちゃうってことなんですよ! それでもいいんですか!」
話を聞いていたレイナが嘲笑する。
「はあ? 罪悪感? レイナがそんなの抱くわけないでしょ」
再び刀を振るおうとする拓哉に、亜耶香が言う。
「拓哉さん! ダメです! 今はまだ、その女の人が自分の中にある罪悪感に気づいていないだけです! 男の鬼狩りだって、自分では気づかないうちにずーっと前から鬼を殺すことに罪悪感を抱いていたじゃないですか! その女の人だって、いつかは――」
「いつかって……それまで、この女は何十、何百という鬼を殺すかもしれないんだぞ。それでもいいのか?」
拓哉はてっきり、ここで亜耶香が逡巡するものと思っていた。
だけど、彼女は拓哉の目をまっすぐに見て、
「それでも、です!」
と強く言い切った。
「…………分かったよ」
そこまで強く言われたら、引き下がるしかなかった。
拓哉は振り上げていた刀を下ろす。
「はあ? なに上から目線に言ってるわけ? レイナはお前らみたいな雑魚に――」
拓哉はその場でしゃがみ、レイナの首に手刀を浴びせた。
レイナが気を失う。
「……さて」
拓哉は唯菜の刀を腰に差して、亜耶香を両手で抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこだ。
「え、え――!?」
亜耶香は頬を染めて慌てている。
「その足じゃ歩けないだろ」
子ども扱いされて恥ずかしいのだろうが、これ以上無理して歩かせるわけにもいかない。
拓哉は亜耶香を抱えたまま、唯菜の倒れている場所へと歩いて向かった。
「……唯菜」
唯菜の体は横向けに倒れたまま……。呼吸も止まっているようだ。
「如月さん、妹にお別れをさせてくれるか?」
亜耶香は涙を流しながら首肯した。
拓哉は亜耶香の体を下ろし、唯菜の遺体のそばにかがみ込む。
……穏やかな顔を浮かべている。
視界が滲む。
戦いの前、何があっても唯菜だけは守ると誓った。
それなのに、唯菜だけが死んでしまった。
これほど皮肉な結末があるだろうか……。
「――拓哉さんっ!」
亜耶香の声で顔を上げた。彼女は唯菜の遺体に――胸に耳を当てていた。
「心臓まだ動いてます!」
「ほ、ほんとか!?」
拓哉も慌てて唯菜の胸に耳を当てた。
――トクン。
弱々しくはあるが、確かに拍動している。
「だけど、呼吸はもう……」
唯菜の口元で耳を澄ますが、息をする音は聞こえてこない。胸も上下していない。
呼吸が止まって死んだ後も、しばらく心臓は動き続けるという話を聞いたことがある。
すでに唯菜が死んでいることに変わりはないのだ……。
「いえ! まだ間に合うかもしれません! その刀を貸してもらえますか?」
拓哉が腰に差していた刀を見て、亜耶香が言う。
訳が分からなかったが、亜耶香が何か大切なことをしようとしているのは分かった。
拓哉は亜耶香に刀を渡す。
亜耶香はその刀を握ると、切っ先で自分の腕を浅く斬った。
亜耶香の腕から、血の雫がぽたん、ぽたんと垂れる。
血の雫が、唯菜の背中に落ち、傷口にしみ込んでいった。
すると、信じられないことが起こった。
「……ん……んんっ」
唯菜が息を吹き返したのだ。
唯菜の額には、今の拓哉と同じように鬼の角が生えていた。
「…………お兄ちゃん……?」
唯菜の目がゆっくりと開く。
「唯菜!」
拓哉は唯菜に抱きついた。
「お、お兄ちゃん!? ちょ、ちょっとどうしたの――」
唯菜が腕の中で身をよじる。
放したら、今度こそ唯菜がどこかへ行ってしまう気がした。
どれだけ唯菜に嫌がられようとも、今この時だけは、わがままな兄でいようと思った。
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