08.貴方の腕の中で3
アーフェンが真柴をベッドに下ろした。あれほど痛かったのに、ずるりと抜けていくそれに淋しさが沸き立つ。一度抱いたら興味を失ったのだろうか。
恐る恐ると顔を上げた。
真柴を抱いてなお、見つめてくる彼の瞳は涼やかな色の奥が熱い。とても綺麗なブルートパーズの瞳な揺れた。
「行かないでくれ!」
大きな手が真柴の肩を掴む。感じる痛みすら彼の想いを孕んでいて、決意を鈍らせる。でもダメだ、このままじゃ本当にダメな自分になる。一度全部から逃げ出そうとした自分だけど、もう同じことは繰り返したくない。
「大丈夫です、一人ならそんなに力を使わなくていいと思うんです」
気休めだ。本当はどうなるか真柴にもわからない。けれど、今ここで彼を説得しなかったら今度は真柴自身が躊躇ってしまう。
「なにを言ってるんだっ! あんたはもう……もう……」
自覚はない。ただ平穏な日々を送ってきたと思っていた。それでもアーフェンは怯えたように瞳を揺らした。
「行かないでくれ……俺が言える立場じゃないのは分かっている。しかもあんたをこんなにしたのは俺だ……それでも力を使ってほしくないっ!」
大事に想ってくれる彼の頬を撫でた。肌を重ねた後でもこんなにも真柴を欲してくれているこの人を、愛している。
(貴方の隣に立てる自分になりたいんです……わかってください)
でもそれを口にしたなら、アーフェンは真柴の決意に賛同して送り出してくれはしないだろう。今までのようになにかを隠してただ平穏な日々を送れるように尽力して、彼だけが苦しみ続ける。それは対等な家族ではない。
細かい傷がいくつも刻まれた頬。多くの人を守ってきた証すらも愛おしい。
潤んだ瞳からほろりと一筋流れ落ちた雫を掬い上げた。もうかつてのように無理矢理笑みを浮かべなくても、身体の奥に残る熱が自然と愛おしさを彼に伝える柔らかい表情になる。
「泣かないでください。ベルマンさんのおかげで僕はやっと『信念を貫く』勇気が持てたんです。だから、人生で一度だけでいいんです、自分を貫かせてください」
お願いです、これからの二人のために。
自分に……自分たちに未来があることを神に願って彼の頬を包み込んだ。
自分よりもずっと熱い肌から生きている証の熱が流れ込んでくる。もっとそれを感じたい。出立するその瞬間まで。
真柴の願いが叶ったのか、アーフェンが痩身を掻き抱いた。先程まで全身に感じていた熱が再び真柴を包み込み、この上ない幸福感を与えてくる。
「……あんたを……愛しているんだ、あんたに死んで欲しくないんだっ!」
(僕も死にたくありません……もう、二度と)
一度は自分から投げ出した命を今は繋ぎ止めたかった。賭だとしても、生きて帰りたい、彼の隣に……二人が一緒に暮らしたこの家に。
生きることに疲れ果てたはずの心は今、生きることをどこまでも渇望している。同時に自尊心も欲している。だから、一度、最後に一度だけ力を使うんだ。自分の意思で。
逞しい背中に腕を回し、彼の背中に爪を立てた。
押さえつけた泣き声が喉を震わす愛しい人の名を音に出さず唇を動かす。
次会ったとき、その名を呼べるように。
翌朝、アーフェンが目を覚ますと隣で眠っているはずの真柴の姿はなかった。
冷たいシーツを撫で、アーフェンは涙を零し決意する。
ただ彼が帰ってくるのを待とう。
それが亡骸であっても、と。
「すみませんローデシアンさん、変なお願いをして」
「いえ……良かったのでしょうか」
真柴は馬車に揺られながら前に座るローデシアンに頭を下げた。
アーフェンが眠ったのを確かめてからこっそりと出た真柴を、家の前で待っていてくれたのだ。
ローデシアンが扉を出る前に口の動きだけで伝えたことを忠実に実行してくれたことに感謝し、今だけ怠い身体を持て余しながらも、真柴は久しく味わったことのない幸福感に満ち足りていた。
彼に愛された事実に、愛して貰った行為に、痛みを孕みながらも幸福と感じている。
「アーフェンはああ見えて聞き分けの良い男です。しっかりと話し合ってからでも……」
「いえ。ベルマンさんに見送らたら、僕が辛いんです」
あの日、死ぬ覚悟をしたのに。もう生きていくのが辛いと思ったはずなのに。
おかしいことに今は死ぬのが怖くなった。
愛されて気怠い身体が、彼の心を受け入れて痛みすら感じているはずなのに、あの時と違って自暴自棄になれない。
誰かの助けになれたら、その時はもうどうなってもいいとどこかで考えていたはずなのに、もっと彼に愛されていたいと願ってしまういじましい自分がいる。
アーフェンが心配しているようにもし自分がもう一度力を使ったなら、死ぬかもしれない。分かっている。苦しいほどに彼が訴えてくれたから。
惜しいのに、どこかで達成感を求めている。自分が何かを成し遂げたのだという実感を欲している。討伐の度にすぐに眠ってしまったのは力を使っていたからだと教えられたが、無意識にどれだけ凄いことを行ったとしても、餓えた心は満たされずに己の目で確かめたいとざわめいている。
「自覚はありませんでしたが、僕は欲深な人間だったのかもしれません」
あははと無理矢理に笑って、けれどいつからだろう、無理に口角を上げなくなった自分に気付いた。
そうだ、ずっと弱音を吐く度にアーフェンが否定し、勇気づけてくれたからだ。無理に笑わなくていいことも、できることをすれば良いことも、嫌なら辞めればいいことも、全部アーフェンが教えてくれた。当たり前のことをただ口にしていると、飾らない言葉で少しずつ真柴に勇気を植え付けてくれた。
気負わないそのすべてが、真柴の心を癒やしてくれた。
「できれば死にたくありません……」
「誰もそれを欲深だとは思いません、人ならば当たり前の事です。聖者・真柴はもっと欲深くて良いと思います……私が言うことではないでしょうが……」
「いえ、子を想う親ならば当たり前の願いです……僕が役に立つと良いのですが……」
なにせこの世界には病気がない。怪我をしたでも瘴気に当たったのでもなく伏せることなどあるのだろうか。しかも次期国王である太子が。
ちらりとローデシアンを見た。騎士団に居た頃と変わらず穏やかな顔をしているが、かつてよりも怖ろしく思うのは気のせいか。
だが真柴がなにかを考えることができたのは、ここまでだった。
短時間に感情がアップダウンした上に、アーフェンの想いを一身に受け止めた故の疲労が広がり、真柴はまだ話したかったはずなのに瞼を開けることができなかった。
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