第八章 神々の争い

01.聖者の元へ1

 冬になった。気候が穏やかなルメシア領も、時折雪が降るが冬の終わりでなければ積もることがないため、うっすらと表に白化粧を施すのみだ。

 アーフェンは真柴が大事にしていた畑の冬野菜の様子を見に来ていた。彼がいつ帰ってきてもいいように、望んでいた野菜を植え、管理し続けた。

 真柴が消えてからもう二ヶ月が経つ。


「今日はこれくらいか。葉が凍傷にならないように雪を退けるべきか?」


 正直、畑のことが何も分からないアーフェンは、真柴が懇意にしている隣の老人に教えを請うている。真柴がどんな野菜を植えたがっていたかも老人に教えて貰った。

 礼に狩りで獲れたイノシシを渡したら大層喜ばれ、そこから近所づきあいが生まれている。

 真柴と交流のある人々は突然居なくなったことを心配していたが、王都にある実家へ帰らなければならなくなったと伝えれば、皆が納得顔で頷き、それ以上詮索することはなかった。


 概ね、貴族の坊ちゃんが駆け落ちしたと思われているのだろう。

 浮世離れした真柴の言動は苦労を知らない貴族の御曹司を彷彿とするようだ。アーフェンは元使用人といったところか。

 その方が好都合だ。

 聖者よりは貴族の御曹司の方が騒がれずに済む。

 彼は今何をしているだろう。


 いつ帰ってきてもいいように家を磨き、布団も綺麗にしている。真柴が好きな熊氷の干し肉も買ってある。畑で取れた野菜もたくさん貯蔵庫に入れた。けれど、音沙汰はない。

 生きているか死んでいるかも、分からない。

 アーフェンはただ粛々と日々を過ごし、待ち続けるしかなかった。


「おう、アーフェンじゃないか。なにやってんだ?」


 老人が話しかけ、葉っぱに乗った雪を懸命に払っているアーフェンの手元を見た。


「葉が痛まないように雪をどかしてる」

「おまえさん、畑全部をやるつもりか? 冬の野菜はちょっとの雪じゃ傷まんよ」

「……そうなのか?」


 老人は朗らかに笑うと、畑をくるりと見回した。


「これ全部やったら日が暮れる。その時間があったらマシバを迎えに行ったらどうなんだ。きっと待ってるぞぉ」


 感情を上手く隠せないアーフェンはぶすぅっとした顔を老人に向けた。

 無精髭で覆われた顔では余計に恐怖を与えるはずなのに、老人はニヤニヤと笑うばかりだ。


「なんじゃい、おまえさんは出禁でもくらっとんのか。そうだろ、そうだろ。あんな可愛い息子を攫ったんだ、出禁されて当たり前か。意地をはっとらんと、きっとマシバはお前さんが来るのを待っとるぞ」


 あーっはっはっはと無駄に豪快に笑われ、ますます顔が渋くなる。

 迎えにいけるもんならすぐに行く。だが、どこにいるかも分からないのだ。すでに太子は元気になった姿を民に見せているのに、一向に帰ってこない。

 真柴に想いを告げすべてを受け挿れて貰ったあの一夜が夢だったのではないかとすら思う時がある。けれど、二人で暮らした家のあちらこちらに真柴の名残があり、見つけるたびに花が綻ぶような笑顔を思い出す。


(ふざけるなじじい、俺が一番会いてーんだよっ!)


 罵声を心の中で思い切り吐き出して、ぶすくれた顔のまま老人に向き合った。


「約束した、ここで待っていると。だから、ここから離れられないんだ」

「そうかそうか。早く帰ってきてくれるといいな。なんせ今年の冬は寒い。一人で過ごすのは寂しいからな」


 ギッと老人を睨めつければ余計に豪快に笑って自分の畑へと去って行った。

 そんなもの、もう嫌と言うほどもう感じている。

 いつ帰ってくるかも分からない真柴をただ待つだけの日々は、畑の面倒がなければすぐに放り出して王都へと駆けていただろう。真柴が大事にしている畑があるからここに留まっているのだ。


 アーフェンを繋げているのは、たった一つの約束だけ。


 必ず帰ってくるという一言に縋り付いてもう二ヶ月。

 今日か明日かと待ち続けるのは思った以上に辛く、騎士団員が恋人に振られる理由がよく理解できた。生死も分からぬまま待ち続けるのはただ辛いだけだ。楽しい思い出があればあるほど。


「早く帰ってこい、バカ……」


 思わず漏れる言葉を雪花を抱いた風が攫っていく。

 そこからシンシンと雪は大地に降り注ぎ、アーフェンは葉に付いた雪を払うのをやめ、ローシェンにブラシを掛け小さな馬小屋の掃除をしてから家に入った。


 雪が降ればルメシア領でも家の中まで冷たくなる。暖炉を灯して少しでも部屋を暖かくしてから、そろそろ来年の薪を用意しなければとまずは伐採のための道具を確認していく。どれも錆びていないか、刃こぼれはないかを確かめるために裏口から室内に持って入り、蝋燭の光を当てる。

 念入りに確認してしまうのは騎士団時代の名残だ。


「ああ、もう夜か。そろそろ灯りを点けないと……」


 蝋燭に火を灯し部屋を明るくすれば、自分が一人であるのを嫌と言うほど認識してしまう。

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