05.嵐の襲来5

「生かされただけなんです。きっといらない命ならこの世界を救うのに使えって神様が考えたんだと思うんです。でも僕は、自分が捨てようとしたこの命で誰かが救われるなら、それができるなら嬉しいんです」


「でも俺はっ!」

「こんな風に誰かが自分を愛してくれるなんて、想像もしていなかった。愛して貰えるのがこんなに幸せなんて知らなかった……知ってたら、死ななかったのに……死のうとしたから使命を与えられたんだ……」


 ――果たさなきゃ。


 蚊の鳴くような声だった。

 責任感の強い真柴らしい言葉だというのに、アーフェンは苦しくて悲しくて、泣くことしかできなかった。

 どうしたら自分の気持ちが伝わるのだろうか、どうしたら彼のことが大事なのだと分かって貰えるのだろうか。

 手段は、なにもなかった。


 アーフェンもまた、真柴の命を使い続けてきたから。


 罪悪感が彼の行動を止める邪魔をする。

 なぜ自分はあの時、あんなにも真柴に対して敵愾心をいただいていたのだろう。自分が所属し大事にしている騎士団を蔑ろにされたと、なぜあれほど思い込んでいたのだろう。

 真柴の優しさにどうしてあぐらをかき続けたのだろう。

 情けないほど矮小な自分がしでかしたことが、今になって後悔と共に押し寄せてきた。


「だから、止めないでください。この一回だけ、自分がちゃんとできる人間なんだって想わせてください、お願いします」

「…………終わったら、生きていたら……俺の元に帰ってきてくれ、頼む」


 頼めるのはもう、それだけだった。


「絶対に、……」


 ここへ。二人が暮らしたこの家へ。


「帰る場所を下さってありがとうございます。何があっても必ず、帰ってきます」


 望んだ言葉のはずなのに、胸が締め付けられる。

 床に膝を突いたまま手と一緒に上体を伸ばた。

 小さな頭蓋骨の形を確かめ、濡れた頬を撫でる。瞼の窪みを辿り眦に溜まった涙を拭い、僅かな頬の丸み辿った。

 そして、何か言いたげな唇を塞いだ。己の唇で。


「愛してるんだ……」


 僅かに離れた唇の隙間で囁く。自分にこんな声が出せるのかと驚くほど、愛情を含んだ言葉はとろみが付くほどに甘い。真柴はそれを受け取って、畑仕事で焼けた頬を赤く染めた。


「僕も……ベルマンさんが……好きです」


 途切れ途切れの言葉はするりとアーフェンの心に入り込み、根を生やす。

 想いが交わってもう一度重なる唇から甘い痺れが湧きあがった。


「お前のすべてを奪ってもいいか、真柴」


 その意味を彼は理解しているか不安だが、真柴は驚きに目を見開き、ゆっくりと瞼を閉じて小さく頷いた。


「本当にいいんだな」

「はい……」


 アーフェンは真柴の細い身体を抱き上げ、階段を上がった。






「愛している、真柴」


 何度も何度も耳元に囁かれる甘い言葉に、真柴は骨がなくなってしまうんじゃないかと思うほど心が熱くなり全身を溶かしていく。

 誰かの体温を感じるなんて、初めてだ。しかも大人になってからは誰かと触れ合うことすらなかったので余計にアーフェンの肌が重なる場所に意識がいってしまうのに、何度も耳元に囁かれる甘い言葉に骨の髄まで溶けてなくなってしまいそうだ。


 一人用のベッドは、アーフェンが動くたびにギシギシと軋んだ音を立て、それが余計に真柴の体温を押し上げていった。

 秋だというのに、随分と涼しくなったというのに、彼に抱き上げられてこの部屋に入ってきてからと言うもの、心音がちっとも落ち着かないし、体温も上がったままだ。


「お前が大事なんだ」


 覆い被さってきた大きな身体は、何度も甘い言葉を真柴の耳へと流し込み、全身を溶かして動けなくさせては、大きな手が服の下をまさぐってくる。肉厚の唇が剥き出しになっている首筋に押し当てられた。


「あっ……」


 擽ったい。

 みんなこんなとき、どんな気持ちなのだろう。

 真柴は穏やかな気持ちではいられない。大きな身体は熱く、生地の厚い麻の服を着ていても彼から流れてくるようで、もっと体温が上がっていきそうだ。

 吐き出す息すら熱い。


「真柴……真柴っ!」


 首筋に当たった唇から、切実な音が流れて真柴の鼓膜を震わせていく。

 ギュッと胸が締め付けられる。


(ごめんなさい、ベルマンさん……)


 どうしても曲げることができないのだ、これだけは。


「ベルマンさん……っ」


 シーツを彷徨っていた掌を、勇気を持ってその背中に回してみた。

 隆起した筋肉が服の上からでも感じられる。

 はぁと肺の中にある熱い息を吐き出した。ごめんなさいとは口にできなくて、心の中で呟いてみる。

 なぜ覚悟を決めた後にこれほどの幸福感を味わうのだろう。あれほど辛いことばかりだったというのに……。


 薄い皮を啄まれ痛みを感じるほどの吸われると、そこから艶めかしい熱が身体に入り込んで下腹部へと集まっていく。

 異性とも肌を重ねた経験のない真柴はそれをどうすればいいかわからない。しかも自分が下になっているシチュエーションなど、想像もしたことがないから余計になにをしていいかわからなくて、アーフェンの服を握り絞めた。


 一度も触れたことがないルビー色の髪が頬を擽る。思ったよりも柔らかくて、そこから彼特有の臭いが香ってくる。

 同じ家に住んで、同じご飯を食べているのに、自分とは異なった香りは、今まで知らなかった官能を含んでいるように思えるのは、好いた相手だからだろうか。


「ベルマンさん……あっ」


 肌をまさぐっていた大きな手が薄くなってしまった脇腹を撫でたとき、思わず高い声が上がった。


「クソッ……俺を煽ってどうするんだ!」

「煽ってないですっ!」

「ひどくされても知らないからなっ! クソッ……大事にしたいのに……」


 アーフェンがベッドに腕を突いて顔を上げた。ジッと横たわる真柴を見つめてくる。澄んだ美しいブルートパーズの瞳の奥に熱を宿している。

 なんて綺麗なんだろう。

 普段は勇ましく少しぶっきらぼうなアーフェンが、真柴を求める為に見せる必死な表情に、今日だけで何度胸を締め付けられただろうか。そのたびに彼に寄せる愛おしさが際限なく溢れ、心を満たしていく。

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