03.嵐の襲来3

 王妃は百合とも喩えられるほどに美しかったが、国同士の繋がりのための婚姻に愛情はない。結婚前から愛妾を抱える王との夫婦関係は最初から冷め切っており、ペンブローク王国の風習に慣れない王妃は次第に笑顔をなくし沈んでいった。


 ローデシアンはそんな王妃が気がかりだった。少しでもこの国を好きになって貰おうと心を砕いた。この国でしか咲かない花を贈り、無聊を慰めるためにこっそりと王宮から連れ出した。


 王妃は次第にローデシアンに心を開き、なんでも話すようになった。ローデシアンもまた、従騎士という立場を忘れ慕情を抱いた。

 そしてついに、一線を越してしまったのだった。


「なっ……太子はあんたの息子ってことか……」

「このことを知っているのは私と王妃だけ……だが王は疑った」


 当然だ。寄る辺ないはずの王妃が次第に明るくなり、側仕えの騎士だけに笑顔を見せるようになれば疑うなというほうが難しい。しかも産まれた子に自分に似た部分が見つからないとなれば余計だ。


 だが、王は王妃を糾弾しなかった。自分が王妃をぞんざいに扱っている自覚があったのだろう。代わりにローデシアンをどうすれば王妃から離せるかを画策した。

 魔獣の襲撃が過激化しているころだったのもあり、騎士団は魔獣の討伐にのみ従事するべきと命じた。

 今まで王族の護衛に当たっていた騎士は新たに近衛騎士隊と名付け、騎士団を二つに分けた。


 ローデシアンは当然自分も近衛騎士隊の所属になると思っていたが、拝命されたのは騎士団の団長だった。

 表向きは階級が上がる名誉だが、騎士団の扱いはぞんざいになり、国から供給されるはずの馬も武具も極端に減り、俸給すら減っていった。反比例して魔獣討伐の成果が上がっていないと非難されるようになった。


 アーフェンが騎士団に入団する前の話だ。


 その段になってローデシアンは理解した、王の意図を。だからこそ、粛々と団長の任を続けてきたのだ、片腕をなくすあの日まで。

 岩獅子討伐で負傷したローデシアンは、ついに自分に天罰が下ったのだと心のどこかでホッとした。自分がいなくなればこれから騎士団が不当な扱いを受けることはない。もう騎士団とも王族とも関わらないで生きていこうと、王都にある自分の家で慎ましく暮らしていた。


 だが先日、王妃が国より連れてきた侍女が手紙を携えてローデシアンを訪ねた。

 その手紙には太子が原因不明で伏せっていると書かれていた。ルメシア候の薬を飲ませても起き上がることができず、日に日に弱っていく様が綴られていた。

 いても立ってもいられなかったローデシアンはこうして真柴を訪ねてきたのだ。


「父親らしいことは何もできず、親として名乗り出ることもできない。だがただ一人、愛した人との子が死にゆくのを黙って見ていられない。この通りだ、聖者・真柴。私の命をどれほど使ってもいい、太子を助けてください」


 床に頭を着けて頼むローデシアンの姿に、アーフェンは言葉がなかった。こんなにも必死になるローデシアンを見たのは初めてだ。どんなことがあってもどこか冷静な部分を残していた彼しか知らない。その心を熱くさせるのは王妃に関することだけなのか。


 思い出すのは聖者召喚の儀だ。

 ローデシアンは何度も上階にて成り行きを見守っていた王族を一番下から見ていた。

 今でもその心を王妃に捧げているのだろう。

 アーフェンは首を振った。


「やめてくれ、カナリオ先生。どんなに頼まれても、だめだ……」

「私の命を……」

「そんな方法が分かってたら最初からしてる! でも現状はこいつの命が削られるんだ……どれだけ残ってるか分からない真柴の命がっ! ……だからそんな真似するなよ……あんたが頭下げたら……」


 心優しい真柴のことだ、頷くだろう。

 そんなの、許さない。絶対に。


「頼む、太子を助けてくれっ!」

「無理だと言っているだろっ! これ以上は言わないでくれ、カナリオ先生……」


 縋るような言葉しか出てこない。これ以上は言わないでくれ、これ以上真柴になにも言わないでくれ、このまま帰ってくれ。願うがローデシアンも縋るのはここしかないと、決してアーフェンの願いを受け入れてはくれない。

 真柴が細く長い息を吐き出した。


「分かりました」

「真柴っ!」

「聖者……ありがとうございます!!」


 ローデシアンは真柴の足下に縋り付き男泣きを始めた。泣くローデシアンなどアーフェンは初めて見るが、それに何かを思う余裕は全くない。真柴の細い肩を掴んで、怒りをぶつけるように口を開いた。


「さっきも言っただろう、力を使ったらお前の命が削られるんだっ! なんで了承をするんだ、死んでもいいと思ってるのかっ!!」


 唾を飛ばすほどの勢いに、だが真柴の面にあるのはいつにない優しい笑みだ。

 なぜ今ここでそれほど甘い笑みを浮かべるんだ、その顔は二人きりの時だけに見せてくれ。


「ありがとうございます、ベルマンさん。でも最近調子がいいので大丈夫です」

「いいわけないだろっ、寝れば三日は起きないくせになにが大丈夫だっ! ふざけるなっ」

「そ…………なの、ですか?」

「眠る度に俺がどれだけ心配したかわかってないだろっ!」


 八つ当たりだと分かっていても言わずにはいられなかった。どうして、どうしてこんなにも想っているのに汲み取ってくれないんだ。どうしてこんなにも心配しているのに分かってくれないんだ。


「お前を……死なせたくない……」

「ベルマンさん? どうしたんですか、なぜ泣いているのですか?」


 泣いているだと? この俺が?

 そんなはずがない、泣くわけがない。こんなにも怒っているのに、怒りの感情をぶつけているというのに、真柴が伸ばした手は下から掬い上げるように撫で、離れた指に光るものがあった。


 驚いて自分の頬に触れれば、彼が辿った所に濡れた感触が残っている。


「心配してくださったんですね、ありがとうございます。でも……」

「でもじゃない……お前は自分を粗末にしすぎるんだっ、だから、だから……」


 自分なんかにいいように使われるんだ。雑に扱われるんだ。

 真柴の心に触れなければ、今も自分は彼を道具のように使い続けただろう。その命が潰えることに怯えなければ使い続けていただろう。

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