02.副団長の朝2

「火事なんて起こされたら堪ったもんじゃないよ! 教えてやるからさっさと包丁を持ちな。あんた騎士団なんだろ、刃物の扱いはいっちょ前じゃないのかい」


 なんて勢いで一から叩き込まれ、今では作れる料理も増えてきた。それを真柴が美味しそうに食べてくれるものだから、一杯飲んで帰るなど頭にも過らない。


「今日は帰るのが遅くなる。次の討伐地を選ばないといけないから」

「そうなんですね……すみません僕、何の役にも立てなくて……」


 真柴は今でも自分がどれほどの力を発してきたのかを知らない。無力なまま倒れてばかりと認識しているようだ。

 教えるつもりはない。

 知ってしまえば真柴のことだ、自分よりも他人を優先してすぐにでも力を使ってしまいそうだから。

 ずるいのは分かっている。

 けれど、自分たちを救ってくれた彼が死ぬのはやはり寝覚めが悪い。


「気にするな。お前はただちゃんと食べて寝て、身体を元に戻せ」

「……ベルマンさんに何もかもお世話になっていて申し訳ないです。あ、この肉美味しいな」

「それは熊氷の干し肉だ。良い脂がのっているだろう」

「えっ……ベーコンじゃなかったんですね」


 熊氷の姿を思い出して驚くのも新鮮だ。

 騎士団が丸々と魔獣を持ち帰ってからというもの、様々な研究が行われるようになった。その一環で料理に使えないかという研究まで進み、熊氷は燻製にすればこの上ない極上の味になると知った猟師たちは、こぞって熊氷を狙うようになった。


 凶暴な魔獣だが、夏になると熊と同じように冬眠することが分かり、穴蔵を見つけては眠っている熊氷を殺すという方法を使い始めている。

 そのため、夏の今は熊氷の干し肉が多くで回っている。


「あの熊がこんなにも美味しいなんて……知らなかった」


 もう一口放り込むと、幸せそうな笑みを浮かべた。

 真柴の幸せそうな顔を見つめるだけで、アーフェンも不思議と胸が温かくなり幸せな気持ちになる。

 美味そうに飯を食う団員もいるが、一度としてこんな感情は湧き起こったことはない。


「そんなに気に入ったならまた買ってくる」

「本当ですか⁉ 嬉しいな……野菜と炒めたらもっと美味しくなるのかな」


 どんな料理にすればいいかを楽しそうに夢想している姿がまた愛らしい。


「お前、料理ができるのか?」

「一人暮らし長かったから、一通りはできるようになりました。こちらのキッチン……かまどですね、それは使い慣れてないので上手くできるかどうか分かりませんけど」


 あははと困ったように笑う顔が、妙に子供っぽくて、孤児院にいたときにいつも自分の後ろを着いて走り回っていた弟分を思い出す。

 こうして机を挟んで共に食事を摂るようになって半年弱だが、思っていたよりも真柴は感情豊かで、表情によく出る。困ったときだけは口角を上げて笑うが、それ以外はまっすぐに面に出すのだと気付いてからは、とっつきにくいと思っていた彼に好感を抱くようになった。


 なぜ自分があそこまで頑なに真柴に敵意を向けていたのか、今では分からない。

 ある日突然やってきた脅威に、アーフェンも戸惑ったとしか言いようがないが、真柴を一人の人間として見たとき、第一印象の頼りなさはそのままだが、妙に親しみを抱かせる存在だった。


 こちらの食材に興味を覚え、アーフェンが買ってきたものや食卓に乗る料理を面白そうに眺めるし、下手くそな料理を出しても美味しそうに食べてくれる。それどころか、どうやって作ったのだとか色んなことを聞いてくるので、気がつけばアーフェンは真柴と向かい合わせで摂る食事が楽しくなり、飲んで帰るのもやめてしまった。


「ほら、肉ばっかりじゃなくてアフレフトも食え」

「これがアフレフトですか……あっ蕪のような味がするんですね」


 時折、真柴はこの世界にはない言葉を口にする。

 それが元いた世界の言葉なのだろうか。


(そういや、今までこいつのことをなにも聞いてないな)


 一年も一緒に暮らしているというのに、アーフェンは真柴の過去をなにも知らない。


(どう考えても別の世界にいたような雰囲気だが……何をしてたんだ?)


 アフレフトに息を吹きかけ冷ましてから少しずつ口に含んでいる姿に、やはり幼さを感じさせる。もしかしたら、まだ年端もいかないのだろうか。


(いやいやそんなことはないだろう。妙に詳しいしな……本当に変な奴だ)


 変と思いながらも、そこが面白いと感じてしまう自分がいる。


「蕪があれば、熊氷の肉と一緒に煮込んでスープができますね。あとは塩と胡椒があれば完璧なのですが……胡椒ってこの世界にありますか?」

「……なんだ、コショーというのは」

「香辛料なのですが……あれ、香辛料って何世紀にヨーロッパに渡ったんだろう……、十五世紀だったかな、一般に普及するのは」


 時折口にする難しい言葉が子供らしくないと思わせ、真柴の年齢を分からなくする。


「お前……いくつなんだ?」

「えっ僕ですか? たしか……ああそうだ、三十六になったんでした」

「……えっ?」


 カラーンとアーフェンは持っていたカトラリーを落とした。フォークが皿に当たってテーブルを跳ね、床に落ちる。

 今、なんて言った?

 聞き間違えでなければ三十六と言わなかったんだろうか。


「どうしたんですか、ベルマンさん?」

「さんじゅう、ろく?」

「はい。確かそうだったと思います」


 ふわりと朗らか笑う顔は、アーフェンの気持ちを不思議と穏やかにする。が、今ばかりは穏やかとは程遠い感情が駆け巡り続けていた。


「うそ……だろ。……俺より十も上だなんて……」


 それではローデシアンの方が年が近いではないか。秘かにドゴよりも五つほど上じゃないかと思っていただけに、衝撃を受け止めきれない。


「ベルマンさんは二十六だったんですか。その若さで騎士団の副団長を勤めるなんて、とても優秀なんですね」


 ホワホワと笑う真柴の顔をまじまじと見た。やはり年よりもずっと若く見られる顔がある。同時に仕草は子供っぽく、口さえ開かなければやはりアーフェンよりも年下にしか見えない。

 なによりもその雰囲気だ。


 三十を超えた男とは思えないほど、不安定なのだ。

 今にも崩れ落ちてしまうんじゃないかと危惧するほど、儚いのだ。それを若さのせいだと思い込んでいたのかも知れない。


(そんなんでちゃんとやってけたのかよ、前の世界で……)


 絶対に無理だろう。


「……お前もしかして、良いところの坊ちゃんか? 貴族とか……」


 真柴はキョトンとして、それから笑いながら首を振った。


「僕が住んでいた国には身分制度がないんです。それに、実家は一般的な家庭でしたよ。貴族なんてそんな大それた身分じゃありません」

「でも……」


 こんなにも平和ぼけした顔ができるのは、世間知らずな貴族の坊ちゃんくらいだ。自分の領地で頻繁に魔獣が出没していてもお構いなしに王宮で遊びほうけられるほどの。


「そうですね……僕がいた世界がある意味、ぼんやりしていても生きていける場所だったんだと思います」


 アーフェンの心を汲んだ真柴は、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「それで魔獣に襲われないのか?」

「魔獣がいないんです。だから、ここに来てとても驚きました。とはいえ、僕が住んでいた所でも七百年前は猛獣や他国からの進撃に備えて城郭を築いていましたが」

「……他国の襲撃? どうして他の国が脅威なんだ」

「領地を広げるためです。豊かな土地は実りが多く、それだけで人々は豊かになりますから、自分のものにしたいんですよ。この世界では信じられないことかも知れませんが」


 ああ今、真柴は困っている。口角を上げ、少し寂しげな表情を浮かべるのが彼の困り顔なのだ。

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