第五章 副団長の決意
01.副団長の朝1
ペンブローク王国の王都でも貧民が多く住まう一角は、今日も日の出と共に子供達の声が、早起きのニワトリの鳴き声よりも先に響き渡る。井戸に集まって我先に桶を満たそうとするが、順番を抜かしたとかで始まるケンカが今日も飽きもせず繰り広げられている。
そのすぐ後に誰のか分からない母親の怒鳴り声で一瞬止むが、すぐにまた再発して賑やか強いことこの上ない。
ぼんやりとそんな日常の音を聞き、アーフェンはゆっくりと目を開いた。
ここはアーフェンが王都に構えた家だ。
副団長になったのを機に移り住んだが、なかなか休みが取れず、ここへ帰るのも稀だ。あまり居心地の良い家ではないが、それでも子供の声が聞けるので気に入っている。
生まれ育った村の、朝の風景がそのまま再現されているからだ。
硬い寝台から上体を起こすとグッと腕を天井に向け身体を伸ばした。
「今日も晴れてるな」
ゆっくりと昇ろうとする太陽が照らし出した空はどこまでも澄み渡り、白さが眩しい雲があちらこちらに浮かんでいる。
アーフェンは寝台から降りるとすぐに着替え、井戸へと向かった。
「おや、騎士団のお偉いさんは今日も朝から水汲みかい? ここ最近宿舎に泊まってないけどいいのかい?」
顔なじみのおかみさんが声をかけてくるのを仏頂面で受け止めれば、「あははは」と笑い、「たまには格好いいところを見せておくれよ」と痛い言葉を投げて家に帰って行く。
「そういうのは面と向かって本人に言わないでくれ」
苦情を申し立てたところで聞いてくれるはずもない。
気さくな所は気に入っているが、歯に衣着せぬ物言いは時に刃になると知っているのだろうか。
仕方ない。
それがこの地区の良さなんだと苦笑して、井戸から水を汲み上げた。持ってきた桶に移し、両手に一つずつ持って家に帰る。
水汲みは子供達の仕事だが、一人暮らしのアーフェンは自分でなんでもやらなければならない。
水を瓶に移してから朝食の支度だ。
パン屋で焼きたての長いパンを買い、かまどに火を点けてフライパンで干し肉を焼く。そこに卵を落とした後に空いているところで野菜を焼く。その間にパンを切り、少し焦げ目が付いてしまった料理を皿に盛ってテーブルに置いた後、二階へ上がった。
日当たりの良い部屋のドアを開けると、大きな手で寝台の上にこんもりと盛り上がった塊を揺らした。
「おい、飯ができたぞ。起きられるか?」
軽く揺すったつもりでも、手が大きく力が強いアーフェンでは相手の身体が大きく揺れてしまう。しまったと思うよりも早く、か細い声が上がった。
「あとちょっと……五分だけ寝かせてください……」
「ゴフンってなんだ? 分からないことを言ってないでさっさと起きろ」
布団を剥ぎ取れば、粗末な夜着を身につけた細い背中が姿を現す。しかも必死で布団の端をひっ掴んでは放そうとしない。
毎朝のこととは言え、あまりの寝穢さにアーフェンは本気で怒り出した。
「この無駄な時間をなくせーーーっ! さっさと起きて飯を食え、真柴! いいかげんにしろーーーっ!」
副騎士団長に相応しい怒声にビクリと痩身は震え、ゆっくりとこちらを見た。怯える目は黒目が大きく、捨てられた仔犬にも似て、もっと怒りたい気持ちをグッと飲み込ませる。なんという卑怯な仕草だ。これでは怒りが長続きしないじゃないか。
はぁーっと長い息を吐き、だがしっかりと布団を剥ぎ取る。
「ちゃんと飯は食え。食い終わったら俺は出るから」
「すみません……起きます……」
シュンと見えない耳がぺたりと下がるのが分かる仕草でゆっくりと起き上がり、裸足のまま床に足を着けた。
「おい、靴を履け」
「そうでした……駄目ですね、まだ馴れなくて」
あははと笑って頭の後ろを掻く。子供っぽい仕草で慌てて靴を履くのを見届けてから部屋を出た。
真柴が乗った馬車を、魔獣の襲撃に見せかけて燃やしたのは一年前。その頃には馬車を覗く団員もおらず、皆怖れるように真柴から距離を取っていた。ドゴが乗っていれば当たり前のように真柴も乗っていると思い込んでいるのを良いことに、火を点けたのだ。
ドゴはすぐに飛び出したが、力を使い過ぎて眠っている聖者を助け出すことができなかったと言えば、神殿の誰もが信じた。
真柴は前の宿営地で延泊させ、後日アーフェンがその身柄を引き取り、この家に連れ帰ったのだ。
一部始終を知っているのは、ローデシアンとドゴだけ。
二人はこの作戦に賛成し、世界から真柴を消す工作に協力してくれた。
そして今、真柴は力を使うことなく穏やかな日々を過ごしている……と信じたい。
家から出ることなく、アーフェンが作る食事を摂り、眠るだけの日々だが、あの頃よりも肉は付き、死相は消え出会った頃のような、儚いながらも生気を宿した姿となっている。
代わりにこの一年、アーフェンは討伐に出ずに書類仕事や後進の育成に力を入れた。
今までは不慣れだとか苦手だといって逃げていた部分だが、そうはいっていられない。毎日目の前で食事をするのを見届けなければ安心しないのだ。
(ちゃんと歩けるようになるまで半年かかったな……、あとはこのまま飯をちゃんと食わせて……)
その食事だってアーフェンが目の前で監視しなければ眠ることを優先して、抜くことがしばしばだ。
「あっ、パンの良い匂いだ」
階段を降りた真柴は買った焼きたてパンの匂いに顔を綻ばせた。
「なんだ、好きなのか?」
「幸せな匂いですよね。そんな気がしませんか?」
そうなのだろうか。
パンなどなくなれば店で買うのが当たり前だし、その匂いがどうなどと気にしたこともない。だがふと、小さい頃は毎朝母がなかなか起きない子供達を叱りつけて無理矢理布団を剥ぎ取っていたとき、パンの匂いが家に充満しているのを思い出す。小さな村にパン屋などなく、各家に小さいながらもパンを焼くかまどがあった。
「……そう、だな」
いつの頃か忘れてしまった、幼い頃の大事な記憶を。
そして自分が真柴にしているのも母がしていたことと同じだと思うと気持ちが和らいでくる。
「立ってないで食べろ。ほら、早く」
寝起きのぼんやりとした動きに発破を掛けるのも、同じだ。
「はい……ああ、ベーコンエッグだ。懐かしいな」
時折、真柴からは耳慣れない言葉が出る。嬉しそうにフォークを手にして、不器用に肉と卵を剥がしてはちまちまと口に運んでいる。
まるで鳥が餌を啄んでいるようだ。
(本当に、面白いな)
アーフェンもそれを眺めながら豪快に朝食を口に流し込んでいく。
下手くそながら料理をするようになってから、以前のように外食をする機会が少なくなった。馴染みの店の料理を持ち帰ることはあっても店で食べず、真柴に食べさせることを優先してきた。
孤児院でも騎士団でも、調理は専門に行う人間がいて、それが当たり前だったアーフェンは、最初の頃はとても食べられるものを作れなかった。
料理が焦げた臭いが家中に充満して、ついには近所のおっかさんたちが乗り込んできたのだ。
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