06.聖者最後の討伐
雪が溶けて初めての討伐で、真柴は馬車に乗っていた。
馬車で移動するのは、初めて討伐に参加して以来だった。
王都を抜け、休憩の度に誰かしらが真柴に文句を言おうと馬車を覗き込んで……息を飲みその場を立ち去ることを繰り返した。
十日ぶりに見る真柴は、死人そのものだった。
起き上がることもできず、一人で食事も取れないからとドゴも随行しているが、騎士団の誰かが近づく度に頭を下げる姿は痛ましかった。
幼い彼はなにも悪くないというのに。
それは真柴だってそうだ。
もっと現実を見るべきなのだ、団員も……そして自分も。
宿営地に着く度に真柴の身体を抱き上げ、寝台まで運んだアーフェンは、日に日に起きる時間が短くなり言葉を発するのすら辛そうにする真柴を見て、初めてその姿を見た瞬間を思い出した。
肉付きは悪かったが、これほどではなかった。夜空にも似た漆黒の髪は艶やかで、綺麗に短く切りそろえられていたが、今は伸ばしっぱなしの前髪は目を隠そうとしている。それが余計に悲壮な姿を強調している。
以前と違って丁重にその身体を寝台に下ろすと、落ち着いた気持ちのまま彼を見下ろした。穏やかな寝顔であるが、いつ止まっても気付かないほどに息が細く短い。
必死に残りの命の火を灯しているようだ。
神官服を脱がし、夜着に変えるのをドゴと二人で行う。
浮き出たあばら、へこんだ腹。
肉がごっそりと削げ落とされた身体は悲壮でしかない。
「すまん……俺がもっとちゃんとしていれば……聖者はこんなにはならなかった」
「……でもいずれ、こうなってたってオレ、思うんですよ。でも聖者様はいつだって頑張って笑うんです。大丈夫だって言いながら、無理してんの、隠すんですよ」
ドゴも少し寂しい笑みを浮かべている。
自分と同じような子供を作らないよう、世界を変えてくれんだと縋った存在が、自分たちのエゴで死のうとしているのを目の当たりにして、気丈に振る舞っているが彼もまた消沈している。
「そうだな……無理して笑うな……」
どんな理由か分からない。けれど真柴はいつだって無理して口角を上げ、笑っているように見せるのだ。始めはそれが不気味で、何を考えているか分からなくて怖かったが、今はなんとなく分かる。心配を掛けさせたくないのだろう、自分のことで。
気丈に振る舞って、事を荒立てないようにしている。
アーフェンよりもずっと大人な対応をしていただけに過ぎない。
騎士団の立場を危うくする存在と最初に警戒したのは、アーフェンだ。
次に騎士団のために使おうと自分勝手になったのも、アーフェンだ。
そのために生じた不利益を一身に受け止め、けれど誰にも弱音どころか文句一つ口にしない姿は、むしろ自分が夢想した騎士像そのものだった。
なんて勇ましいんだろう。
それに比べて自分は……。落ち込んで、頭を抱えてしまう。
「でも、聖者様はベルマンさんのこと、いつも凄いって言ってました。皆を引っ張って、魔獣に立ち向かって格好いいって。自分はなにもできなくて迷惑ばかりかけてるから申し訳ないって。……それって本当なんですか?」
「違うっ! ……違う、聖者はずっと俺たちを守ってくれた。神から与えられた力を使って……それで今、こんなになっている。もっと……もっと早く気付いてやれば良かった」
後悔しても、辛く当たった日々は消えはしない。
これからどうするか、あの日からずっと考えていた。
真柴を解放する方法なんて一つしかないと分かっていても、決断できずにいる。けれど、ずるずると答えを先送りにしている間にも、真柴の命は潰えようとしている。
もしかしたらあと一度、力を使ったら死ぬかもしれない。そんな恐怖が細い身体から訴えかけられる。
もう目を背けることはできない。
なぜなら……誰一人殺されることなく守るために騎士団にいるのだ。
誰も死なないために戦っているのだ。
志を貫くためには、真柴を決して死なせてはならない。けれど、生きている限り、真柴は力を使うことを強要され続ける。
「ドゴは……聖者が力を使った方が良いと思うか?」
「オレ、知らなかったんです、神官様たちの噂話を聞くまで……聖者の力が聖者様の命と引き換えに出されるもんだって……知ってたら絶対に行くのを、止めてた」
今、ドゴは思い出していることだろう、自分の目の前で死んでいった家族のことを。それはアーフェンも同じだ。
目の前で人が死ぬ苦しみを誰よりも知っているはずなのに、目の前で死にそうになっている人間になにもできない。助けたいと思うのに、助けられないまま見続けなければならないのか。
「聖者がいなくなったら、お前はどうするんだ?」
「……そんな日のことは考えたくないけど……多分……神殿で過ごして、それから聖者様に頼らなくても強くなって、オレ……騎士団に入りたいです」
「そうか……待っている。明日、俺がやることを絶対に外に漏らさないでくれ……約束だ」
心配そうに真柴を見つめていたドゴがキョトンとアーフェンを見上げた。
固い決意をした男の顔を確かめ、ドゴは静かに頷いた。
「ありがとうな。俺は団長と話をしてくる」
真柴の首まで布団を被せると、静かに部屋を出て真っ直ぐにローデシアンの元へと向かった。
珍しく書類を捲ることなく、寝台に腰掛け難しい顔をしていたローデシアンは、入ってきたアーフェンを見て、一瞬驚き、だがすぐに以前と同じような穏やかな顔になった。
「覚悟を決めたのか?」
「はい……明日、聖者を死なせます」
「それがいい。聖者なんてものは、始めからいなくていいんだ。私たちの世界は自分たちで守る、そのために騎士になったのだからな」
そう、決意して魔獣に立ち向かうために騎士になったのだ。
強要されたのでも使命と押しつけられたのでもない、自分で選んで剣を握った。
けれど真柴は?
彼は神の御使いとして自分でその役目を選んだのだろうか。
命を落とすと分かっていてこの世界のためにやってきたのだろうか。
初めてアーフェンは疑問に思った。
ドゴが教えてくれた言葉が頭から離れない。
真柴が驕った態度を見せなかったのは、自分が力を発していると自覚がないのだ。
あんなにもたくさんの人々の役に立ち、騎士団を守り続けてきたというのに、真柴にはその自覚がなかった。ただ随行しているだけと本人は思い込んでいる。力を放ったあの瞬間の記憶がなく、その後は深い眠りに就いて状況の把握もできずにいては当たり前かもしれない。
だからこそ、力を使う可能性のある討伐に随行し続ければいずれその瞬間はやってくるだろう。
だったら、死なせて存在を終わらせるのが一番だ。
死んでしまえばもう、貴族も王族もなにも言わない。これから先は騎士団だけが討伐に出て戦い、付いた傷を勲章とするだけ。
(これで良いんだ、これしかもう、方法はない)
アーフェンは強く頷いた。
「これからはもう、聖者は存在しない。俺たちの世界は、俺たちが守る」
「それでいい」
ローデシアンの久しぶりに見せる笑顔は、けれどアーフェンの心の蟠りを解かすことはなかった。
次の日、魔獣の襲撃と思われる炎により聖者の乗った馬車が突如燃え、逃げ遅れた真柴はそのまま帰らぬ人となった。
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