裏話④(最終話)


「ごめんなさい……」


 花屋で小さな花束を、コンビニでゆで玉子と昆布のお菓子、そして猫缶を買ってきたわたしはそれを道端に供え、しゃがんで両手を合わせた。


「ごめんなさい」


 もう一度、小さな声で呟く。バッハさんは生きてるかもしれない。それでも、わたしがやったことは到底許されない。


 そう思った時にポロポロと涙がこぼれ、一緒に憑き物がわたしの顔から落ちていくような気分になった。そういえばわたしは上京してからずっと泣いていなかった。いつメンのあの子たちに嗤われて悔しい思いをした時も、バッハさんにフラれた時も。何かがわたしの目と心に栓をして涙が出なくなっていたのかもしれない。


「ご、ご……ごべんなざいぃぃぃ~」


 わたしは手を合わせたまま号泣した。


 そしてその夜は悪夢を見なかった。



 ◇



 次の朝、また事故現場に行くと花以外のお供え物が全部無くなっていた。カラスかホームレスが持っていったのかも。


 わたしはもう一度、コンビニでゆで玉子と猫缶とお茶を買って供え、両手を合わせた。


「……本当にごめんなさい」


 謝罪の言葉を口にする度に、わたし自身が内側から少しずつ変わっていくような不思議な感覚があった。今まであんなものに何故こだわっていたんだろう。

 友達でもないあの子たちに見栄を張ったり、彼女たちが履いていたような高いヒールの靴を足の痛みに耐えながら履いたり、わたしには高すぎる金額の美容院で、派手すぎる色のカラーをしてみたり。

 バッハさんの事だって、最初は確かに彼を支えたいと思っていたのに。いつの間にか彼をお金で長時間縛り付けるような真似をしていた。彼をわたしだけのものにしようと執着していた。けれど、わたしが本当に欲しかったものって彼を独占する事だったのだろうか。


 ピロン


 その時、メッセージの通知音が鳴る。スマホの画面を見ると母からだった。


『最近連絡無いけど元気? ちゃんとご飯食べてる?』


 スマホのガラスフィルムの上に丸い水滴がポタリと落ちた。わたしの脳裏に浮かぶのは、田んぼと山ばっかりの緑と青の景色。上京するまでは退屈で仕方ないと思っていたのに、今はあの景色が懐かしくて堪らない。


「お母さん……」



 ◆ (後日・バッハ視点) ◆



「これで良かったのか?」


 リラさんの住むマンションから引っ越し業者がベッドを運びだし、トラックに積み込む。その様子を遠くから眺めていると、横からミケさんがボクに問いかけた。


「勿論。これで良かったんですよ」

「しかしのう……あの娘が居なくなると、もう毎日高級猫缶を食べられなくなるだろう?」


 ミケさんが本当に惜しそうに言うので笑ってしまった。そもそもあそこに花と猫缶を置いたのは、もっと怖がらせてやろうというミケさんの悪戯心からだ。

 それを、改心したリラさんが毎日ゆで卵と猫缶を供えてくれるようになったので、ミケさんはすっかり味をしめ、当初の目的も忘れてしまっていたらしい。


「リラさんには、きっと東京の空気が苦しかったんですよ」


 ひとりぼっちで上京した彼女の、その苦しさが少しでもやわらげば良いと思って優しく接していたつもりだった。けれどそれは彼女を狂わせてしまった。

 優海さんのようなまっすぐで温かい気を持つ人ならともかく、リラさんのように心が弱った人に物の怪モノノケである自分が深入りするのは危険なのかもしれない。


 ……いや、優海さんだって、ボクとずっと一緒にいて無事だという保証も無いのだ。


「ボクはしょせん、毛羽毛現ですからね」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ、なんでもありません。さ、優海さんのところへ帰りましょう」


 ボクはミケさんを促して帰途につく。リラさんが供えてくれた最後のゆで卵を食べながら。


「さようなら、リラさん」



(終)(?)

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ヅラのような本体「ボクの身体を知りませんか?」 黒星★チーコ @krbsc-k

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