完璧に幸福じゃないと惨めで男を買えない
7月(July)
仕事も家庭も、夫とのセックスも全部順調でなければ、わたしは知らない男の腕の中で我を忘れて喘げない。男遊びは現実逃避じゃなくて娯楽でなければならないから。
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欠けているものを埋めるために男を使うと、どんどん這い上がれなくなる。そして大抵、欠けていたときよりも余計に厄介な精神状態に陥るのだ。
7月も下旬になると朝からサウナ状態の日もあり、出勤時の100%遮光日傘とサングラスがマストになる。
通勤時にX(旧Twitter)のタイムラインをザッピングするのは日課になっていた。女風垢の閲覧履歴がトラッキングされているからなのか単に知名度が上がっているからなのか不明だが、最近育児垢の方にもセラピストの情報が表示されるようになって心臓に悪い。
「不倫」の後釜コンテンツのような立ち位置で、小説やドラマに女風が登場することが増えた。
しかし女が風俗を使うとき、何かしらの苦悩と共に描かれるのはなぜなのだろう。セックスレス、処女、老化。コンプレックスの解消や誰かとのセックスの代替として、セラピストの施術を受ける。
そういった層ももちろん居る一方で、単純な興味本位や「エロいことが好き」な利用者も多い。カジュアルなエロは随分前から女たちにも浸透している。
性的な行為の外注という選択肢を、男だけでなく女も取れるようになった。"女性の社会進出と性の解放"の結果のひとつが、男を金で買えるようになったことなのかもしれない。
ただそこに描かれる「買う女」たちは、それなりの"買う理由"を物語として求められる。
わたしには、世間が納得するような"買う理由"はない。
むしろ自分にとっての男遊びは、現実逃避じゃなくて娯楽でなければならないのだった。欠けているものを埋めるために男を使うと、物事は悪い方向に進む。
仕事も家庭も上手くいっていて、夫とも月一程度でセックスをする。満ち足りた生活基盤がある上で、なお趣味として遊ぶのが性に合っている。
(と言うと、いい女のように聞こえるけど)
実際は、男遊びを趣味という位置に置いておきたいというプライドが無駄に高いだけ、なのだ。満たされない何かを風俗で埋めることは惨めであるという考えが、どこかにある。
「吸うやつ、どこだっけ」
夫が、ハンディ掃除機のことを"吸うやつ"と評するたびにドキッとする。
「テレビの裏にあるよ」
"吸うやつ"とは吸引式の女性向けアダルトグッズの愛称なのだが、女風セラピストの所有率が高い。私の指名セラピストは3種類保有しており、わたしも別の種類をひとつ自宅のベッド下に隠している。
「何この雑誌、面白い記事あった?」
夫はソファの隙間をハンディ掃除機できれいにしながら、わたしが置きっぱなしにしていたananのSEX特集を指差した。
「すごいよ、最近の特集にはちゃんと性的同意の話とか入ってんの」
「へえ…時代だね。しっかりしてる。あ、これ買おうよ」
夫がパラパラと雑誌をめくり始めた。最新アダルトグッズのページを開いている。
「このグネグネしてるやつ。結構いい値段するんだな」
「どれ?ああこれかあ、大きくない?入るかな」
ソファに腰掛けると、夫が隣に座って肩を抱いてきた。
「アレクサ、リビングライト消して」
夫のその言葉と共に、わたしはソファに押し倒された。
夫とのセックスがなくなったら、わたしは逆に女風を利用できなくなるだろう。セックスレスの代用品としてセラピストの施術を受けることは、自分のつまらないプライドが許さない。
セックスレスを解消しなければいけない、抱かれるような女にならなくてはいけない、とタスクを積み上げ、意識をそちらにだけ向け続ける。
もしかしてここ最近わたしは、セラピストとの逢瀬を続けたいから夫との関係維持に努めている側面があるのではないか。
首筋から乳房に流れていく夫の唇の湿度を感じながら、ぼんやりと浮かんだ仮説は空恐ろしかった。
もはや週一という頻度になった「趣味」は、色恋の要素がより濃くなってきていた。
わたしが完璧に幸福でいる限りは、指名セラピストへの恋心も娯楽だと言い切れるだろうか。
即メン、新宿16時、ホテル先入りで 街子 @tokyomidnightlovers
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