第7話 三谷解①

字が、文字が、書けない。


最初に違和感を持ったのは、幼稚園に通っていた頃。


母の日のプレゼントとして絵を描こう!ということになったときだった。


いつも、ずっと一緒にいるはずの母親の顔がどうしても思い出せなかった。


うっすらと、ぼんやりとは思い出せるが、どんなに思い出そうとしても、頭の中に白いモヤがあって、それが邪魔した。


写真をみれば書ける。


字だって、絵だって。


問題は自分の脳みそから取り出す、ということがうまく出来ないことだった。


小学校に入学するまでは、文字や絵を書くことが不得意な子として扱われた。


幼稚園だったから、先取りとしてひらがなやカタカナ練習を練習する機会があったが俺は専らダメだった。


小学校に入学するまでにはなんとかしようと、母親と毎日ひらがなドリルと向き合った。


朝起きてひらがな。帰宅後ひらがな。お風呂ではひらがなポスター。寝かしつけはひらがなの絵本。


母親はずいぶんと頑張ってくれた。


小学校に入って困らないように、と毎日毎日練習に付き合ってくれた。


俺もその期待には応えたいと思ったし、応えようと思った。


でも、俺がひらがなをようやくマスターした頃には周りはカタカナが終わっていて、カタカナをマスターした頃には漢字が書けていた。


学年が上がるに連れて、周りとの差は開くばかりで、ノートを取るのも間に合わないし、図工も苦手だし、テストもいつも最下位だし。


俺は担任のすすめもあって、ひらがなカタカナ一覧と小学校低学年の漢字一覧を持ち歩いていた。


というのも、思い出せないから書けないだけで、見ながらなら余裕で書けたし、今自分が求めている字がこれだというのも分かったから。


テストの時なんかも担任の許可を得て、一覧を持ち込んでいた。


が、それをよく思わない同級生がいたのだ。


小学校3年生のとき、あるひとりの男子が俺に向かって「お前バカじゃん」と言い放った。


そいつに同調するように頷いているやつもいたし、「テストもひとりだけズルしてしな」「そうだそうだ」とかけ声を上げるやつもいた。


その日以降、俺のあだ名は「バカ谷最」となり、事あるごとに揶揄われるようになった。


担任が止めてくれたり注意してくれたりもしたけど、歯止めは効かず、


小学校4年のある日、俺は教室に入ることができなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バカ部! 桐崎りん @kirins

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る