第十九話 違和感

「ただいまー!」


 玄関のドアをガチャッと開けて、大きな声で言う。

 なんだか声を出すのが気持ちよくて、いつも通りの挨拶も楽しい。


「おかえりなさい」


 お母さんの声を聞きながら手を洗って、階段を駆け上がる。

 二階の自分の部屋に入って、部屋着に着替えた。

 ランドセルから取り出した二つの台本と筆箱を、学習机に置く。


「ごめんなさい、宿題は後でちゃんとやります!」


 宿題が大事なのはわかるけど……先に台本の確認をしても、いいよね。

 だって早く見たくて、帰ってくる時もそわそわしてたんだもん。


 石黒先輩から借りたのは、友梨奈ちゃんの台本。

 友梨奈ちゃんはすごく一生懸命だったって聞いたけど、やっぱり台本にもいっぱい書き込んでるのかな。

 ドキドキしながら、友梨奈ちゃんの台本を見る。


「わ……すごい」


 瞬間、思わず声が漏れた。

 色んな色のペンで、想像を超えるくらいいっぱい、書き込んであったから。

 ほとんど赤ペンだけど、青や緑も使ってるみたい。

 息継ぎのところに印が入れてあったり、“悲しそうに”とか、“小声で”って、メモがしてあったり。

 すごくわかりやすいし、いっぱい努力してるのが伝わってくる。

 でも、何よりすごいのは――これを、全部のセリフに書いてること!


「これ、友梨奈ちゃんは何役だったのかな?」


 わからなくなるくらい、どの役にも完璧に書き込んであった。

 他の子にアドバイスしたり、他の役のイメージを、自分に活かしたりしてたのかな?


「友梨奈ちゃん、こんなに一生懸命だったんだ……」


 私の何倍も書き込まれて、何倍も使い古された台本。

 私はまだもらったばかりだけど、多分本番が終わっても、こんなにぼろぼろにならないと思う。

 記号や短い言葉を使ってるからすっきりしてるけど……すっごく沢山のことが書かれてるみたい。

 

 友梨奈ちゃんは演技が大好きで、一生懸命だとか、上手だとか。


 そう言った春日井くんや石黒先輩は、どこか誇らしそうだった。

 こんなに頑張れるのは、それだけ演技が好きだからだよね。

 演技にまっすぐ、一生懸命取り組んでたんだね。


「……私も頑張ろう」


 友梨奈ちゃんの台本を見てると、ますますやる気がわいてきた。

 私も、友梨奈ちゃんくらい頑張りたいって、そう思えたんだ。


 **


 台本の書き込みも宿題もバッチリ終わらせて、寝るのはちょっと遅くなっちゃったけど……今日もちゃんと早起きできた。

 登校したばかりなのに部活が待ち遠しいな、なんて思いながら廊下を歩いていると――ばったり、二組の教室から出てきた子と目が合った。


 可愛いヘアピンで飾った、青色のショートボブ。

 私のことを見る、丸くなったあずき色の瞳。


「――友梨奈ちゃん!?」


 間違いなく、友梨奈ちゃんだ。


「な、何よ」


 きゅっと眉を寄せた友梨奈ちゃんが、睨むように見てくる。

 駆け寄って、慌てて返事を考える。


「えーと……ひ、久しぶり?」


「そうね」


 短く答えた友梨奈ちゃんは、ぷいっと顔を逸らしちゃった。

 とっさに声をかけちゃったけど、どうしたらいいんだろう……。


「あっのね、友梨奈ちゃんの前の台本、石黒先輩に貸してもらったの。すっごくいっぱい書き込んで、すっごくいっぱい練習したあとがあって……すごいね!」


「……どうして借りたの?」


 慌てて話すと、顔を背けたままの友梨奈ちゃんが、視線だけでこっちを見た。

 何を考えてるのかあんまりわからないけど……怒ってるわけじゃ、ないみたい?


「私も、もっと上手くなりたいから! 書き込み方がわからなくて、見本に貸してもらったの」


「そうなの」


 友梨奈ちゃんの眉が、ちょっとだけ柔らかくなって……すぐにきゅっと寄せられた。

 短い言葉からは、やっぱりどんな気持ちかわからなくて。

 なんだか、必死に気持ちを隠してるような感じがする。


「友梨奈ちゃん、演技が大好きなんだよね。大好きで一生懸命なんだって、台本を見るだけでわかって……びっくりした」


「ええ、大好きよ。大好きだから本気でやってるの」


「当然でしょ」なんて、友梨奈ちゃんは涼しい顔で言った。

「うん、私も」って答えたら、友梨奈ちゃんの口元が少し緩む。


「なのに部活来ないの? ……演技、したいんじゃないの?」


「わざわざ部活に行かなくたって……演技は、一人でもできるわ」


 そっと目を閉じて言う友梨奈ちゃんの声が――私には、なんだか嘘をついてるように聞こえた。


「できないよ」


「できるわよ」


「できないよ!」


 私の声が大きくなって、友梨奈ちゃんがびっくりしたみたいに目を開く。

 できないよ、だって。


『声劇は、一人で作り出すものじゃない。俺たち声劇部だからこそ作り出せる物語がある』


 って、石黒先輩が言ってた。

 みんなと一緒だからこそできる演技があるって。

 それに――。


「演劇って、みんなで一つの舞台を作りあげるんだよ。そう教えてくれたの、友梨奈ちゃんでしょ……?」


 あの日の友梨奈ちゃんもそう言った。

 私、ちゃんと覚えてるよ。


 友梨奈ちゃんの目が、最初より大きく丸くなって……ぎゅっとキツく閉じられた。


「…………放っといて」


 そのままくるりと身体の向きを変えて、二組の教室に入っていっちゃった。

 やっぱり、変。ちょっと苦しそうだ。


「おはよーさとちゃーん! こんなところで何してるの?」


「あっ、おはよう。……友梨奈ちゃんと、話してたの」


 大きな声で挨拶してくれた春日井くんが、すぐ近くまで走ってきた。

 私の言葉を聞いて、二組の教室をじっと見てる。


「ゆりちゃんと……どうだった?」


「放っといてって、言われちゃった」


 自分でもわかるくらい、私の声が沈んでる。

 だからかな、沈んだ空気を持ち上げるみたいに――春日井くんは「そっかぁ!」と大きな声を出した。


「おれもよく言われてたから大丈夫だよ! それで放っとかなかったら怒られちゃった、『晴斗はうるさいから気が散るの、今は一人で考えさせて』って!」


 友梨奈ちゃんの物真似、ちょっと似てるかも。

 二人のやりとりが想像できちゃうよ。


「ちょっとの間そっとしてたら、また話しかけていいようになるんだ。今もさとちゃんと話して、一人で考えたくなったんじゃないかな」


「……春日井くんは、友梨奈ちゃんのことよくわかってるんだね」


 私の言葉を聞いて、春日井くんは小さく首を横に振る。


「よくは、わからないな。でも……ゆりちゃんのこと大好きだから、ちょっとはわかってるつもり!」


 春日井くんはにかっと、明るい声で言って笑う。

 眩しくて、心をあっためるような笑顔。


「ほら、教室行こ! 今日も練習するよね?」


 明るくて元気な春日井くんを見てると、まるで私も明るくなれたみたいに、ふっと心が明るくなる――はずなのに。

 何でかな。まるでズキッってくいを打たれたみたいに。

 体が固まって、すぐにはそこから動けなかった。

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