第七話 絶対大丈夫!

 春日井くんは目を閉じてもう一度深く深呼吸をしてから、一行目を読み始める。


『――あるところに、貧しい四人家族がいました』


 昨日と同じように、はきはきとした聞きやすい声。


『このままじゃ、すぐに食べるものもなくなっ……てしまうわ』


 そのまま妃華先輩のセリフも皇先輩のセリフも、順番通りに読み上げていく。

 ……確かに先輩達と比べたら、あんまり上手じゃない、かも……?


『でも……』


 昨日もその前も、みんな自分の役のところしか練習してないみたいだった。

 だから多分、ナレーション以外はぶっつけ本番だよね。


 『実はヘンゼルとグレーテルは、この話を聞いていたのです。翌日――』


「本当に下手じゃんー」


「一年やってこれ?」


 春日井くんの声劇を聞きながら、みんなはひそひそくすくす、笑ってる。

 面白いから笑ってるだけ。春日井くんを傷つけたいわけじゃない。

 わかってるけど……頑張ってる人を笑うなんて、よくないんじゃないかな。


 頑張ってる時に他の話をするのは、よくないんじゃないかな。


 なんて、思っていたら――。


『――大丈夫!』


 みんなの声を――一層大きな声がかき消した。

 台本を眺める緑色の瞳が、キラキラッと輝く。


 悲しむグレーテルを、ヘンゼルが励ますシーン。

 そのセリフには他より何倍も――強い気持ちが込められてた。


 明るくて、あったかくて、まるで……春日井くんが「平気だよ」って言ってる気がした。


『僕にまかせて。いい考えがある!』


 噛んだり引っかかったりして、すらすら読めてない。

 あんまり気持ちが込められてなくて、“セリフ感”がある。

 でも――春日井くんの声からはずっと、一生懸命な気持ちと、演技が楽しいって気持ちが伝わってきた。


 確かに、演技が上手じゃないのかもしれない。

 だけど上手じゃなくたって――とっても素敵だよ。


『こうして、ヘンゼルとグレーテルは森の奥に入っていきました――』


 というナレーションのセリフを言って、春日井くんは台本を置いた。

 きっと何度も練習した、春日井くんのセリフ。

 はっきりした声でスラスラ言えてて、すっごく上手だった。


「――って感じの劇を練習してます!」


 みんなはやっぱり、ちょっと春日井くんをバカにするみたいに笑ってる。

 だから私はめいっぱい、手を叩いた。


 ――パチパチパチ……。


 そしたら一人、また一人って、みんなも一緒に拍手してくれる。


「聴いてもらった通り、おれは演技ができない! でも……部長に話を聞いた時、『絶対声劇部に入りたい!』って思ったんだ。演技ができなくても――やりたいって気持ちを、なかったことにしたくなかった!」


 春日井くんは自分のやりたいことに真っ直ぐで、かっこいい。

 みんなに笑われたことも、失敗しちゃったことも気にしてない。

 ……私も見てる人の声が聞こえなかったら、春日井くんみたいにできたのかな。


「勇気を出して入部して、ここまでできるようになったんだ。これからもっと練習して、もっと上手くできるようになる!」


 ――ううん、違う。違うよ。

 春日井くんは、聞こえないから堂々と演技ができるんじゃない。

 聞こえてたけど、気にしなかったんだ。

 楽しい、やりたいって気持ちで――不安なんて、全部吹っ飛ばしちゃうんだよ。


「もし部活をやってみたいのに自信がないって子がいたら、やってみたらいいと思います。やりたいって気持ちがあったら、絶っ対大丈夫だから!」


 春日井くんの緑色の目が、まっすぐに私を見る。

 その言葉に、その視線にはっとした。

 やりたいって気持ちがあったら、大丈夫……?


「……ってわけで、みんなも部活やってみよ! 声劇部、興味あったら来てね」


「勧誘かよ!」


 誰かがするどいツッコみを飛ばして、またみんな笑いだす。

 先生もちょっと笑ってて、嬉しそう。

 小学部の入部率が低いって言ってたし、勧誘してくれて嬉しいのかも。


「話は終わり! ありがとう!」と言って、春日井くんは教卓からはなれた。

 みんなに手を振りながら、こっちに近づいてくる。

 私もとっさに席を立って、春日井くんにかけよった。


「全然できてなかったでしょ、演技」


 春日井くんは苦笑いしながら、だけど元気に言う。


「ううん。春日井くんが目指してるくらい上手ではないのかもしれないけど……春日井くんの気持ちが伝わってきて、素敵だった……!」


 だから私ははっきり、そんなことないよって伝える。

 さっき、春日井くんが真っ直ぐ気持ちを伝えてくれたみたいに。


「一生懸命楽しくやってるんだから……下手でもできてなくても、素敵だよ」


 春日井くんはにこっと笑って――台本を、私に見せるように向けてくる。


「ありがとう。それは、さとちゃんも! だよ?」


 私も……私も?

 勇気を出せば、下手でも一生懸命頑張れば、楽しめば――。


「やりたいって気持ち、隠しちゃったらもったいないよ!」


 やりたいって気持ちに、正直になればいいのかな。


 そっと、胸に手を当ててみる。

 この胸の高鳴りを――やりたいって気持ちをなかったことにするのは……もったいない?


「……ふふっ、あははは!」


 ドキドキって心臓の音を聞いて、笑っちゃった。

 だって、それはびっくりするくらい大きくて。

 やりたい! って、言ってるみたいだったの。


「……そうだね」


 ――うん、もったいない。

 だってこんな気持ち、いままで味わったことないんだよ。

 ……だから――!


「……春日井くん、今日も、声劇部に行ってもいいかな?」


「来てくれるの!?」


 春日井くんはちょっとびっくりしたみたいに、目を丸くした。

 まん丸な緑色の目は、キラキラと期待で輝いてる。

 勝手に笑顔になっちゃう口で、正直に自分の気持ちを話す。


「うん! 私、みんなにお願いがあるの!」


 私の言葉を聞いて、春日井くんがもっと嬉しそうに笑う。

 台本を持ってない方の手で、私の手をにぎった。


「嬉しい! そうと決まれば、早速行こ!!」


 そのままクラブ棟目指して、走り出しちゃった!?


「春日井くん!? ちょっと待って!?」


 引っ張られて教室を出ちゃったけど……ランドセル忘れてるよぉ!


 そんなことも気にせず足を動かす春日井くんを、廊下にいた人が引きとめてくれる。

 中学部の制服を着た、ふわふわの白い髪のお姉さん――妃華先輩だ。


「あれ? あ、妃ねぇ!」


「晴斗くーん、どうしてそんなに張り切ってるのかはわからないけれど……」


 春日井くんが走り出さないようにえりを掴んで、妃華先輩はにこっと笑った。

 そりゃあ、止められて当然だよね。


「クラブ棟は、そっちじゃないわよー?」


「……あれれ?」


 だって春日井くん、真逆に行こうとしてたんだもん。

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