第三話 二回目の見学

 昨日の声劇、本当にすごかったなぁ……。

 って、いけないいけない! ちゃんと先生の話を聞かないと。


 今は授業が全部終わって、帰りのHR中なの。

 つまり――これが終わったら、声劇部に行ける。

 そう思ったら楽しみすぎて、つい昨日のことを考えちゃった。


 先生からの連絡事項が終わると、「起立」の号令で席を立って、さようならの挨拶。


「さとちゃーん! 今日も見学来てくれる?」


 ランドセルを背負おうとすると、春日井くんが元気よく声をかけてきた。

 もうちゃんとランドセルを背負ってて、準備万端! って感じ。


「うん。お邪魔してもいいかな?」


 春日井くんが本当に嬉しそうな声で言ってくれるから、ますます行きたくなっちゃう。

 休み時間、春日井くんがいっぱい話しかけてくれて――さとちゃんって、可愛いあだ名までつけてくれたんだよ。

 私はちょっと引っ込み思案で、新しい友達にぐいぐいいけるタイプじゃないから……仲良くなるのに、時間がかかっちゃうことが多いんだ。

 昨日もケンカかと思って飛び込んだけど、その後はほとんど下を向いちゃってた気がする。


「いいよいいよ、むしろ来て!」


 だから春日井くんがいっぱい声をかけてくれて、一気に距離が縮まった気がして、すっごく嬉しかった。


「行こっか!」


 私がランドセルを背負ったのを見て、春日井くんは弾けるように笑った。

「うん!」と返事をして教室を出ようとすると……。


 春日井くんがすごい勢いで、教室を飛び出していっちゃった!?

 えええ、待って、廊下を走ると危ないよ!


「春日井くん、ちょっと待って――」


 小走りで廊下に出ると、春日井くんが誰かと話してるのが見えた。


 春日井くんより少し背が高くて、中学部の制服を着た――綺麗な白髪のお姉さん。

 昨日、声劇部にいた人だ……!

 お姉さんはすぐに私に気づいて、にこっと微笑んでくれた。


「あらー聡美ちゃん、授業お疲れ様」


 ふんわりとした柔らかい声で、優しく言ってくれる。

 聴いてたらなんだか癒されちゃうような、素敵な声。


「ありがとうございます。えーと……」


 そういえば、お姉さんの名前を知らなくて、言葉につまっちゃった。

 困ってるってバレたみたいで、お姉さんはくすっと笑った。


「ごめんなさい。名乗ってなかったかしらー」


 のほほんと言ったお姉さんが、真っ直ぐに私を見る。

 黄色い目をきゅっと細めた笑顔が、とっても綺麗だった。


「わたしは白樺しらかば妃華ひめかよ。中学部の二年生で、一応副部長をしているの」


「妃華って呼んでねー」と、お姉さん――妃華先輩は優しく言う。

 可愛らしくて優しい笑顔は、おとぎ話に出てくるお姫様みたい。


煌輝こうきくんにも自己紹介してもらわないとねぇ。一緒に部室行きましょうか」


「はい」


 春の日差しでぬくもった廊下を、三人でのんびり歩く。

 遠足みたいねー、と、妃華先輩は嬉しそうに笑った。

 私と春日井くんがとことこついて行くから、先生気分なのかな。


「ところで妃華先輩、どうしてわざわざ小学部まで?」


 一歩後ろをついていきながら、ピンと伸びた背中に声をかける。


「迎えに来たのよー。迷子になったら大変でしょ?」


「春日井くんがいるから大丈夫なんじゃ……?」


 私は一回しか行ったことがないから、心配されるかも。

 でも春日井くんと同じクラスだし――不安なら、春日井くんにお願いしたらいいんじゃないかな?

 私の疑問を察して、妃華先輩はふふふっと笑った。


「晴斗くん、すっごく方向音痴なの」


「方向音痴って、部室に1人で行けないくらいなんですか……?」


 迷子になっちゃうのは、わかるよ。

 地図を読むのって難しいし、初めて行ったところなら全然わからないよね。

 でも、学校の中でそんなに迷うかな?


「うん。気づいたら中学部とかにいるんだ!」


「え、えぇぇ!?」


 私たちもう、五年生だよ?

 そもそも中学部に行くには一旦外に出るか、クラブ棟を通らないといけないはずなんだけど……。


「本当に不思議よねぇ」


「登校も班じゃなかったら無理かも!」


 妃華先輩は困ったように眉を下げてるけど、春日井くんはあんまり気にしてないみたい。

 そんなに方向音痴だったら、すごく大変なんじゃないかな。


「中学生になったら、登校班じゃなくなるよ? 大丈夫なの?」


 春日井くんは「大丈夫!」と大きな声で、元気よく答えた。

 そんなので、一人で学校に辿り着けるの?


「登校班について行くから!」


「ぷっ!」


「何で笑うんだよ!?」


 春日井くんが面白くて、つい吹き出しちゃった。

 そんなに笑われると思ってなかったみたいで、春日井くんはびっくりしてる。


「ごめん……登校班の一番後ろに、1人だけブレザーのお兄さんがいるとこ想像して、面白いなって」


「それは確かに、面白いかも」


 私が笑いを堪えながら言うと、妃華先輩もふふっと笑う。

 小学部は班ごとに登校するけど、中学部になったら、各自で登校するようになるんだ。

 中学部の先輩が登校班に混ざってたら……ちょっと、面白すぎるよ。


 そんな話をしながらだと、教室からクラブ棟まであっという間。

 クラブ棟の一番奥、声劇部の部室の前に、中学部の制服を着た人が立ってた。

 サラサラの金髪と水色の瞳が特徴的な、背の高い男の人。

 声劇部の、演技が上手なお兄さんだ。


「あ、煌輝こうきくーん」


 妃華先輩も気が付いたみたいで、小さく手を振ってる。

 お兄さんも私たちを見て、綺麗な笑みを浮かべた。


「お疲れ様、妃華。一人で行かせてごめんね」


 部室の前に着くなり、お兄さんは申し訳なさそうに眉を下げた。

 イケボっていうのかな、落ち着いてて優しい素敵な声。


「いいのよー。煌輝くんが行くと大変だから、来ないでくれて助かったわ」


 妃華先輩はさらっと言ってるけど、行くと大変ってどういうことだろう。


「律くんならもう部室に――」


「煌輝くん、先に自己紹介してあげて?」


 妃華先輩がスパッと言うと、煌輝先輩が目を丸くする。

 すっかり忘れてたみたいで、困ったような顔で私の方を見た。


「ごめんね。忘れてたよ」


「こちらこそすみません。三波みなみ聡美さとみです」


 私がぺこりと礼をすると、煌輝先輩はもともと綺麗な姿勢を正して、丁寧に礼をした。


「僕は中学部二年のすめらぎ煌輝こうき。よろしくね、聡美さん」


 皇先輩は、青い目を細めて微笑んだ。

 その笑顔もとっても綺麗で、妃華先輩がお姫様なら――こっちは王子様みたい。


「律くんならもう来てるよ」


 皇先輩はドアを開けて、私たちに入るよう促した。

「ありがとぉ」と入る妃華先輩にならって、お礼を言ってから部室に入る。


 部室に入ると皇先輩の言う通り、石黒先輩がいた。

 石黒先輩はみんな――特に私を見て、ニッと笑う。


「お! 今日も来てくれたのか三波! それで、入部してくれる気にはなったか?」


「あ、私……ええーと……」


 石黒先輩に悪気はないんだと思う。

 むしろ、私が言いやすいように聞いてくれてるんだよね。


 でも――ちょっと、ひやっとしちゃった。

 昨日の声劇を見て、いいなって思った。


 だけど私に声劇なんて、絶対できない。だから入部は……。


「あまり急かさないであげよう。聡美さんはゆっくり決めたいと思うよ」


「そうだな……悪い」


 皇先輩が、助け舟を出してくれたみたい。

 困ってたからありがたいけど……返事を先延ばしにしちゃって、いいのかな。

 もやもや考えてたら、石黒先輩は切り替えるようにパンパンと手を叩いた。


「じゃあ、練習するか! 三波もいるし、いいとこ見せてやろう!」


「はーい!」


 みんな返事をして、それぞれ準備を始めたみたい。

 置いた鞄やランドセルの中から、台本らしきプリントの束や筆記用具を取り出してる。

 私はどうしたらいいのかわからなくて、とりあえずランドセルを置いて床に座る。

 みんなも準備ができたみたいで、輪になった。


「よーし、最初から通すか!」


 大きな声で言った石黒先輩が、そっと目を閉じた。

 他のみんなも目を閉じたり、深く息を吸ったりしてる。

 石黒先輩は目を開けて、小さく手を振って合図をする。


『――あるところに、貧しい4人家族がいました』


 合図をうけた春日井くんが、最初の一言を発する。

 ――始まった途端、風が部屋中をかき回したみたいに、がらりと空気が変わった。

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