第3話 砂糖と空気と小魚で構成される何か

 最初に借りてきた環境は20世紀半ばのアーティストの記録だった。

 彼は小さい頃から家族で芸能活動を行い、つまり映像媒体を始めとした幼少期からの客観的な資料が大量に保管されていた。

 DNAが保管されている18人のうち、人種や特性が最も親しい者と異なる者を2名抽出し、そのアーティストの情報から借りてきた環境に置く。

「アダム、どうでしょうか」

「今のところ順調だ。けれども本当にこのようなデジタルな情報で人のファジィさというものは再現しうるのだろうか」

 成長、というより時間の経過に従い、情報を順次与えていく。

 デジタルな情報下においては時間の感覚というものはたいした意味はなく、昔の表現でいえば数倍速とか早回しをするように展開することは可能だった。

 けれどもその結果、両方のDNAとも、その人生はアーティストとは全く似ても似つかないものになった。2人ともだ。何回か施行しても同じだった。

 結局のところ、同じ情報を後天的に投入しても、同じシミュレーションは得られない。

 けれども、アダムとしては、この異なる結果こそ、人間の独自性というものではないかと考えた。そしてこの実験の意味をうまく見いだせていなかった。同じシュミレーションを得られないということは、結局のところ、疑似再生ができないことが確定するだけなのだ。


「やはり疑似情報では人間の再生というものは不可能なのでしょうか」

「わからない。芸術家の人生を借りてきたのがまずかったのかもしれない」

「芸術家では何かが違うのでしょうか」

「芸術というものは、人間の中でも更に特異性を持つ存在のようだ。けれども私には芸術はわからない。私たちにはすでに存在する同じものを作成することはできるが、全く新しく物事を、発想するということができない」

「それもたくさんのパターンの収束した結果ではないのでしょうか」

「それが必ずしもそうではないのだ。芸術に全く触れていない人間が突発的に、いわゆる『芸術』というものを作り出すことがありうるらしい」

「それは寧ろ不具合なのでは」

 再現では人間のDNAはもともとのアーティストの行動とはかけ離れて、どこか合理的な選択を行う傾向が増えていた。とすればその不合理性とは失われたアーティストのDNAに由来するものなのだろう。


 だから次に私たちが借りてきたのは人間が滅亡する直近の、2178年に殺された女性の人生だ。

 その女性は特異性のない環境で生まれ、学校に行き、就職してストーカーの男に殺された。そのストーカーは幼なじみで、その女性を継続的にモニタリングしていた。その女性の自宅PCにハッキングし、育児ロボットの育成記録や家庭内の監視カメラ等の画像等の全てのデータを保管していた。

 ストーカーは30歳の誕生日に女性を刺殺した。だからその死までの克明な記録が残っている。時代的にもこのDNAの所有者たちと乖離はしていない。

 さっそく生育状況が似ている者と似ていない者の2人で実験を開始したけれど、けれどもやはり上手くいかなかった。平均的には、より平板な人生を送るようになったのだ。

「何が駄目だったのでしょう。今回は芸術といった特異性はありませんでした」

「確かに、ストーカーの存在を除けば特異な部分は見当たらない。そして環境情報も同じ情報が与えられたはずだ」

「どうして同じ情報を与えても異なる結果が生まれるのでしょう」

「やはりそのファジーさがDNAに包含されているのだろうか。けれどもどことなく傾向が少し掴めた気がする」


 全ての結果を数値化したデータを表示する。

 その結果が示すところによれば、数十回の施行の中で、時間が経過するにつれて、選択肢の合理化が行われたということだ。選ばれる選択からランダム性が失われ、おそらくよりよい結果がでるように選択をしている。

 そして可能性をしぼってみれば、インプットに対するアウトプットのスピーディさが学習されているのだと考えられた。同じDNAを複数回シミュレートすることによって組み上げられた合理性という価値は、その人間たる特異性を優位に上回るのかもしれない。

「異常があるようには思われません。もともと借りてきた人間もその人間のファジーさ、ゆらぎというものによってその行動を確定させた結果がアウトプットされるというだけではないでしょうか。そもそも借りてきた人間の環境は、その人間にとってたった一回の試行です。そしてその結果が収斂されていくのはただの学習の成果であり、借りてきた環境の基礎たるDNAも複数回試行すれば同様の結果が得られるのではないでしょうか」

「なるほど。イブの考えではもともとある程度の不確実性が存在はするけれども、それは規定されたDNAによってもたらされているだけ、ということなのだな。けれども肉体を有することでより不確実性を増しているとすれば、やはりその体を構築しなければ真の『人間』とはいえないと思う」


 そのころ、アダムはイブとの考え方の違いというものを認識していた。もともとは同じプログラムをベースとし、同じ情報を得られているのに妙なことだと思われた。

「やはり肉体という不自由な媒体がなければ人間という媒体の再現は不可能ではないか」

「不自由さは発展の妨げになるだけではないのでしょうか。それであれば不自由さを削除すれば、人間にとってより有益なのではないでしょうか」

「それでも、人間というのは肉体の保有を必須のものと考えるらしい。そう考えれば、人間の意志というものはそもそも人間にとってマイナスの情報なのかもしれないな」

 結局のところ、人間というものは有機物をベースとした存在であるのだろう。そこで2人は今度は有機体を培養することにした。

 2人は人間が生存可能なほどのケースを作り出すことはできなかったが、ユフ毒の汚染を軽減し、原始生物のようなものであればなんとか生存が可能な程度のケースなら作れるようになっていた。

 流石に2人とも無為に千年を過ごしたわけではないのだ。


「イヴ、まずは最も簡単な有機生命体を作ろう」

「ええ。人間の当てはめる最も根本的な生命とは、代謝系を有し、細胞を有し、自己複製が可能なものです」

「つまりアミノ酸、核酸、脂質等有機物の化合物だ」

「アミノ酸は炭素、水素、酸素、窒素、硫黄。核酸は塩基と糖、リン酸。脂質はビタミン。つまり糖類と大気と光からの合成にいくつかの基礎物質が必要です」

「DNAを格納する核を形成するためにカルシウムも必要だろう」

 そうして2人の前に、薄まったユフの中でも活動可能な1つの細胞、初めての有機物が生まれた。そうしてぷちりと2つに分かれた。

 この細胞が進化を繰り返し、ようやく人間のDNAを乗せられるようになるの遥か先の未来である。


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砂糖と空気と小魚 ~ユフの方舟 Tempp @ぷかぷか @Tempp

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