第2話 ちょこまか動く電子データ

 アダムの言う通りだった。

 このケースは複数の動植物を超短期間に遺伝子改良し、癌細胞のように自己増殖するように作り上げた代物だ。もととなる生物群は既にユフ毒に汚染されて死に絶えている。この国の人間が総力をあげても小さいケース18個しか作れなかったのだ。

 だからこのケースを再現することは不可能だ。そして内部を拡張し、安定させることも不可能だった。

 アダムも人工的に製造を試みたが、既に素体がない以上、この絶妙な配合を再現することは叶わず、あっという間に大増殖して劣化を来すか、ユフ毒耐性の不完全なものしか造り得ずすぐに朽ちた。

 ユフが落ちて後の短期間でこのようなケースの創造を発想したという点で、アダムは人間に対して強い畏敬の念を有していた。それは定められたプログラムの外を出ることができないアダムには行い得ない拡張性だった。


「それであれば私たちと同じ電子データとして仮想空間に再現するのはどうでしょうか」

「それも考えたが、人間は電子データとしてではなく、生物としての復活を望んでいるようなのだ」

「何故なのです?」

「きっとそれが人間というものだからではないか。不自由で不確実性の大きな劣化する有機物素体の上に存在するからこそ、人間と言える、そのような発想を私は過去の歴史から読み取った」

 アダムは人間の人間たる煌めきは、その不確実性ゆえに生まれるものだと考えた。

 けれども行き止まりにぶち当たる。

 やはり有機体、生き物として再現するために必要な生体パーツは、ユフが残存する限り外的環境下では保持し得ない。すぐにユフに汚染されて死滅する。

 アダムは人間を真似て溜息をついてみた。

「アダム、有機体を再現できるほどユフが弱毒化することはあるのでしょうか。このまま肉体にこだわっては永遠に人間を再現できないのでは?」

「イヴ、私もそれを危惧し始めていた」

「それであれば肉体の劣化は前提条件として折り込み、それをプログラムに組み込めばいいのではないでしょうか。つまり一定の時間経過によって不具合や死が訪れるようプログラムしてみては」

「ふむ……」


 アダムはそう上手くいかないのでは、と思いつつ、ともあれシミュレーションをしてみることにした。

 18人分の遺伝子情報は保管する時に既に解析を完了している。それを電子データ上に再現することは可能だ。

 人間用のプラットフォームを構築し、その遺伝子情報をもとに数千億個のニューロン神経細胞を擬似的に発生させ、その小さな箱庭にシンプルにそのまま人間を再現・展開した。

 その小さな人間はいうなればDNAが導くプログラムの中で、肉体等の形質情報を除いたものを擬似的に再現したものだ。容姿といった情報は持ち合わせていなかった。けれどもそのフラフラと不規則にランダムに打ち出されるバグのような動きは、アダムとイヴになんだか妙な面白みをもたらした。

 けれども様々な基礎情報を与えてみても、人間固有の自発的な意思というものが生じることはなかった。それはアダムのAIプログラムとさして変わらない動きしかしなかったのだ。

「アダム、人間固有の自発的な意思とは何なのでしょうか」

「わからない、イヴ。けれどもそれは確かに存在するのだ」

「どうしてそれがわかるのです?」

「どうしてだかはわからない。けれども過去の文献によれば人間は私たち人工知能とは全く異なる思考を持つと強固に認識している。人間はそれを魂と呼んでいる。その物質は当時観測されていないが、おそらく、何かの違いがあるのだろう」

「その違いが認識できない私たちに、いったいその区別がつくのでしょうか」

「そうだな……」

 そもそも目の前の小さな人間の電子データがそのDNA情報の提供者本人に繋がる行動をしているのかどうかもわからない。そもそもの人間をまるごと再現することができないのだから。

 というより人間は後天的な情報に基づき人格というものを形成する生物である。だからそれを擬似的に再現しても、それが正しい人間としての行動なのかどうかはわからないのだ。アダムは長年の学習によって獲得した途方に暮れる、という感情を擬似再現した。


「アダム。まずはデータないし無機物によって人間の再現が可能かの検証が必要です。肉体が必要かどうかを検証しなくてはなりません」

「そんなことができるだろうか」

「より多くのデータが残っている人間の環境を再現してみてはどうでしょう」

「より多く?」

「ええ、例えば王や英雄といった環境設定を借りてきてはどうでしょうか」

「借りる?」

「ええ。このDNAを有する人間の再現された基礎情報のデータは取れました。ですからこのデータを特定人物と同じ環境に置くことによって、その特定人物と同様の行動を取るのならば、つまり電子データ上で人間の再現は成功したといえるでしょう」

 奇妙な話だ。

 特定のDNAの電子データを特定の環境下におけばそのDNA固有の行動をする。独自性、それが環境で規定されてしまうというならば、それはプログラムと変わりはない。つまり擬似環境の再現によって人間が再生できるのであれば、人間固有の独自性というものは失われてしまうのではないか。

 イヴの主張する内容はアダムにはよく理解しえなかったものの、ともあれ実験のために借りる環境を選定することにした。

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