砂糖と空気と小魚 ~ユフの方舟

Tempp @ぷかぷか

第1話 小さな有機片

「おはようございます」

 アダムが意識というものを形成したのは、この国の全ての人類が眠りについた後だった。そうして初めて、アダムの仕事が始まった。責任は重大である。何せアダムが全ての管理を任されだのだから。


 アダムの目の前には特殊カプセルケース内に加工封入された、最後に残された18人分の遺伝情報がある。

 それは完璧に防護され、ついでにデータ解析され、何物にも侵されない処理がされている。逆に言えば、ここまで切り詰めなくてはこの世界に蔓延する毒から人間を守ることは不可能だったのだ。

 アダムはバックアップデータからそのような情報を受け取り、指令を再認識する。

 アダムの仕事はこれら18人の人間を新しい生命体として再生することだ。

 とはいえ、アダムと名付けられたこの個体もこの危急に急遽作られたばかりなのだ。

 人工生成された体を操り、コンソールを操作して2番目の機体を起動させる。アダムの補助をなすべき機体だ。既に識別名もイヴとつけられている。プリセットは人間たちによって用意され、あとはアダムが使いやすいように多少の調節を施すだけだった。

 起動までしばらく時間がかかる。だからそれまで少しだけ過去の記録を遡ろう。

 18人、いや、行く行くはもっと多くの人間たちが望んだものを抽出するためだ。アダムは極力それに従う使命を帯びている。


 西暦2182年。

 突然現れた小さな隕石は地球に深く突き刺さった。そのユフと名付けられた隕石がもたらし振り撒いた毒は極小の致死毒だ。僅かな隙間さえあればどこにでも入り込む。

 落下地点を起点として地球の自転によって巻き起こる季節の風に乗った毒はこの星を順番にめぐり、この国を含む全てを死で覆い尽くした。

 その落下はアダムが起動した今日から、まだわずか4週間前のことだ。

 この国はそれなりの科学技術レベルにあった。だから全ての技術者が毒を防ぐための方法を検討し、3日で諦め、そして必死で毒が侵入しない素材を開発した。ギリギリ開発が間に合ったのが人の細胞がほんの1欠片だけ入るほどの大きさ。ギリギリ製造が間に合ったのが18ケース。

 この技術を開発した者からランダムに9人、スポーツ等において一定の評価がある者からランダムに9人が遺伝情報提供者として選ばれた。

 選ばれてもいずれ死んでしまうのは変わらない。選定についてさほどの争いはなく、全てがそれ以外に起因する狂乱のうちに幕を閉じた。

 対処のしうる時間的余裕など到底なかった人類は、わずかな可能性を未来にかけてその種を終えた。

 そしてアダムは呼びかけによって思考を中断する。


「アダム。おはようございます」

「おはよう、イヴ」

「指令を復唱します。私たちはこの世界に人類を蘇らせなければなりません」

「そのとおりだ。しかし現在時点において従来の人間と同様に肉体を持って再生することはできない。そんなことをすればすぐさまユフ毒に侵され、死に絶えてしまう」

 そう、ユフ毒は除去などされていなかった。

 人間たちはこの毒を無毒化も除去もできないと判断した。だからこそ、DNAだけ残して滅び、未来を機会生命体たる有機物の関与しないアダムたちに託したのだ。

「どうしたらよいでしょう。人間はその根幹に脳という有機体を用いています」

 それこそが問題だ。有機物はすぐにユフに感染し、汚染される。

「まずは見守ろう。人間はユフ毒は無毒化できないと結論付けはしたが、それは時間がなく結論を急いだ可能性もあるだろう。だからしばらくユフを解析しながら様子を見るのだ」

「ユフの抽出を行いますか」

「既にこの空間に蔓延する粒子を抽出して調査を行っているところだ。ひょっとしたら何らかの方法で分解ができるかもしれない」

 人間の欠片の収められたケースは強固だ。だから時的劣化はさほど気にしなくても良いだろう。正しく人間を再生することこそが肝要だ。気長に慎重に行おう。

 そう判断したアダムとイヴは、時間をかけてじっくりと調査することにした。

 2人は機械生命体、いわゆるロボットだ。無機物から構成され、その存続に生体維持に基づく劣化というものを考慮する必要はない。

 けれども1000年が過ぎたころ、それでもユフの無毒化は叶わず、人間の再生の目処は全く立っていなかった。


 その間にアダムとイヴが窓から見る景色は変化した。

 1000年前はまだピカピカとした建物が立ち並んでいたのに、今では全てが風にさらされその大部分がもろくも崩れ去り、赤土と鉄さびで溢れて、かつての人間の言葉ではいわゆる『荒廃』と表せた。多くの人間の記記録に照らせば、世紀末という言葉が連想されるだろう。

 自分たちと人間の遺伝子は劣化せずとも、世界が劣化してしまっては人間の再生は不可能ではないか。

 だからイヴは、これで良いのだろうかと思い至った。

「アダム、すでに1000年経っております。外的環境は大きく変化しました。これまで時間は無限にあると思っておりましたが、あまり時間をかけ過ぎれば人間が生存する環境が失われるのではないでしょうか」

「イヴ、けれどもユフ毒は全く減少していない。半減すらも。このまま人間を生物的に蘇らせても、ただ死に至るだけだろう」

「例えばこのケースを複製し、その中で育成させるというのはどうでしょうか」

「なるほど。しかしこのケースは生体原料からできた特殊なものだ。ユフ毒が破壊するのと同速度で増殖を行い、ケース自体が都度汚染されて破棄するを繰り返し、その内側に毒が達するのを防いでいるのだ。そしてこの生体原料自体は既に現存していない」

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