Dry memory
Tempp @ぷかぷか
第1話 Dry memory
ゆるやかな起伏の上にあるその小さな丘では、青々とした緑と閑静な住宅と小洒落た店舗がモザイクのように混ざりあい、たくさんの細い道のそこかしこから人の息遣いが聞こえていた。その隙間を縫う小道を抜けてようやく見つかるその店の階段をトントンと登る足音が聞こえ、カラリと扉が開けられた。
その途端、閉じ込められていた空間からドライフラワーの特徴的な香りが溢れ出たことだろう。入れ代わりに少し高い不思議そうな声が吹き込んでいた。
「ここはお花屋さんじゃないの?」
「いらっしゃいませ、当店はドライフラワー専門店です」
「へえ。珍しい。でも丁度いいかな」
店内にふわりと足を踏み入れたお客様の年の頃は20過ぎ、窓からそよそよと射し込む木漏れ日を柔らかく反射する白いワンピースに若草色のジャケットを羽織っている。20畳ほどの店内をゆっくりと眺めて回り、1つのアレンジメントの前で足を止めた。
この店の所々にははすでに時間を止め始めた花や草木が綺麗に飾りたてられている。
丁度お客様の目の前には両腕に一抱えもありそうなスワッグ、つまり逆さまになった花束が飾られていた。バラを中心にして黄色のミモザと赤のペッパーベリー、それから白味がかった緑のユーカリで華やかに装われ、豪奢な白と藍の麻布に包まれ大きな黄色と細い白のリボンが結ばれている。
「このくらいの大きさがいいかな」
「贈り物でしょうか」
「贈り物? ううん、自宅用。ひょっとして好きな花で作ってもらえるの?」
お客様はふわりと店内を見渡す。
「もちろんです。どのような花がご希望ですか?」
眼の前のスワッグは家で飾るには一回り大きく、普段遣いには思われない。
そうすると何かの記念日かパーティでもあるのだろうか。そんな想起が浮かぶ。
けれどもお客様はそっけなく自宅用というだけで、事情を聞いて欲しいわけでもなさそうだ。細かいことを聞いて欲しくないという妙に突き放した雰囲気を漂わせていた。それなら根掘り葉掘り聞くべきではない。プライベートに立ち入りすぎるのはよくない。
「そうね、今の時期だと赤い薔薇を2本いれてスターチス、それからええと」
「アジサイも時期で綺麗ですよ」
「それは嫌。青ならいいけど色がスターチスと被っちゃう」
お客様はわずかに眉をしかめる。
アジサイは駄目だけれど青ならいい。いつもの仕事はメインの花だけ決めて後はお任せということが多い。視線を彷徨わせるお客様にはこだわりがあるようだ。
大抵の場合、こだわりは花の好みの場合が多いけれど、目の前のお客様は顎に手を当てて少し首をかしげていた。好みや直感ではなく考えて花を決めている。それに他の色は駄目で特定の色なら良い、というのは好みとしては少し奇妙だ。
「アネモネはどうでしょう。白やピンクが綺麗で」
「絶対駄目。そんなの駄目に決まってる」
その強い言い方で、ピンと来た。気にしているのは花言葉だろう。
赤い薔薇は愛情、2本なら世界に2人だけ。スターチスは変わらぬ心。
一方のアジサイはその花色の移り変わりから移り気や浮気、ただし青なら辛抱強い愛情。アネモネの花言葉は儚い恋とか恋の苦しみ。
けれども赤と青だけでは色味が寂しくなってしまう。年齢から考えると2人だけの記念日か新居のお祝いだろうか。
頭の中には少し広めのダイニングにカウンター・テーブル、そこに豪華な夕食と、その背後の壁に飾られるスワッグが思い浮かぶ。ユーカリなんかが定番だけど、花言葉は再生とか思い出、だから相応しくなさそうだ。
「失礼致しました。では
「ゴデチア、ゴデチア……どんな花だっけ」
種々の色のゴデチアの出来たばかりのドライフラワーを奥から出せば、女性は大きく頷いた。4枚ばかりのグラデーションのある柔らかい花弁が特徴的な花。機嫌も少しは回復したようだ。あとはちょっとした華やかさを追加したい。
「
「そうね、うーん、白を入れるならカスミソウより
思い出……?
そう呟くお客様の目はここではなくどこか遠くを眺めていた。
確かに今はエーデルワイスの時期。エーデルワイスは丁度この5月頃に高山に咲く可憐な花。
世界に2人だけ、変わらぬ心、永遠の愛、そして大切な思い出。
それらを全て含むイメージはどこか華やかに冷たく閉じていた。華々しく美しいドライフラワーのスワッグが出来るだろう。けれどもそれはまるで砂の落ちきった砂時計のように動きを止めたもの。先程思い描いた楽しそうな食卓が急に空疎に遠ざかる。
ドライフラワーは生活に彩りを与えるもの。そして全てと同じで永遠のものではない。思わず尋ねてしまった。
「どのような場面で使われるのでしょう」
「どのような? どうでもいいじゃない」
少しばかり口をとがらせるお客様に、急いで言葉を紡ぐ。
「けれど、場所によってはドライフラワーは長くは持ちません」
「長く?」
「えぇ。ドライフラワーが一番美しい時期は作成してから3ヶ月ほどです。バラやスターチスは比較的長く保ちますが、それをすぎると乾燥が過ぎて色あせて崩壊を始めます」
お客様は考えるように目を閉じた。
「そう。色あせちゃうのか。なんとかする方法はない?」
「そうですね……プリザーブドフラワーなら長持ちはするのですが」
「薬を入れて加工するんでしょう? それは何だか嫌」
プリザーブドフラワーは生花から水分を抜き、代わりにバクテリアの発生を抑えるプリザーブド液や染料を注入し中身を置換することで生花そのままの姿を長く保つ。上手に乾燥させるドライフラワーとは異なり、加工の手順が入る。
「大切な人が死んでしまったの」
ぽつりぽつりと話し始めるその顔は、初めて私をまっすぐに見た。
職場の上司が亡くなったそうだ。それは誰も予想もしなかった急なことらしい。喪主は長男で明日が葬儀だそうだ。とても人望がある人で、会社からの参列者も多い。だから会社から香典を出すから社員個別で出す必要はない、そういわれた。
「個人では行けないじゃない? 会社では部署が違うから目立っちゃうし」
「後でお送りする……のもかえってご遺族の方に目立ちますね」
「今更揉め事を起こしたいわけじゃないの。それに葬儀に行くと泣いちゃうのをとめられない気がしてさぁ。ねぇ、違う部署の子がそんなことしちゃ迷惑でしょう。だから家で思い出そうと思って。でもそうかぁ、ずっと残らないんだあ」
お客様は目の前のドライフラワーを大切そうにそっと触れた。
「ずっと残らないからこそ思い出に残るというのもありますよ」
「そう?」
「一つの形に押し込めてしまうと埃を被って色あせてしまいます。その方と一緒に行った場所の思い出を込めて季節ごとに思い出の花を作るというのも良いと思います」
「思い出、ね。どこか一緒に行ったこともないの。私が勝手に好きなだけだったから。でも、そうね。行きたかった場所を込めるのも悪くないわ。その人は山に登るのが好きだったの。それで何かの話でエーデルワイスの話が出たから。ねぇ、山に生える植物って何があるの」
片思い、か。
「そうですね、春は
「……そうね」
「それからこちらはどうですか?」
小さな白い菊のブーケを手渡すとお客様はそっと受け取った。
「お葬式に菊はよく使われますが、冥福を祈るという意味があります」
「……それでお願いします。あとはあなたにおまかせするわ」
「それでは明日の午前中には出来上がりますから取りにいらしてください」
「ありがとう」
最後に頷いて、木漏れ日のさす店外にゆっくりと歩き出すお客様を見送った。
何本かの菊を手に取った。思い出にしてもいずれ色褪せる。だから人は花を飾るのだ。
Fin
ーメモ
こっから実は殺人事件みたいな話に展開したい。
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