第13話





 

 冷たい。

 身体の輪郭から肌へと染み入る冷気に俺は目を覚ます。

 目を開けると、いつか見たような光景が広がっている。

 雨垂れのように下へと伸びる鍾乳石、冷気の漂う洞窟を薄らとした闇が覆っていて、明かりとなるのは不思議な光を放つ青々とした泉。

 そこには白衣を纏う結花が居て、俺の身を案じている。

 

「・・・・・おはよう。」

 

 表立って反抗した手前、何を言ったらいいか分からず、悩んだ末に当たり障りのない言葉を口にした。

 すると、彼女は憂い顔を無表情にし、俺の腰に回していた手を離す。

 支えを失った俺は水へと沈み、慌てて地面に足を付ける。

 

「ぷはっ、何すんだ!?」

「人の心配の気が知れないといった様子に腹が立ったので、つい。」

 

 澄まし顔で鼻を鳴らす。珍しく拗ねた態度だ。

 まぁ、今のは俺が悪いか。向こうも心配してくれたみたいだし。

 自戒して、濡れた後ろ髪を掻く。

 そして、気付いた。

 

「傷が無い?」

 

 伊吹丸から受けた損傷が綺麗さっぱり無くなっている事に。

 折れたはずの腕を見ながら呆然としていると、憮然とした声が注解を付けた。

 

「先に言っておきますが、私は何もしていません。貴方を見つけた時には既に傷と呼べるものは治った後でした。恐らく、貴方の中の宿る神が何らかの力を使った結果でしょう。」

「・・・・・それじゃあ、ここに居るのも?」

「いえ、それは私です。」

「そうか。なら、また助けられたな。ありがとう。」

 

 確かこの泉の名前は『禊の泉』だった筈。

 禊は穢れや罪を洗い清めるという意味で、神道では病気も穢れの一種に含まれる。恐らく、病気に掛からないとか、そういう効果がこの泉には有って、俺が感染症に罹らないようにここまで連れて来てくれたんだろう。

 感謝するには充分な恩義だ。

 

「ついでに、その神とやらにも感謝だな。これでまた戦える。」

 

 拳を開け閉めし、その機能が十全であることを確認する。

 

「まだ戦うおつもりですか?」

 

 こちらを責めるように細められる涼し気な目。その紫色の瞳の内には悲哀の光が揺らめいている。

 

「今回の件でもう実力差は理解している筈。次は命を失うことになるかもしれない。なのに、まだ戦うおつもりですか?命が大切だと仰っていたのは嘘だったのですか?」

 

 語気を強め、険しい口調で非難する。

 まるで手酷い裏切りを責めるような頑なさが今の彼女には垣間見える。

 だが、同時にその強情は俺も抱えているものでもある。

 

「嘘じゃねぇよ。でも、それ以上に腹が立って仕方が無い。」

 

 腸の奥深くに眠る怒りを呼び覚まし、不倶戴天を睨む明王となる。

 

「儀式のために身を捧げるだの、今日の為に生まれてきただの、ふざけやがって。死ぬ為に生まれてきた人生が一体、何処にある?どれだけ辛くても、苦しくても、明日、生きるために今日も生きるんだろうが。」

 

 戦う理由なんて決まっている。

 他ならぬこの場所、他ならぬ彼女に助けられた俺が手にしたたった一つの寄る辺を嘘にしない為だ。

 激情を隠そうともしない声音で宣戦布告する。

 

「っ!」

 

 その気迫に押されたのか、結花は堪らず口を噤む。

 動揺から視線を右往左往させ、何かを言おうと口篭る。漸く吐き出した反駁は俺の主張の矛盾を弾劾するものである。

 

「だから、儀式を否定すると?その為なら命を惜しまないと?」

「命は懸けただけだ。失うつもりは無い。その上で俺は勝つ。」

 

 儀式を止めるために俺が死んでしまえば、それは結花のやろうとしている事と何ら変わらない。

 儀式の否定は、伊吹丸を倒した上で、俺も結花も無事であって、初めて成り立つ。恐らく、相打ち覚悟で挑むより、遥かに困難だろうが、そうする以外に方法が無いのならば、実行するだけだ。

 

「・・・・・それが貴方の決断なら、私からはもう何も言うことは有りません。ただ、本当に危ない時は潔く身を引いて下さい。これは本来、貴方が傷付く必要のない戦いなのですから。」

 

 憂う懇願に俺は返事を返せなかった。

 もしも、結花を失った時、彼女に重ね合わせている偶像もまた終わりを迎える気がしたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界戦国伝 沙羅双樹の花 @kalki27070

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ