2-19 とめてくれ、タケシ
「……わからない、ってか、おかしいな、あたまが回らない……」
タケシは、足をふらつかせた。だがふらつく足取りで、イリアにふたたび向き直ろうとし、彼女の指先が光っていることに気がついた。
「──イリア…… もしかして、それ……」
すると、小さく口を開いて彼女が言った。
「──そう。わたしは最初、ユーを連れて春の国の御前試合に出場しようと思い立ったんだ」
タケシは、聞きなれない言葉に、今にも寝落ちしそうな顔を上げた。
「ゴゼン…………」
朦朧とした意識の中、タケシは、天井をあおぐようにしてつぶやいた。
「……ジアイ……。……でも、おれを使役魔獣にせず、春の王家の血筋を断つ ……それがパレードの最中に見晴らしの塔を崩壊させるって言う……テロ計画に……つながって……」
夕闇のとばりが降りるように、タケシの視界は暗くなっていく。
タケシは気を取り直すように、激しく首を振った。しかし息苦しさと、霧のかかったような思考、そして眠気は晴れていかない。だが同時に、それはこの旅が腑に落ちたような気持ちでもあり、彼女がエドの山道で自分に応急処置をしたのも、治療を受けさせるためイワエドに滞在を決めたのも、そして、奴隷とは旅をしないと言い続けたことも……、心を閉ざしていたことも……
「そう言う……ことだったのか……」
タケシはゆっくりとまぶたを、ネムノキが葉を合わせるように、闇に向けて閉じ、その彼が倒れていくのをイリアが、そっと抱きとめた。
彼の耳元に、何かを囁くとイリアは、呼吸を止めたタケシの体を床に横たえた。
そして膝に手をつき、重たげなブランケットを広げ、彼のスニーカーから白っぽく青ざめた顔までを覆い、口元を震わせながら彼女は、袖で自分の涙を押さえつけるように拭った。
ゴルドーは、横たわるタケシを一瞥し、その傍で立ち尽くす彼女に言った。
「心臓周りに
その言葉が終わるやイリアは、涙を指で切るようにして払い、立ち上がった。
するとゴルドーも、腰を伸ばして出窓に立ちあがり、塔を眺めながら言った。
「〝成すべきを前に、天使出づれば天使を斬り、親出づればその親を斬れ〟……刺客の心得、その三にあったな」
そう言いながら彼はイリアに手を差し伸ばし、
「よくやったよ。ミリアス。見直した」
その手を手掛かりに、イリアも出窓によじ登る。
そして気流が巻きあげる前髪と視線を、イリアは上げ、涙で赤く擦れた鼻先をすする。
塔は、目前にある。
イリアは風にふかれながら、目をつむった。
「さよならだ。タケシ」
そうつぶやくと、
「いこう、黒羽。時間がない……」
並び立っているゴルドーの哀しげな目を、静かに見上げた。
だが、ゴルドーは、それでもブランケットの下、動かなくなったタケシに確認の目を向けて、その身体にもうわずかも呼吸がない様子を読み取ってから、肩を落としたまま、うなずいた。
「──じゃ、参りますか」
と、指をパチンと鳴らし、自分たちに
たちまち、ふたりの体の周囲に青白い光が螺旋状に走り、ふわりと身が軽くなる。
「では。お嬢様」ゴルドーが手を差し出した。
イリアはその手をとり、反対の手で白いスカートの裾を絞る。
そして、ふたりは、出窓を飛び降りた。
並びあって彼らは、日傘よりも軽いが、羽根よりは重く、横風に流されない最小限の重さで連なるように、四階からの高さを緩降下していく。
ふと呼ばれたような気がしてイリアが、出窓を見上げると、つられるようにゴルドーが上を向くが、出窓にタケシの姿はない。
青い光を残して雪のように、彼らは、音もなく路地に着地する。
日傘をさした婦人と従者が、目を丸めて驚いている様子に、微笑して歩き始めるゴルドーと、先を見据えたまま急ぐイリアは、背後の人の流れを割るように接近してくる馬車の蹄と車輪の音に振り返って道を開け、その通り過ぎていくさまに乗り合い馬車の手すりに手をかけて順に飛び乗っていく。
遠くでタケシが呼ぶような気がした。
だがイリアは、六頭の馬が曳く大型な箱型馬車のなか、石畳の路地を広場に向けて走る揺れと振動を感じるようにスロープへと掴まりながら寄りかかり、ゴルドーには背中を向け、窓の外を流れていくミハラの街のカラフルなテントの並びに目を向けた。
タケシの頬の温もりを、瞳に映しながら。
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