2-18 少年の旅

 ゴルドーは、足元の路地をあらためて覗きこんで、肩をすくめた。


「なるほどな……。俺様としたことが、まんまとはめられちまってやんの」


 さらに彼は、「わかったよ。グラビトンなしじゃコッチも仕事にならねえ。そいつの始末は任すよ。──ただし手早く頼むぞ」


 そう口をへの字にして、シケモクを伸ばしながら背中を丸めた。







 タケシは、立ち上がり、彼女に向き直った。


「──イリア」


 しぼりだすその声に、寂しさがある。


「おれを殺すのかい」


 イリアは、うなずくように目を閉じた。


 そこに溜まっていた雫が、また雪解けのように、一筋。


 声にならない嗚咽が、彼女の肩を震わせている。


 それはあまりにも小さく押さえた息の音で、だがタケシには悲鳴よりも痛かった。


 タケシは、口を一文字に結んだ。


 息を吸って、心を落ち着けて言った。


「王子の命を取る……。その良し悪しは、正直、おれにはわからない。──でも、はじめて会ったとき、君は春の国の王都に行くと言ってたよね」


 その問いかけに、イリアは目を閉じたまま、歯を食いしばり、震えている。


「なのに突然、イワエドの宿屋のフロントで先をいそぎだして……。ねぇイリア、どうしてなんだろう。おれはそこを知りたい。きみの旅は、まだ続くんじゃのかい……」


 諦観に似た静けさが吹くタケシの胸の内で、たった三日前にはじまったこの旅の思い出が次々に浮かび上がってきた。


 ふと頬が緩む。クスとひとりで笑った。


 あまりに酷い出来事ばかりで、


「でも、楽しかったな」タケシはつぶやいた。「ボヤンスキーさんに、トズランさん。アルセンの親方さん。シカルダさま、エメラさん。そしてディンゴ。──なんだか、夢を見ていたみたいだ」



 すると、イリアは目を固く閉じて、締められたような声を絞り出した。



「……タケシ。聞け」


 許しを乞うような目をした。


「わたしは…… もともと、ユーを……」


 イリアの言葉が途切れるたびに、タケシは彼女の震える指先に目をやった。その細い指がペンダントを握り締めるたびに、彼女がどれだけ自分の中で溢れて心を突き破ってしまいそうなほどの言葉の雪崩と戦っているかが伝わってくる。



「知っているさ。おれを春の国に売るつもりだったんだろ」


 胸に穴の空いたまま、タケシはうつむいて視線を落とし、歯を食いしばって自分の肩を抱くイリアの姿を、赦すような声で言った。


 だが、イリアは、きつく閉じた目にシワを立てたまま苦しそうに胸のペンダントを、チュニックの上で握りしめ、首を振った。


「ちがう……」


 彼女のその胸の痛みが、そのままタケシの胸を締めつけた。


「──違うのか……? じゃあ、あの時の言葉って……」


 その問いにも、イリアは首を横に振った。


 怪訝な顔をするタケシに、口をわななかせてイリアは、


「わたしは……」


 涙あふれるのも構わず、髪を振りながら言った。


「ユーを、使役魔獣にしようと思っていたんだ……!」





 目の前の光景と彼女が、暗転したように見えて、タケシは口の中で、その言葉をなぞった。


「使役……魔獣……」


 その彼に、イリアはうつむき、瞳の中、焼けただれて裂け、コアが剥き出しになったケルピーの下、血を洗い流すように号泣しているタケシを思い浮かべながら、長いまつ毛に雫をし、重ねた。


「でも、ユーのあれを見て……気が変わったんだ……」


 我が子を取り戻しに、乾いた大地を進んで来た川馬ケルピーコアに残る転生者の意識──。


 そんな核── いや、同胞を救うため、歯を食い縛り、血飛沫を浴びながらその同胞を粉砕したタケシ──。




「わたしは……もう、お前たち転生者を人としか、見れなくなってしまった……」


 自分の肩を抱いて、うなだれ、イリアは、閉じた目から雪解けのような雫をこぼした。


 ゴルドーは街を見ていたし、タケシはイリアの足元を見つめている。


 これは後悔の涙なのか、どんな涙なのか、タケシには想像もつかなかった。


 ただ、彼女の中に何か複数の巨大な感情があって、それらがうねり、ぶつかり合い、処理しきれない負荷に、イリアは耐えきれず、肩を震わせているに違いない。


 彼女は指の背で、目元を拭いながら、また肘を掴んだ。


「──いや……。本当はそうじゃない。転生者だった母さんを、わたしが本当の母だと思った日から、憎むべき転生者のことを…… 同じ人間なんだって、そう思ったんだ……」


 足元のブーツの間に黒い染みが点々と落ちている。


「ただ…… 凍らせていただけで……」


 タケシはその雫を、冷たいものだとは思えなかった。


 その目を上げると、イリアと目が合った。


「──だから、ユーをもう……」




 昼下がりの光が、二人の間で揺れている。


 建物の下からは、車輪の音が聞こえている。


 その胸に、杭のように深く彼女の言葉を刺したまま、タケシが目をこすりながら言った。


「だけど…… わからないのは……」


 そのまぶたは、不自然に重たげで、タケシは場にそぐわない生あくびを堪え、頭を振ってから、目をしばたたかせて言った。


「一体、おれが使役魔獣になると、なぜ…… きみの母さんの仇がとれるんだろって……」

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