2-16 イリアの旅

 相殺されていく魔法はもう余韻だけだ。タケシは苦々しい顔を上げた。


「イリア、その塔に最大重力呪グラビトンを叩き込むっていうのは、ガフが言っていた、あの春の国の王子のパレードの最中ってことなのか」


 その言葉に、コン・ゴルドーが薄笑いを浮かべた。タケシは彼を無視し、


「なあ、イリア、違うなら違うと言ってくれ」


 懇願するような声を出した。


 しかしイリアは、目を伏せて、唇を結む。


 心の中でタケシは、頼むから否定してくれよと地団駄を踏んだ。


 だが、やっと口を開いたイリアは、彼沈痛の面持ちをさらに暗くした。



「──そう。わたしは明日、パレードごと春の国の王子を討つ」


 言いながらもイリア自身、その目を辛そうに、きつく閉じていく。


 タケシは、上げる目で、彼女が自分と同じ表情をしているのに気付き、じっとそれを見守ったまま、諭すように言った。


「あんな巨大な塔だ。崩れれば……ガフの父さんだけじゃない。何千と巻き込むぞ」


 瓦礫の下敷きになって……いや、怪我人を入れればその桁はひとつ繰り上がる。しかも王子の命を奪われた春の国が犯人を捨て置くはずがない。そうなればイリアは……。


「それに、これは、おれが居たあっちの世界の感覚だけど、自慢の塔を同じように二本もぶっ倒された超大国は、テロの首謀者を求めて、あっちこっちの国に次々戦争を吹っ掛けて回ったよ……」


 彼が苦々しい表情でそう語るうち、イリアは前髪の中に両手を入れて、顔を押さえた。


 タケシは首をゆっくりと振った。


「このバルディアでも、同じことが起きるんじゃないか」


 そうなれば、さらに桁違いの苦痛と災厄が大陸を包み込む。


 タケシは出窓の外を見た。


 明日、そんな悲劇の発端となることも知らず、この街は、のどかな賑わいの音を風に乗せている。


「なぁ、違うと言ってくれ、イリア。まだ間に合うんだ」


 タケシは、顔を押さえているイリアの肩を掴み、詰め寄った。


「おれは善悪を言っているわけじゃない。きみがそんな重圧にきっと耐えきれないって言ってるんだ。だいだいからして、なぜだい? こんなに苦しんで……なぜきみが、外国の王族を殺さなければならない……」


 そう言い終わると、タケシは手を離し、きつく唇を結んだ。


 答えを待つために。


 はぐれ雲がひとつ、彼方の空を。ゆっくりと渡っていく。


 だが、もう戻れないところまで、時計の秒針は進んでしまっているのだろうか。


 イリアは顔を押さえたまま、身じろぎもせず立っていた。


 その沈黙を破るように、イリアが息を吸った。タケシはふたたび目を上げた。




「……母の仇だ」


 そして彼女は前髪の中に目を隠しつつ、タケシに「見ろ」と、チュニックの襟からペンダントを取り出した。


 革紐の中央に、五枚、薄く軽い硬貨が並んでいる。


 その銀色をした見慣れた硬貨に、心臓が止まるほど、タケシは息を呑んだ。



「──それ……、一円玉じゃないか……」




 ペンダントを、イリアは握りしめ、胸に当てた。


「そう。……母さんがくれた。エンダマだ。」


 タケシは、目を左右に走らせて考えた。


「──じゃ、きみの義母かあさんっていうのは……」


「そう。転生者だった」


 イリアは前髪に隠れたまま、そしてタケシは喉を鳴らして、生唾を飲み込んだ。


「──じゃあ、殺したのが、春の国の王か、きみの……」


 母さんを、とタケシは言いかけて、バツが悪そうな顔で口を閉ざした。


 しかしイリアは、表情を隠したまま、歯を喰いしばった。


「──わからない。連れていかれたんだ。春の国の王の……使者に」


 吹雪の日、幼いイリアを薪の中に隠した母の肩に、マントをかけ、手を縛り上げた、あの黒眼鏡の男が、瞳に浮かんでいる。


 するとタケシは、何かに気がついたように目を上げた。


「まさか……。それじゃ……」


 イリアは険しい表情で、上を向き、涙を堪えた。そして声がうわずり、


「──そうだ。もしも生きているなら…… もう使役魔獣だ……」


 認めたくないかのように、目を閉じ、首筋まで雫が走った。


「……!」


 タケシは拳を握り、膝の上に怒りで震え、髪を逆立てたが、イリアは静かにペンダントを戻し、手の甲で目元を拭うと、窓辺の男に顔を上げた。





「ゴルドーと言ったな。今度はそっちの話を聞こう。どんな策がある」


 すると、男は、ポケットをまさぐりはじめた。


「──さっき手に入れた物がある。魔撃位置の選定とくれば、これにかなうものはなかろう……?」


 そう言いながら見せた手には、羊皮紙の地図があった。


「ミハラの街の詳細図だ。憲兵が持っていた」


「地図は軍事機密。うまいことやったな」


「なぁに。たまたまさ」


 ゴルドーは、そう小さく口元を上げると、


「あとは、手伝えそうなことと言えば。──魔撃位置ファイアポイントへの誘導と潜伏のサポート。当日は観測員スポッター兼、周辺の警戒。で、コトがうまくいけば現場からの離脱、ほとぼりが冷めるまでの潜伏場所の提供。ってトコだな。他にもあれば、なんだってやる」


 そう言いながらゴルドーは、煙り草の巻紙を取り出して咥えながら火を着け、マッチを眼下の路地に投げ捨てた。




「──あとは、握手する条件だけだが……」


 深々と吸った煙を、風に流しながら、見晴らしの塔と肩を並べてイリアに振り返った。


「王殺しの手柄を半分。そいつで俺様は黒羽の頭領になる。……そんなのはどうだね」


 笑いジワの中から、灰色の目を光らせた。

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