2-14 窓辺で歌う男

 窓から射し込む昼の光は、白いカーテンを柔らかく透かしている。


 エステルの昼食を摂り、まだ遊ぶとぐずったガフが、いつのまにか鼻ちょうちんで舟を漕ぎはじめ、その様子を見はからい、タケシはエステルにウインクをしてダイニングを出た。しかし、後をついてくるイリアも眠そうで、半分閉じかけた目のままタケシの道着の裾を掴んで歩く。


 戻ってきた寝室は、漆喰の白さが雪のように淡く、乾いた木床には陽射しが作った斑模様が波紋のように揺れ、出窓からは、下の通りを行く馬車の車輪の音と、かすかな道具屋の掛け声が届いていた。







「ほらぁ、意地張ってないで。もう目が閉じてるよ」


 言いながらタケシはベッドを整える。


 イリアはあくびをしながら、「むぅ、うるさい。三白眼はいつものことだ」と前髪の中に指を差し込んで、顔を覆いながら言ったが、


「──。でも、悪いな。実際これで思いのほか……疲れがたまっているようだ」


 そう言いながらイリアはゆっくりと、ベッドの上に倒れていく。


「そうそう。横になっておくといいよ。出発までガフはおれが遊んでおくからさ」


 言いながらタケシは、自分はドアから出ていこうとする。が、ドアノブにかけた手のまま振り向くと、イリアは、ベッドからずり落ちそうになっている。


 

「ほら、もう! 横着すんなよ、せっかくのベッドだろ。ったく、ブーツなんか脱いで横になったらいいのに」


 小言をつぶやきながらタケシは彼女を寝かしつけ、ブランケットを広げ、膝にかける。


「はあもう! おれはママか!」


 イリアは半分寝息を立てながら、それでも意地があるのか



「──。客人がくるかもしれ…… から……」


 手枕に、長いまつ毛を重ねつつ、口を尖らせている。


 タケシは、噴き出した。


「ふふ。客人客人って、ちいとも来てないし」



 それでも脳裏には、それでも脳裏には崩壊する塔の映像がよぎった。


 タケシは出窓を見返り、見晴らしの塔が、まだ健在であることを確かめた。







 その寝室に、ノックの音が響いた。


 タケシは目を上げ、半開きのドアにむけて、


「あ、ぁあ。ガフかい? ……いまさ、お姉ちゃん寝ちゃったとこでさ、」


 小声で囁きながら、静かな足取りでドアに近づき、


「よかったらお兄ちゃんとあそぼうよ……」


 そう声をかけ、しばらく待ったが、返事はない。



「──?」


 タケシは、その場でドアに耳を当て、目を左右に走らせた。


 廊下には食器を洗う音だけが微かに響いている。


 タケシは、怪訝な顔でイリアを起こすべきかどうか考えたが、そこに再びノックの音がし、


「──!」


 出窓に向け、タケシは飛び上がるように振り向いた。


 そこには、出窓で景色を眺めるように腰掛け、鼻歌を歌う、壮年男の背中があった。









「っ──!!」


 タケシはすっかり眠りこけているイリアに叫びながら、「──イリア!おきろ!」壁に立てかけてある如意に向けてジャンプした。



 その瞬間、緑色のウエストコートの男の背中が、パチンと指を弾き、タケシの身体はふわりと浮き上がるように重みを失った。


「こ、これは……」


 まるで重力が失われたかのように、彼の身体はゆっくりと、まるで綿毛のように軽くなった身体のまま、床に落ちていく。



「──そうか、おまえも重力魔道士か……!」


 見上げるタケシの問いに、男の背中は、人差し指を青白く光らせたまま、


「そういうお前は、さっきの奴隷か。礼を言うよ、ご主人様に伝言ご苦労様だったな」


 と、薄く開いた黒目だけの目をよこした。



 その声にタケシの全身が一気に粟立った。煙の中で耳にしたあの声が、鋭い金属を喉に当てがわれた感触と共に甦る。


 息を押し殺してタケシは、


「――イリア、起きろ! こいつ、煙の中に居たやつだ!……」


 そう言うが、むくりとベッドの上に体を起こしたイリアは眠たそうな目をこすりながら、その男を一瞥しただけで、特段驚きは無い様子でいて、


「心配するな、タケシ、こいつは敵じゃない」


 そう言うと、大きなあくびをした。


 すると、なおさらタケシは番犬のような形相で、


「──敵じゃないって、どういうこと!?じゃ味方だって言うのか……!?」


 目を白黒させて「だってコイツは憲兵を殺したヤツだぜ!?」と、さらに眉毛を吊り上げるが、イリアは、小指の爪を編んだ髪に差し込み、頭を掻きながら、ぼそぼそと、眠たげに言う。


「ユー、くどいぞ」


「くど……、クドイって、イリア、この状況で言う!?」


「──だからさっきも言ったろう。バルディアじゃ、昨日の敵に明日の背中を任せることも珍しくないんだ」


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