2-6 回廊の塔

 タケシには、その問いに答えられなかった。


 路地を抜け、そして広場には出たものの、気分はうつむいたままで、晴れるような気がしない。



 一方、先に市場を抜けたイリアは、あごをやや上げて、大通りの向こうを良い表情で眺めている。



「おいタケシ、ユーもはやく目を上げろ。いいものが見えるぞ」


 その笑顔で促し、砂色の塔を仰ぐように眺めた。


 そしてその先に、タケシも目を向けると、驚愕して口を開いたまま、彼の目は見開いて絶句した。


 イリアは歩み寄るように、彼と並んで、広場の中央から天にそびえ立っている巨大塔に向けて、


「あれが、みはらしの塔だ」


 満足げな手を腰にあてた。




 タケシは、見開いた目のまま、その塔の足もとで廻る人々の渦から塔の屋上に茂る雑木の冠まで、上下に塔の全貌を、何度も、目でなぞって往復した。


 異世界の建築物とはいえ、これほどの巨塔がただ、大理石を切り出したブロックを積みあげただけで立っていられるとは、到底、彼の目には見えなかった。





 高さだけでも、一四〇メートルはあるか。


 この距離を置いても、目を見開いてようやく一目に収まるほどの高さがある。


 円筒形をなしていて、その外壁に、びっしりと階段を螺旋状に巻きつけており、砂色の地肌に所々はいっている亀裂へと根を張った樹々を法衣のようにまとっている。


 


 その根本を、背中を丸めた人々が、数千規模で時計回りに渦を巻くように廻っている。


 イリアは腕を組み、自慢げに見晴らした。


「あれは巡礼者だ。バルディアの全土から集まってくる」


 タケシはまた、その塔の頂上の森が、ミハラの市街地まで長く影を落としている先を目で追った。


「まさか、日時計になっているのか……」


 つぶやくと、横のイリアがうなずいた。


「冬至と夏至には、太陽が真上にきて影がなくなるんだ」









 市城都市ミハラには、そこに人々が集い、さらに生活を始め、交易都市のとしての活気と潤いを帯び、また巡礼者が列を成し、暗黒時代に至ってその商都が武教と組んで武装し自らを城壁で囲いはじめる遥か太古のさらに昔、つまり人ならざる者、魔獣と恐竜がこのバルディアを跋扈していた時代から、天に向け、悠然とそびえる静寂の塔があったと古史記は記す。



 その常世の塔が、今タケシたちの行く手に、屹立している。


 大理石の切石を階段状に、幾重にもその幹に巻き付けた古代木のような螺旋塔は、下界の喧騒を離れた上空に、守り神のような猛禽を幾つも旋回させ、その根本に数千の巡礼者の影の足踏みを廻らせながら立っている。またその塔自身も太陽の影を落とし、日時計のように天体の循環を市城の曲輪と人々の生活に刻んでいる。


 まさに、螺旋が、渦の中で円を描きながら循環して立ち昇る、階段状の聖蹟イコンで、その前には、塔の広場を中心に人の歴史が放射状に拡げた営みも、城址の曲輪も、どれもがすべて子どものしてきた積み木のように見え、それは、このバルディア大陸の中心で、人の祈りを、そして魂を、空に向けて回しながら運ぶ、過去と現在、そして天と地を繋ぐ、文字通り〝回廊〟のように見えた。









「しかし、鉄骨もなしに一体どうやって、あんな高さを……」


 タケシは、目を細めてつぶやくが、イリアは涼しい顔のまま、


「お伽話だと、間違えておっことした龍を、ばかでかい神が石で隠したって話だ」


 この塔を、前にも見たことがあるような瞳で、晴れ晴れと眺め、微笑を浮かべている。


「──なんで隠すんだ、 神様なのに。」


「もっと大きな神に叱られるから、ごまかそうとしたらしい。なかなか天の世界も大変だな」


 イリアは、歯を合わせて笑った。








 たしかに、こんな場所に立って、聖蹟を前に自分の小ささを思い知ると、煩悶もどこか風と流れていったように、胸がすくような気持ちになった。



 タケシは如意を地に突いて、塔を、改めて見上げた。


「そうか。ここがイリアの旅の終わりなんだな」


 その顔には、一抹のさびしさも、もうないように見えた。








 ところがイリアは、


「──は? なに言ってんだ、ここからが仕事なんだぞ」


 と、塔や巡礼者の広場には背を向けて、市街地へ向けて伸ばした腕に、親指を立て、左の目を閉じ、


「塔からぴったり五リーグにある宿を探さなきゃいけないんだ」


 距離でも測るかのように、片目を親指に向けて凝らした。






 イリアは、塔と広場にむけて腕を伸ばし、親指を立て、片方の目を開けて見ている。


 タケシはその目をのぞいた。


「何してんの」


 イリアは、邪魔そうに位置を変え、「距離を測ってるんだ」と、親指を塔に向け、再びかざして目を凝らす。



「あの見晴らしの塔の幅は100m。ここから見て私の親指の幅とぴったり重なる太さだ」


 その親指を五本分、水平に移動した位置に見える建物が、塔から五リーグ(五㎞)となる。



 タケシも、彼女を真似て片目を閉じ、指を立ててみる。


「──おれの手だと、小指が丁度いいな」


 イリアは、親指を立てながら広場の外周部を歩く。


「こうやって広場のヘリををめぐりながら、ぴったり五リーグの距離にある宿を探すんだ」


 その上、塔までのあいだに障害物があってはならないとイリアは言う。


 タケシはうんざりしたように手を頭の後ろに組んで歩いた。


「──たしかに、そいつは日暮までかかるなぁ」


 しかも、見つけた宿に部屋が空いているとは限らない。


「でもさ。なんで塔までの距離がピッタリ五リーグじゃなきゃいけないのさ」


 するとイリアは、腕を下ろして足を止め、タケシの目をまじまじと見た。


「おぼえていないのか」


「え? なに、おれ前にもきいてたっけ?」


 だがイリアは、


「──いや。ユーがばかでよかった」


 また腕を伸ばし、片目で親指を立て、塔を見ながら歩きはじめる。


「夕暮れまでに見つかればいいが……。おいユーも手伝え。なんなら教会の鐘楼でも集合住宅インスラの屋根でも良い。しのびこめばいいんだからな」


 タケシも、小指を立てて塔を見ながらイリアについて歩く。


「要するに距離が合って、見通しさえ良けりゃいいのか。 ……いや、忍び込むっていろいろと問題あると思うけどな」


「だから宿なんだ。長居していても怪しまれないからな」


 イリアはタケシと石畳の縁を踏みながら、塔に親指を向け、片目をつむる。



 




 


 その時だった。


 市場のほうで、破裂音が聞こえて、ふたりは背後を振り向いた。


 サーカスの人垣が崩れ、散り散りに逃げていく。


 珉珉ミンミンと道化師がいたあたりから、赤い煙が濃くあがり、悲鳴も聞こえている。




 タケシは目を凝らし、身を乗り出すが、その前にイリアは腕を差し入れ、


「……慌てるな。あの色と濃さ、発煙玉のケムリだ。たぶんサーカスの演出だろう」


 冷静に言うが、


「なに言ってんのさ、見物人が思いっきり逃げてるじゃねーか」


 タケシは吠えるように叫んで駆け出した。



 イリアは飛び跳ねて大声をあげるが、


「ばか、無闇に人助けとかするなって言ったろ、ユーは目立つんだからな……!」


 タケシは駆けながら振り向いて、


「宿、おれのぶんも取っておいてくれなッ」


 生き生きした笑顔で赤い煙に向け、如意を片手に駆けて行く。


「あ、でも、どこか夜にでも落ち合うのにいい場所、しらないか!」後ろ向きに駆けつつ言う。


 彼女は、腕を組んでむくれるが、


「東通りに、青ひげの兄弟って食堂がある!」


「よし、青ひげな! かならず行く!」


 跳び上がってタケシは手を振りながら、


「ごめんなイリア! でもおれ、やっぱりすきだわ、人助けってやつが!」



 赤い煙を見ている市場の人々らの前を駆けていく。



 イリアは、手を口に当てて叫んだ。


「いいか、マジヤバな爆発なら、ケムリで人を集めてから二発目がある! あんまり長居するんじゃあないぞーーーーー!」


 タケシが走りながら高く如意を掲げ、応える。



「──まったく!」


 怒った顔でふりむくイリアだが、気を直したように塔に親指を向け、片目を閉じ、塔から五里の距離を測ってはみるものの、やはり、集中できない様子で、



 再び振り向いて、煙めがけて小さくなっていくタケシの背中に、


「なぁにが、いちばん大切なものが分かっただよ! どの口で言ったかーー!」


 叫んでみるが、タケシの背中には届かない。


 彼女は心配そうな目に、眉を寄せた。








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