1-48 旅人よ

 日の出から一刻(二時間)。


 イワエドの丘にあるシカルダの僧堂の屋根では、普段と変わらず山鳥たちが、パン屑を待っている。


 だが今日は、緋色の道着を着た少年が、不慣れな動作で鳥施壇ちょうせだんに手を伸ばし、木椀から水に浸したパン屑を供えている。


「……これでいいのかな」


 つぶやき、とりあえずはそれっぽく手を合わせるタケシの腕には、まだ生々しい傷が残っている。








 いつもの朝ならば、見上げる鳥施壇ちょうせだんの先には、すでに殺到して小鳥達が群がっている所だろう。


 しかし今日は、特別であって、僧堂の主人シカルダは川馬ケルピーとの戦闘で両大腿骨を叩き折られたボヤンスキーの治療に掛かりきりで、道場の中、回復魔法と整復で忙しい。


 代わってタケシが、鳥にパンと水を布施した次第である。










 道場ではシカルダが、これもまた、いつもならこの時刻には光っているはずの頭に伸びてきた髪も青いまま、ボヤンスキーの太ももに回復魔法をかけ、骨の再生を促しては、ずれている骨の角度を手技で整えていく。


 徒手整復を受けるボヤンスキーも、咥えた布巾を噛み締めて痛みに耐えながら、脂汗を垂らしているし、三人前はありそうな太いその足であるから、痛みに緊張をする筋肉の下で骨を動かしていくシカルダもまた汗だくである。


 ふたりは疲労困憊の面持ちで、「小休止といたしましょう……」と座り込み、薬缶やかんから冷やした杜仲葉の煎じ茶を、分け合い茶碗で煽り飲み、駆け込んで来たタケシにも手招きをし、




「どうでしたか、鳥たちは」


 シカルダは、ひと息つくようにとタケシにも茶を勧めた。


 現金なもので、タケシに慣れていない山鳥たちは、鳥施壇から離れるや否や、争ってパン粥に群がった。


 茶碗を手に、タケシは目を細める。


「可愛いものですね。武僧堂モナスタリではどこでも毎朝、あれをするのですか」


 シカルダは汗粒を拭きながら、


武教マーシャルでは、亡くなった人間は何度も、四つ足や六つ足に生まれ変わりを繰り返して、やがて鳥になって、天に昇っていくと考えています」


 その魂の旅の最後の乗り物である鳥の体に、水とパン、そして住まいとなる樹木や巣箱を布施することを鳥施ちょうせと言い、


「朝稽古の後、日の出を告げる鳥たちに鳥施を。そして夕稽古のあとは暗がりに生きる獣へと獣施じゅうせをします」


 それが僧堂の日課です。シカルダは言った。






 ボヤンスキーもひと息をつき、タケシの真新しい緋色の道着を指差して、褒めるように大きくうなずいて見せる。


「──え? この、道着のこと?」


 タケシは自分の襟元をなぞって、ボヤンスキーの細い目に尋ねた。


 すると彼はまた、深く、うなずいて、左の人差し指を胸の前で上に向け、その先端を右手の人差し指で触れた。



「──手話、ですか?」タケシが聞くと、ボヤンスキーはまたうなずく。戦場手話ハンンドサインである。


「どれ」代弁するのかシカルダが、ボヤンスキーへと手のひらを差し出すと、彼はその上に太い指で文字を書く。


 するとシカルダは、なるほどと、うなずいて、


「〝とてもよく似合ってる〟……そうですよ」


 その通訳にボヤンスキーは、タケシと歯を見せ合い、満面の笑顔を浮かべ合ったた。




 シカルダの触診によれば、彼の大腿骨は右が粉砕骨折。左が完全骨折。回復魔法をしても全治には二節(二ヶ月)かかると言う。


「名誉の負傷です。寝食は村人が放っておかないでしょう。しかし、ボヤンスキーさんのこの体重となると、宿からの通っての治療はまだ先でしょうね」


 しばらくは僧堂に泊まり込んで頂きますがと、シカルダが言うと、ボヤンスキーは、


 心に見たてているのか左拳を左の胸にあて、右の手で、そこを二周ぶん撫でながら頬を優しげに寄せ、なにかを包み込むように両手で抱きしめたあと、人差し指と親指を、空にむけて飛んでいくように羽ばたかせた。



 タケシは、


「──ん! これならおれにもわかるよ、先生」歯を見せて、


「ボヤンさんはきっと〝鳥は好きだ〟って言ってる。──あ、でも、食べる方じゃなくて!」


 シカルダは笑い、ボヤンスキーも腹を抱えて苦しそうに笑った。









 


「楽しそうにやってんじゃん」そこにイリアの声がした。


 振り向くと、戸口に彼女がもたれかかっていた。


 

 初夏を思わせる風が、純白のオーバーチュニックを涼しげに揺らし、足もとをブーツまで覆っている。三つ編みにしたフィッシュボーンの金髪は背中に沿ってゆるやかに垂れ、肩からはいつものバッグが襷掛けに、旅支度の済んでいることを告げている。



「なにそれ、めっちゃ似合ってんじゃん!」


 タケシは拳を握って目を輝かせた。とくに胸を前閉じで締めあげるボディスに。


 だがイリアのほうは、恥ずかしそうに口を尖らせ、


「エメラさんのおさがりだ……。しかし、なんか白って…… スーカスーカして落ち着かないし……」


 スカートの裾を引き上げて、


「こんなの、似合わないだろ……?」


 横目を向ける。


「そんなことねーって! ですよね! お二人とも!?」タケシは上気して尋ねるが、シカルダは目が見えないし、ボヤンスキーはうなずいても声が出ない。


「いやだって、はしゃいでんのタケシだけじゃないか」


 すねたようにイリアは腕を組み、戸口で背中を向ける。


「無茶言うなよー! じゃあそうだ、──はい、 可愛いと思う人は挙手!」


 三人は、


 シカルダが控えめに右手を、


 ボヤンスキーが左手を、


 そしてタケシが両手を高く上げ、計四本の手を挙げた。



 イリアは横目でそれを確認すると、歯を見せて振り向き、


「ならよし。荷馬車がくる。ディンゴさんも出発するそうだ。私はいくぞ、タケシ。ついてくるか? それとも…… 坊さんになるのか」



 





 その言葉に、目に涙をためてタケシはシカルダに向き直り、


 

「──やっぱりおれ、シカルダさま……!」


 口をわななかせ、彼を見上げた。


「クレリックには…… なれそうにありません……」


 正直、あのおっぱいには勝てない気がする。それに、


「昨日から色んなことが立て続けに、起こりすぎて…… いままで生きてきた一生分よりも、きっとたくさんのことを考えたんですけど、おれ……」


 彼女が横にいると、何故だが、何でもできそうな気がしてならない。


「だから、とにかく。いまはミハラまで、一緒に行こうと思います」


 シカルダは、熱く見上げているのだろう彼にうなずいて、目をとじたまま、


「もちろん、構いませんよ。大事なのは身分よりも、自分を生きることです」


 そして、衣の袂から二通の奉書包みと、お守りのような革袋を取り出して、


「一通は、ミハラの中央学院にいる転生者研究の第一人者、マセュー博士への紹介状です。図書館の司書にアナンというクレリックがいるはずです。彼に見せれば繋いでくれるでしょう」


 そして二通目は、僧会支所宛ての一通だが、シカルダは手にしたまま、


「これがあれば、どこの僧堂でも一宿一飯にはありつけたのですが……」と残念そうに微笑んで、


「しかし出家は取りやめということで、こちらは私が預かっておきます」


 そう胸元にしまい込んで、タケシに顔を寄せてから、


「──もし、イリアさんに振られたら、またいつでもこのイワエドに取りにおいでなさい」彼にだけ聞こえるよう、声をひそめて耳に囁いた。


 そして最後は、蝋で封印した小袋を彼に見せて、


「万が一、ミハラで困り果てるようなことがあれば、この封印を破らないまま、会合衆のヂモンという方にお渡しください」


 そう謎めかすような口ぶりのまま、


「割った木札が入っています。きっと、力になってくれるはずです」


 タケシの手に握らせた。




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