1-47 雨上がりの空に


 青山亮二は巨大な身をもたげ、崩落した酒場のガレキを踏みながら、鎌首をこれまでにないほど高く持ち上げた。


 風の中に、娘の幼い匂いが流れてくるのだ。


 ケルピーの身体で彼は、東の空へと鼻先を向けた。




 かすかに背中で、約束が、遠く聞こえる。


 そうだ。娘を取り戻したら、彼を自宅にまねいてみよう。











 その先で、朝日を背にディンゴは、崖の上、片手に掴んだ卵を、天高く掲げたまま、


「聞けえ! ケルピーーー!!」


 彼を煽った。


「憶えているか! つがいを殺め、子を拐かしたは我々、エドの憲兵隊と、この私、ヴォルフレッド・エルンスト…… ダステッド卑怯者ディンゴ!」


 叫び、サーベルを抜くと、卵を頭上に放り投げて白刃を閃かせ、真っ二つに斬った。


 足もとに落ちるゼリー状の卵嚢らんのうから目を上げ、


「妻と子の仇を取りたくば! ──来い! この名をかけて相手しよう!!」


 ディンゴは腰を落として左半身をとり、霞に刀身を構える。





 ケルピーは、割れた頭部から、息を、全身に溜め、天地の境にヒビが入らんばかりの叫びを上げて、残存する三つのあしと半分の尾で地を揺らして瓦礫を蹴散らしながら、崖上の太陽の中、半身に構えるディンゴに猛然と突進する。



 



 アルセンは脱帽し、


「クソ度胸だな、アイツも!」


 呵呵かかと禿頭で笑いながら、


「俺っちも、漢を見せるぜえ!」


 一足先と駆け出した。


 ましらを思わせる素早さでガレキの間を縫い飛ぶように駆けながら歯を見せ、アルセンは、


「タケシ! 俺は上だ、潜れ!!」



 そう三段跳びにガレキの山を駆け上がり、長剣と空へ跳び、



 ケルピーは、石組みと崖の斜面に、船のように座礁し乗り上げ、止まり、



 剣にしがみつき急降下するアルセンは切先を下向きに、ケルピーの背中めがけ、


 タケシは盗塁をする様に足から滑り込み、ケルピーのその腹下へ、


 そしてディンゴは崖上から、押し寄せる津波のような魔獣の口めがけ、切先を、諸手で突き込みながら跳び込み、




 



 アルセンの長剣は背中から、ディンゴのサーベルは口内から咽頭の向こうまでを突き刺して、肩までめりこませたまま、


 


 タケシは仰向けに、ケルピーの腹の下、青山亮二の血混じりの涙に、目と口がわなないたが、牙のように犬歯を合わせ、如意を、彼の首へと押しあて、


「青山さん……、先に行ってくれ……」額を突き当てて、刮目し、


「おれも必ずそっちに……!」


 口元に滴る血を噴いて飛ばしてから、胸に息を吸い込み、


「イリアアーーーーーーーーーー!」命のような名を叫んだ。


 据えつけていない重機関銃のように暴れまくる如意の尻を頭ごと抱えて、紙一枚も挟まれぬ目鼻の先で粉砕されていく青山の激しい頭部頸部振動と眼球の震えに加え、人から噴き出すあまりに熱い、動脈血の噴出とバケツ十杯の涙をぶち撒けたような脳漿そして時磁力石ぢぢりいしの青い閃光が交差するなか、


 歯を食い縛り、熔岩のような生命の欠片を、眼にも、腕にも、歯にも、顔にも浴びながら、理由もなく、異世界に飛ばされ、人殺しの道具に変えられた同胞の魂を、身体を、この中有の地、バルディアから跡形もなく、葬送した──。







 タケシは、その古代の金属が音を鳴り止め、伸縮を終え、中子を元の長さへ引き込んで行く間に、力をうしない皮膚の垂れたケルピーの胎の下、血の池に、血とともに生まれた嬰児のように、如意を抱きながら、啜り泣き、丸まり、肩を震わせた。



 雨あがりの空は、雲間から光を差し込めて、幾重にも天使の梯子を交差して祝福をするが、いつまで経っても彼は、出てこない。



 ディンゴは、ケルピーのうなだれた頭部の側面から、割れたアゴを掴み、這い出して、がれきの上、重たげに腰を下ろし、甲冑の留金を外した。


 アルセンは、引きぬけない剣を放棄して、背中を飛び降り、腹の下、タケシの様子を覗き、腰に手を当てて、安堵するように天を仰ぐ。


 そして駆け寄ってきたイリアに、口角をあげ、親指を上に向け、


 エメラが涙を拭き、安堵に泣き笑いながらイリアと、互いに抱きしめ合い、


 トズランは、拾い上げた箱の煙り草を咥えて、火をつけ、紫煙をながしながら歩き、


 その手が、襟元を緩めたディンゴに、一本を差し出した。


 火を分け合い、彼らも空を見上げる。



 その朝日も知らず、タケシは慟哭し続けた。


 流した血を、涙で洗い流すために──。





 空は青く、村人たちも集まり始める。


 だが彼を嗤う者は、その空の下、誰一人としていなかった。







 

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