1-46 ダブルダウン
放った火矢は、オーク材を割りながら小樽を貫き、中の火薬に火をつけた。
小樽は射入口より白煙を噴き、ケルピーが不快そうに首を傾げたのも一瞬だった。舌の違和感に口を閉じた瞬間、ケルピーの側頭部が爆発した。
伏せた床から、イリアとタケシは重なり合ったまま、間口のほうを共に見あげた。
ケルピーの上アゴは、顔の左半分を残し、右が全て吹き飛んでいた。
「──やったのか」
ケルピーは動かない。
タケシはつぶやき、上半身を起こしたが、イリアは目を合わせず、
「……いや、まだだ。おそらく厄介なのはこれからだ」
ケルピーを見据えて言った。
それは、主脳を失って呆然としたのか、周囲の様子をうかがうように鼻先を持ちあげている。
その勢いに酒場のアーチ天井は、正面ごと吹き飛んで崩落をはじめ、ケルピーは、頭上から降り注いだガレキを、身震いひとつで払い落とし、
「──ちょ…… 前より元気じゃね?!」
タケシ達とは反対方向のカウンターへと、鼻面を向け、咆哮し、半面が削げ落ちた顔でケルピーは突進する。
迎え討つようにその上でトズランは、弓を軽く引いて二の矢を放ち、冷静に、突っ込んで来るケルピーとの距離を測る。
そして段違いに猛烈なケルピーの突撃をジャンプしてかわし、その下を、ケルピーがカウンターを紙細工のように蹂躙しながら通過し、すぐ先の西側の壁にぶち破ってケルピーは、そのガレキの下敷きとなるものの、身震いをしただけで、のしかかった全ての木材や石を飛ばして落とし、においで次の目標を探すのか、ふたたび鼻を上体ごと持ち上げて行く。
身を起こしたタケシは、イリアの手を引いて起こし、
「なんで…… アタマが吹き飛んでんだぞ……」
そのケルピーを横目に店の裏手に露出した崖沿いを走る。
「──簡単な話しだ、主脳ごとリミッターが吹き飛んだだけだ!」
屋上でも、床は崩落をはじめディンゴは、卵を握ったまま、左右を見渡した。
足下で暴れている魔獣の動きに合わせるように屋上は、次々と陥没し、落ちて行く。安定した高台は、もう、酒場の背面の崖しかない。
彼は崩れていく西壁の上を駆け出し、崩落に追われるように助走を付け、崖の上に飛び移った。
残る高所と言えば、この崖しかない。手を掛け、卵を歯に咥え、よじ登ってディンゴは卵を、手甲に移し、右手で自分の髪を引きちぎり、空に放り投げた。
風向きを占うためだ。
金色の髪は、西壁のケルピーへと流れて行った。
その直下では、ケルピーが突進し、樽のバリケードを粉砕する。
エメラはスカートをたくし上げ、必死で駆け、店の奥壁の崖に行き止まり、迫るケルピーに向き直り、欠けた顔面を振って
アルセンが強引にその手を引き、エメラを壁から引き剥がすと、その壁にケルピーは脱線した貨物列車のように激突して残っていた屋根を残らず吹き飛ばし、崖に逆さまに乗り上げて止まった。
完全に、露天のガレキ置き場となった酒場跡を、アルセンは、エメラと息を切らし走って来て、タケシの肩に手を置いて言った。
「──みろ、奴ぁ、もう目が見えてねえ」
ケルピーの左目には、トズランの放った最後っ屁のような矢が突き立っている。
「闇雲に暴れてるだけってことですか」
アルセンは汗をぬぐい、首を横にふる。
「いや。ただ、ムカつくニオイに突っ込んでるだけだろ、きっと……」
野生魔獣なら、ある程度の痛みや不利益を味合わせたのちに退路を提供すれば、逃げて行く。しかし、転生者という人間ごと大脳を組み込んだことで、使役魔獣は、苦痛や恐怖を乗り越えて目的のためなら「死ぬまで」戦い続けることが出来る。
「だからよ、かえって厄介なのさ……」
もう、とにかく動いて、動いて、捌くしかない。小手先の策は通じない。
「かたまってると有利なのかな、不利なのかな、どっちだろ……!」
「わかんねーぜ、それに考えてる間に来てるぜーーーー!」
胴体をくねらせ崖を下り、顔を半分失ったまま向かって来るケルピーに、背を向け、四人は逃げながら、
「──跳べッ!」
イリアとタケシは左へ、エメラとアルセンは右へとジャンプし、その中央を剛体が突風を巻き上げ通過し、ガレキのなかへ突っ込んで行く。
タケシは手をつき、重い身体を起こし、イリアの手を引き上げる。
そして左右に、陣取れそうな高所を探す。
この突撃からは、いつまでも逃げ回っていられそうにない。エメラも、イリアも、アルセンも、そしておそらく自分自身も、濃い疲労の色を目元にうかべ、血で汚れた顔から手足の先にまで、全身に傷を負っている。
ケルピーは、のぼり始めた太陽を背にし、影絵のように向きを変え、再び身をくねらせてガレキを飛ばし、突撃する足場の支度にかかる。
その様子に、タケシはイリアの頭を抱き寄せたが、アルセンは目をこすり、太陽の中へと目を凝らし、息を飲んだ。
「──おい、ありゃ、なんだ?」
昇り始めた朝日の中、東の崖の上で、何か透明な物を両手でかかげた誰かのシルエットが見える。
ケルピーも、その東から吹く風の匂いに、一瞬、動きを止め、鼻をひくつかせ、その鼻先をあらためて向け直すように、再び東へと、ゆっくり向きを変えた。
アルセンは、「ディンゴだな…… 」つぶやいた。
高く掲げているものは、ケルピーの卵か。朝日を透かし、玉か雫のようなものが輝いている。
「おいタケシ、奴ぁ、ヤルって言ってるみたいだな。おめえの作戦を……」
タケシもうなずき、ディンゴの立つ崖までの距離を、目で測った。
三〇メートルはある。遠くはないが、近くもない。
「間に合うかな……」
「──そうじゃねえな。奴は死ぬ気だ。てめえを喰わせてる間に、俺たちにトドメを刺させる気だ」
そう言いながら長剣を担ぎ直し、「──間にあわせるしか、あるめえよ。」
口元を、への字にして無精髭を掻くアルセンと、うなずき合ってタケシは、シャツの裾を握っているイリアにも、
「たのんだよ、グラッボ。頼りにしてる」
その手を温かく包んで、離すよう求め、彼女は顔を歪めながらも、うなずいて、
「──死ぬな、絶対にだぞ……」
喉の奥で、涙声した。
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