1-45 託す命で
しかも、イリアが握っているアリタ川の石が、タケシの髪と、
イリアは、暴風のような、地鳴りのような、ケルピーの咆哮の中で、そむけている顔を歪めながら、三者にある何らかの関連性に気がついたように息を飲み、
「共鳴…… してる……」
その光を、包み込んで胸に当て、タケシの光る髪を見た。
ディンゴもまた、金切り声に目を細めて耐えながら、この事態、好機だと見ていて、歯を食いしばり、シーツにくるんだ樽爆弾にラム酒を振りかけ、マッチで着火した。
引火し青く燃え上がった右手で、アルコールの炎が包む爆弾を、魔獣の口内めがけ、彼が投げこむと、
ばくん、と魔獣は、反射でその口を閉じ、
タケシは伏せ、
アルセンは、カウンター裏に飛び込み、
ディンゴは床を転げ回って火のついた腕の消火にかかるが、消えないと見るや燃える
「頼むぞ、来い、……!」
眉合いを寄せて腕で覆い、爆発の瞬間を見守るが、
しかし──。
「くそっ、だめか!」
ディンゴは身を起こし、膝立ちした。
ケルピーの口の中、湿り気と酸素不足に、ラム酒の炎は、蝋栓を融かしきる前に鎮火したものと見える。
だが、それでも口内に違和感があるのかケルピーは、アゴの中に引き戻した舌をしきり転がして、首を傾げている。すかさずタケシがディンゴへと、アイコンタクトと指先で「屋上へ!」と促す。
そして、「──オヤカタさん!」タケシのその呼び声が終らないうちに、アルセンは、「抑えろってか!」意図を汲んだように駆け出して、梯子の下ろし紐に飛び付き、体重をかけて、重たい
一方で魔獣は、つい先程まで戸口だった正面間口を、さらにこじ開けるように、ふたたび左右へと激しく身をスイングさせ、石組みの構造自体に揺さぶりをかけ、天井板の間からホコリを、落盤事故のように降って落とす。
アルセンは、「ヤロー、建物ごとブッ壊す気でいやがるぜ!」ディンゴがよじ登っていく鎖梯子の揺さぶられ具合を、タケシと共に全体重で押さえつけながら、建家が崩れる前に、もう討って出るべきかと天井を見上げて占うが、
今にも足を滑らせそうなディンゴが暴れる鎖梯子に噛み付いてでもしがみつき、登っていく様を見ると、その下支えに賭けるように、腰を落とし、ケルピーを睨みつけ、負けじ大声で怒鳴り付ける。
だが、ディンゴは屋上へと手をかけると、あとは早かった。一気に肘で甲冑の胴体を持ち上げ、足をもがかせ、開口部が切り取る狭い空の中にすっぽりと消えた。
それを見届けたタケシは駆け出し、スライディングして見覚えのある憲兵隊の樽を蹴飛ばすと、広がった水溜まりに手を伸ばし、ゼラチン質に覆われた卵を掴んだ。
透明な膜の中、その卵核は、すでに背を丸めた両生類の姿に成長しており、
──最初からコイツを、返していれば!
タケシの顔が紅潮し、忿怒に歪みかけるが、こうしていても時は戻らない。傷だらけの手で天井に目をやり、間口の外で両手を構えるディンゴへと、この哀れで忌まわしき卵を高くトスした。
だが、その
天井から、柱から、曲がった葺き板から、光が差し込み、砕けた破片が、砂ぼこりと競い合うように舞い落ち、店内でもバーカウンターが中央で裂け、真っ二つに割れながら隆起し、背丈ほどまでに持ち上がっている。
エメラとイリアは、アルセンに手を引かれ、店の最奥の裏口へと背中を貼り付つける。だが裏口であったはずのその木戸は、ズレた石壁が建物全体で背後の斜面へともたれかかり、めり込んでいるのか、建て付けごと歪んで隆起し、使い物にならない。叩いても、蹴っても開かないどころか、開いたところで地面がみえるのであろうその木戸に、アルセンは、
「はっ! こいつはダメだ! 非常口が、地下室になっちまってら!」
ケルピーの今や傷だらけな舌が迫る中、
「塩でも塗ってやろうか、このナメクジ野郎!」怒鳴り付け、
背を壁に貼り付けたまま、「──エメラ、ほかに出口は!」隣に問うが、
「ないわ!」彼女は叫ぶ。
「あるとすれば、天井のあそこしか……!」
エメラは、哀しげな目で、
「ディンゴ! いそげ、下はもう後がねぇ!!」
しかし、ディンゴは天井から顔を出し、
「ダメだ! こうもがっちり食い込んでしまったら、かえってケルピーが…… 出てこない!」
アルセンは無精髭を捻り、肩の長剣にも手をかけ、
「……どうする、タケシ、脇から刺すか」
迂回して
だが、長い舌で店内を引っ掻き回し、調度品でも椅子でも触れるものは何でも巻き取って振り回すケルピーの長い舌には、それも叶いそうもない。店内狭しと風音を立てて乱舞するその筋肉の
タケシはかぶりを振った。
「──無理です、自殺にしかならない」
「じゃあ、わたしが奴の舌を押さえる……!」
まだ回復の追いついていない表情で、指鉄砲にするイリアの右手を、非力なはずのタケシが取って押さえ付ける。
「だめだ! 死ぬ気か!」
「放せ、バカタケシ! このままじゃ皆んな死ぬんだぞバカッ!」
抑えるタケシも、力なく放せと暴れるイリアも、そしてアルセンもエメラも、額に汗し、背中を傾いた壁に着け、目前にはケルピーの舌を、後ろには冷たい壁を、上には落ちそうな天井を、そして左右のひしゃげて行く壁を、見上げ、見回し、打開策が何処かにないものかと、目を見合わせ、顔をしかめるが、──何れにしても、
──脱出口はもう、あそこしか無い。
全員が天井の開口部を見上げる中、タケシが、
「そうだイリア!」思いついたように早口で、「もしかしてだけど
しかし彼女は、うつむいた。
「──できない!」
「な、なんでさ」
「わたしは刺客だ……」
そうタケシにしがみついてイリアが、
「攻撃魔法しか…… 練習させてもらえなかった……!」
よほど今、それが悔やしいのか。だが泣くことには慣れていないのだろう。息を殺し、涙する彼女が預ける頭を、髪ごしに撫で、タケシは、ならば、せめてこのまま居ようと、ケルピーの生臭い吐息から彼女を護り、目を閉じかけたが、
──しかし。
やはり、ここは、一か八か、口の中に跳び込んでみるかと、薄く開いた目に、
トズランが、火矢を口に
そして駆け上ったカウンターの頂点から、短弓を目一杯に引き絞る彼の眼の先には、ケルピーの口内で、小樽が躍っており、
タケシは──
「──みんな、伏せろ!!」
叫びながら、イリアを抱いて跳ぶものの、全員の退避措置を待つようなトズランではない。
その生粋の傭兵は、見開いた目で、口を尖らせたまま、かまわず火矢を放った。
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