1-44 少年は勇者になる

 風に乗った娘のにおいに、広場でケルピーは、顔をあげた。


 シカルダは、


「これ。お前の相手はこちらですよ!」


 そう声を上げるものの、魔獣は酒場に、どうしてか興味が移した様子で、腹の皮膚を引き摺りながら向きを変えていく。




 向かって来る魔獣なら翻弄しようもあるが、去って行くそれは引き止められない。


 シカルダは腕を組み、遠のいて行く魔獣に、困ったような顔をするが、


「どうやら、これまでのようですね」


 ケルピーは、濡れた広場の石畳を、失った前肢を使えない分、重たげに身を左右させ、水面に船のような航跡を残して切れた尾を引き摺るように進んでいく。


 水辺の魔獣である。散々に消耗させた今でも、油断ならない相手だが、あえて走れば追いつけない事もない。しかし、それもコアとなった転生者の魔獣に与える策であろう。


 深追いすれば、今までシカルダがしていたことの逆をする気である。


 しかし、タケシも甲冑を着込んだ者も、その足音は既に酒場の中へと駆け込んだ様子。



 シカルダは彼を信じ、風向きを変えた空へと祈ることにした。



 


 そして耳を澄ます。


 重甲冑を着込んでいるのか、街道に向け、重い金属を引きずりながら這う音がする。


「──では私は、回復と移りますかね」


 シカルダは広場を、ボヤンスキーの方に向け、歩きはじめた。


 きっとタケシなら、やってくれるはず。


 シカルダにはそう思えた。
















 タケシは手早く指示を出した。



「ディンゴさんは先ほど通り! そのほか全員は奥の壁に!」


 店内で最のカウンターに、樽のテーブルを集めてディンゴとアルセンがバリケードを張り、エメラを丁重に招き入れ、隠す。


 イリアはタケシに肩を貸りて歩きながら、その耳で作戦を聞く。


「おれが如意こいつを持って、ケルピーの腹の下に潜り込む」


「……じゃあ、またグラッボを、その棒にかけたらいいわけだな」


 顔色を伺い、「できそうかい?」タケシは歩きながら尋ねる。


 呼吸は戻ってきているが、まだイリアは片手でアリタ川の石を胸に当て、本調子とはいかない表情だ。


「──うん、大丈夫だ」


「でも魔力は使い果たさないでくれよ、死なれちゃ困るんだ」


「まかせろ。わたしもまだ、やることがあるからな」


 しかし、作戦に疑念が無いわけではなさそうな顔で彼女は、


「──でも、その棒の反動はどうするんだ。ユーのからだに当たるかも……しれないじゃないか」


 言っても乱戦だ。正直、そこは運に任すほかない。タケシは軽くはぐらかすように答え、


「……ま。策はある。上手くやるさ」


 だが彼女には真面目な顔で尋ねた。


「それよりも問題なのは、きみの残り魔力だ。正直に言ってほしい。グラッボは、あと何発くらい負担なく撃てるかな」







 そこにトズランが、戸口から広場を物見する声をあげた。


「まだ遠いがケルピーが向かって来た。坊さんは無事だが、用心だ!」


 タケシは振り向き、「わかった! 配置につく!」そう答え、考えていたイリアの返事を聴く。


「100発…… くらいかな」


「ひ、ひゃっぱつ!? そんなにも大丈夫なの……?」


 タケシは驚きながら、彼女の背中を、カウンターの下に押しこむ。


「距離が近くなった分、魔力消費が抑えられるからな」


 中で振り返って、そう上目遣いに答える彼女の笑顔と別れがたい。心底愛おしいと感じる。だが真一文字に口を結び、彼は窓の外へと目を移した。


 ケルピーは、すでに目前だ。





「──わかった。でも、無理はゼッタイに、してくれるなよな」


 そう口にするタケシの顔を、イリアは見上げており、


「ところで策? ……ってなんだ? 今度は魔法じゃないのか?」


 タケシは苦笑した。そんなものは無いのだ。


「──そうだな。神様の魔法さ。とにかく俺がケルピーの腹の下に潜り込んだら、どっちかが動きを止めたって、バース、掛布、岡田!、バース掛布オカダ!……って感じで撃ちまくってくれ」


 きっとなんだか分かっていない彼女だが、


「よくわからんが、そっちの世界の神様なら、大丈夫だな」


 満足げに目を細め、歯を見せた。








 タケシは、その顔に頷き、続けてアルセンに片手を挙げ、


「親方さん! もしおれがまたコアに魅入られたり、的を外したり、そのほか、あるいは……」


 死んだら──


「その時は、長剣で、コアにトドメ、お願いします!」


「おうよ! しかし魔獣だぞ。通常武器で皮膚を通せるかだぜ……」


 しかしタケシも、キッチン引き出しからナイフを取り出して、


「大丈夫です。ヤツの右の脇腹、コアの顔が…… 露出していますから」


 腰のベルトに挟み込むため、刃を布巾でを包みはじめる。

 




 イリアは、タケシのその真剣な顔を見上げながら、


「……タケシ、それって、もしかしてケルピーのコアを見たってことか」


 その問いに、タケシの目は一瞬曇り、腰に挿したキッチンナイフの冷たさもあってか目に青山亮二の顔がチラついたが、


「──ああ。でも大丈夫だ。次は躊躇わない。絶対に救ってみせる」


 それが転生者、の望みなのだと、タケシは肚に決め、サラシを歯で裂き、如意を左手に巻き付け、固く口を使って縛りあげる。



「それにオレ、分かったんだよ。この世界で一番なにが大事なものかって」


 次は何があっても、手離すわけにいかない。


 サラシで固めた左手と、空けた右手で、如意の根元をヤリのように握る。


「──だから。もう、躊躇はしない」


  イリアへと月夜のように優しい目で、彼はそう微笑み、窓の外へと視線を戻した。


 


 






 しかし、その時、物見をしていたトズランが、


「って、なんだアイツあんな隠し球を…… 来るぞッ!衝撃に備え……」


 急加速を始めたケルピーに、さけぶ間も無く横っとびに退避をし、



 その瞬間──


 戸口にケルピーが頭を突っ込んだ。衝撃で石組み酒場の全体は大きく揺れ、破片が店内に飛び散った。きしみをあげて建物が、背面の斜面に向けてずれ、屋根が大きく傾いた。








 身を起こし、タケシが眼をあけると、ケルピーは店に突っ込んだまま大きな口を開けている。


 高さはその先で、アーチの天井に届きそうなほどもあり、肉の洞穴のようなその喉で、鋼板を力任せに引き千切るような金切り声を上げ、咆哮は石組みの酒場の中に反響し、エメラとイリア、アルセンやトズランの頭蓋を震えるほど揺さぶった。



 ディンゴまでもが耳を押さえ、身体を丸め、しゃがんで屈んでいるが、タケシは独り、身体の奥で芯が燃え上がるような興奮に、叫び声を上げたい心持ちでいた。狂気が乗ったような歯を合わせ、その音波の嵐の中、笑みがこぼれている。


 タケシの漆黒の髪が、如意の時磁力素ヂヂリウムに共鳴し、青白く逆立っている。


 ──まさに彼、いま正気に非じ。


 ──イリアは、顔を被う腕の隙間から、確かにこの時、嵐のような音声の洪水と振動に震えながら、その彼の姿を、背中から目撃した。


 目を見開き、ケルピーの口内の肉のヒダや、舌の根が、大気を震わせ振動させている。その全てを、五体で味わうかのように彼は、片足を踏み出し、人狼のように背を曲げ、押し負けぬよう、──手にした如意を、光らせて、ケルピーの圧のすべてを、全身で歓喜のように浴びていた。


 




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