1-43 朝日の中へ

 ディンゴは酒場の階段に伏せ、落ちていた誰かのサーベルを回収すると石畳との間に渡し、手甲ガントレットで叩きつけ、歪みを直した。そして鞘に納めながら広場でうつ伏せに倒れたままの重鋼甲冑ヘビーアーマーに向け、大声で叫んだ。



「ボヤン殿! 状況を!」






 ボヤンスキーの表情は、その厚い兜の中にあって伺えない。


 だが彼は、鍋つかみのように大きな手甲の中で、


 指を二本、地に向けて、「〝脚〟」


 握り拳でそれを強く叩いてから、拳を開いて大きく揺らし、「〝打撲 重症〟」


 しかし、手のひら見せてから、ひっくりかえして、「〝でも〟」


 そろえた指先を左胸から右胸に移動させ、「〝大丈夫〟」


 ──と、南バルディア式の戦場手話ハンドサインをする。





 ディンゴは声を張り、「必ず助けに行く! 離脱を!」と、宿がならぶ海道に指を向けた。









 そのディンゴの横を目掛け、水気を切って一直線に滑り込んできたタケシにディンゴは尋ねた。


「あの武僧モンクは!」


「シカルダさまと言います、我々のために時間を稼いでくれています!」


 シカルダは広場中央から、巧みにケルピーを挑発して、街道方面とは逆の参道口へと引き込んでいく。民家やボヤンスキーから遠ざける魂胆なのだろう。



「そうか。──では、次の策があるのだな!」


 タケシはうなずく。


 その眼には光がある。


 ディンゴは安心したように胸いっぱいに空気を吸い込み、


「どうやら気を取り直したようだな!」


 タケシに手甲を突き出した。



 昇り始めた朝日を背に、ふたりは拳を合わせた。








「で、どうする。タケシさん」


 ディンゴは翻弄されているケルピーを遠く見遣る。武僧の驚異的な反射能力は、手負の魔獣を遥かに凌駕しているが、いつまでもそうしていられるものではない。


「はい。この間にディンゴさんは急ぎ、あそこに上がってください」


 そう言いながらタケシは、酒場の屋上を指差した。


「……屋根?」


 訝しむようにディンゴ酒場を見上げるが、そう言えば、たしか酒場の壁際に屋上への上り口があったことを思い出した。


「そうか……。暗黒時代には砦だったという話だったな!」


 彼はタケシに目を移し、


「しかし卵と一緒にいうことは…… 今度は屋上へと、またケルピーを誘導するのか」



 使役魔獣の弱点であるコアは、今もあのケルピーの胸部に傷から露出しているはず。しかし爆弾を用いるにしても、如意を撃ち込むにしても、あのケルピーの腹部を何とかして持ち上げ、その下に潜り込まねばならない。


 ディンゴは目を上げた。


「──そうか。奴を屋上に上がらせ、その下の酒場を爆破するのか!」


 だが、そうするには早合はやご一発分では、火薬の量が足りない。ディンゴは気の毒だがと言いたげな顔をし、


「──無理だ。それにあの手傷だ。ケルピー自身が屋上に登ることができない」


 額の汗を拭き、唇をかんだ。


 


 しかしタケシは、手の如意を見せ、


「──トドメは、おれがコイツで刺します」


 迷いを捨てたように言った。そして、


「腹も、大丈夫。必ずケルピーが自分でコアを持ち上げてくれます」


 自信ありげに、口角をあげた。


 














 イリアを抱きながら、エメラが全身で手招きする酒場の中にディンゴは駆け込んだ。


 そして、ひと息をつく間も無く、荒い息でエメラに、


「イリアさんは!?」


 容体を問うが、額に汗を浮かべてイリアが胸元に当てているアリタ川の丸い石を見せて苦しいながら笑むと、驚いたように息を呑み、


「──初めてみたが、本当に存在するのだな」


 イリアはそれを再び胸に当て、うなずいた。


 ディンゴは、今度は彼女を抱いているエメラに、


「強い酒は残っていますか」尋ねた。


「えっ、酒!? こんな状況で?!……」


 エメラは目を丸くするが。


「いや、爆弾の着火と遅延に使います。火が着けばなんでも良いのだが……」


「ちえん…… ちえ……? まあいいか!! ラムで良い!?」


「充分です。あと新しいシーツかクロスも徴発したい。家探をしても宜しいか」


「ええ勿論! そっちの倉庫に両方あるわ、お好きなだけ使って下さいな!」





 タケシも遅れて駆け込むと、一目散にそのエメラの腕のなか、肩で息をしているイリアの手を握り、名を呼ぶが、


 彼女は、


「……まったく、何をモタモタしていたんだ…… このバカタケシ……」


 そう言いながらも、目を緩め、


「……でも無事でよかった」ほっとしたように、笑みを浮かべた。


 しかし、その丸い額に不釣り合いな汗と、異様な血管が浮いている。


 タケシは、その額を拭い、手を握り、ごめんよと唇を噛むが、



 そう目を閉じていたイリアは、気を取り直すように、身体を起こし、


「──見ろ、後ろを」


 タケシを振り向かせた。


 そこには、アルセンとトズランが血まみれの歯を見せて、腕を組みながら、彼に親指を立てて見せている。


 イリアは、


「皆、お前がたよりだ。それに、」胸に当てている丸い小石を掌の上にひろげて、タケシに見せ、


「──アリタ川の石だ。これが少しずつだがわたしを回復してくれる。すぐに重力呪グラッボだって撃ってみせるぞ」


 不敵な笑みで八重歯で見せるが、その明らかな痩せ我慢に、エメラが頬を寄せて抱いた。





 タケシも涙ぐんでうなずき、立ちあがると、


「みんな……」


 窓の外はすっかり明らんでいる。


 広場ではケルピーが、シカルダを追い回す激しい水の響きがしている。



 タケシは迷いを振り払うように、如意を固く握りこみ、



「──みんな! 聞いてくれ!」


 肚と眼に力をこめた。


「次の作戦で、今度こそ、ケリを付ける……!」








 

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