1-39 ふたりの日本人

 二人の間に、音はほとんどない。しかし、どこか遠くから、微かに響く音がする。それは風でもなく、機械のような無機質な音でもなく、まるでこの空間そのものが静かに脈打っているかのような反復的な揺らぎだった。






「しかし……」青山が口を開いた。


「タケシさんは、私よりも先にバルディアへ転生したのかな」


「え?」


「いや……。ここが回廊だとか、いろいろ先行した知識があるからさ」



 タケシは恐縮し、


「おれは今日、バルディアに来たばかりで……。でも、たまたま出会った人たちが親切で助かってますよね」


 そう頭を掻いたが、


「でも…… じゃあ、青山さんは、バルディアのどこにいたんですか?」


 気がついて、そう彼に尋ねた。






 すると、ふたりを隔てるように、一枚のスクリーン画像が横から流れて来た。



 見ると映像には、海を漂流する背広の青山が写っている。


 不意に出現したスクリーンのような画像のなかの自分に目を奪われ、青山も、呆気にとられていたが、彼は手を伸ばし、その映像を掴もうとした。が、その手は腕ごと画面を透過し、しかも、


「え……」


 それは空間自体の共鳴なのか、それとも耳鳴りか、タケシも耳もとを押さえて、自分の頭に浮かび上がってくる、トゲの立ったような痛みをともなう青山の記憶の断片に、


「──記憶が、流れ混んできますけれど、これって青山さんのものに間違いありませんか?」


 顔をしかめ、痛む頭に爪を立てた。


 だが、



 海の中、冷たい水に浸かりながら、背広のまま漂流していた青山も、


 薄暗い馬車の中、縄で縛られている青山も、


「……これは、ええ、俺の記憶……?」


 木製の手枷に拘束され、寒さと飢えに震えながら馬車の中で揺られる記憶の中の青山も、


「いや、でもだって……」


 間違いなく、バルディアに転生した直後、青山が体験した記憶は、二人の脳裏に今、蘇って来ている。耳鳴りの中、それは二人の中で断片同士、結び付き、輪郭と奥行きを帯び、全体像は、徐々に鮮明になる。



 お互いは、瞳を向け合って、苦痛に顔を歪めて、


「ウソでしょ。こんな……!」タケシはうずくまり、頭を抱え、


「いや間違いない、これはわたしの……!」青山は立っていられないように、しゃがみこみ、警官の制服のまま絶叫し、



 青山とタケシは、再度襲った頭を割らさんばかりの頭痛と耳鳴りに膝を抱えたまま痙攣した。そして、宙を漂い、一枚の画像だった青山亮二の記憶は、今や回廊いっぱいに拡大している。


 転生した背広のまま、海上を漂流する青山。


 漁民が木船に引き上げ、そのまま縄で縛り、市場に運ばれ、覗き込むバルディア人の好奇の目。


 人買いに売られ、馬車の荷台の檻の中、酷暑の旅をする青山。


 その果てに、この回廊と同じ光る液体を満たした水槽に漬け込まれ、何らかの処理を受ける青山。光る液体が、鼻腔から喉から、耳から口から、毛根から染み込んでくる。



 その記憶を取り戻した唇を、わななかせ、青山は、それでも頭を振って、蘇った記憶を否定したい様子であったが、記憶の断片は、まだ頭の中に押し寄せてくる。


 彼はただ震え続け、やっとのことで正気を取り戻すと、同じように震えているタケシを見つめ、タケシもまた、思いだしたように、青山を見る横目で、震えながら彼を見た。


「おれは…… あなたと違って」そして彼は唇を噛み、言った。


「まだ…… 捕まっていないだけなのか……」


 そのタケシに、青山は、胸が潰れるような思いで目を固く閉じ、うなずいた。


 汗しながら歯を食いしばるタケシの胸にも、青山の悲痛な記憶が、羨望と嫉妬の混じった憎悪として、濁流のように流れ込んでいるのは、青山自身がよく分かっていた。





 そしてまた、


 それは〝回廊〟のなせる業なのか。


 新たな一枚の巨大画像が、降るように二人の周囲を包んだ。



 だが、こんどの一枚は、あたたかな記憶と共に彼らを照らし、包みこむように、


「──そうだ」


 元の世界に残してきた妻子のことを強く青山が胸に思い起こしたせいだろうか、目をあげると、今度の一枚は、純白の空間の中、青山の妻と赤子を大写しにして、彼らを照らした。



 と言うことは、またこれは、青山の記憶なのだろうか。タケシは周囲いっぱいの温かげな妻子の記憶を見渡し、青山は、自分の巨大な記憶へと、手を伸ばしながら、一歩を踏み出したが、その手はその記憶のそのまた向こう側へと透けて、通り抜けた。


 彼は、記憶の外で、足をとめ、振り返った。


 思い出は美しく、触れることも叶わない。



「──玲子、……つばさ」


 唇が、わなないた。




 絵の中には絵にならない限り、入れないのだと、タケシは直感して顔を歪めた。





 すると青山が、うつむいたまま、記憶の外を、回転をしつつ、


「──タケシさんは、ご存知ありませんか」震える唇で呟いた。「この回廊を遡って、もとの世界に戻る方法を……」






 彼の背後の、そのまた彼方で、イワエドの村の情景が、小さな点のように空間の中を、漂っているのがタケシの角度からは見えた。


 だが、彼方に極小の点のような世界の中にはどうやら──


 降る雨と、累々と横たわる騎士たちの遺体の破片も、


 黒々とした皮膚を血糊にぬめらせて、のたうち回る巨大な両生類も、


 雨に煙る酒場も、仲間たちや、イリアの横顔も、


 そして民家や宿の中で、戦々恐々とする村人や旅人たちの様子も、



 ──あの瞬間の、一切が詰まっている様子である。






 タケシは、今が、戦闘中であることを思い出し、


「なんで ……こんなに大事なことが、遠い記憶になってんだ……」


 苦しげに呟きながら、仰向けに回転するが、


 すると、イワエドの映像は一瞬にして、彼の目の前に現れ、二枚に分裂し、


 一枚は、青山の背景に位置をとり、もう一枚はタケシの背後で回転をはじめた。



 タケシは、その奇妙な様子を、額に汗をしながら目で追っていたが、はたと気がついたように、離れて行く青山のほうを見て、




「バルディアの和尚さんが言っていました! ……おれたちよりもずっと、ずっと昔に転生した日本人が、〝龍哭リュウコク〟を破壊して元の世界に戻ろうとしたって!」


 そう叫んだ。


 青山も、遠のいていくタケシに声を振り絞りながら、


「──よし! じゃあ俺たちで龍哭を探そう! そしてぶっ壊す! なに、 同じ日本人同士だ、やってやれないことはない!!」


 徐々にタケシの視界から遠ざかっていく。



 回転しながら、光のなかを小さくなって行く彼に、タケシは、


「ええ! 約束ですよ! 青山さん! きっと、いや、ゼッタイにオレたちでーーーーーー!!」


 叫びながらふたりは、二枚の画像めがけ、お互いの立ち位置に向けて錐揉みしながら落下していった。







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