1-23 イリア、頬を染める

 イリアはフードのなかで、顔を熱くしたが、


「はいはいはい! 憲兵さんたち、注目ーー! この御老公からですってよ!」


 憲兵隊の人垣を蹴って割り入るように、大柄な女が、両手にする大量のジョッキと共に、あご髭の隊長と、老人に扮したイリアそしてディンゴと呼ばれた若い憲兵の間に、飛びこんだ。


 女は憲兵の人垣のなか、有無を言わさず彼らの手にジョッキを配って歩き、空になった腕でマントの老人をヘッドロックし、大股で、また強引にそれをそこから引っぱり出した。


「あああ…… なにをするのじゃ」


 抵抗もできずイリアは、大柄な女亭主に小脇に首を抱えられたまま、ブーツのつま先を揃えたままカウンターに向けて運ばれていくが、あご髭の隊長も、その様子を横目にしながら鼻を鳴らし、黙ってエールに口を付けたところを見ると、これ以上、事を荒立てる気はないらしい。



「……あの憲兵たち訳アリでね、悪いこと言わないから、そっとしておいてやってくださいな、御老体!」


 女はフードのイリアに、そう耳打ちをし、そのままカウンター席にむかいつつ、注文のエール十杯を他所にもっていかれた隊商の男たちに愛想をふりまいてまわる。


「ゴメンネ! とっておきの女の子たちをおまけして、今スグおかわりはおもちしますから! 待っててね!」


 実に上手く立ち回る。イリアもヘッドロックのなか、


「……しかしワシには十杯も奢る金など」


「だったら、せめて揉め事は起こさないでっていってんの!」


 女は、その太い腕をイリアの脇に差し入れて彼女を軽々と持ちあげた。そしてカウンターの椅子へと据えつけ、そのフードの目の前に叩きつけるよう、空のジョッキを置いた。


 そして睨みつけた。


「──で! おジジさまは何飲むの! きまったんでしょ!」


 そう、彼女が竜のような目でにすごむ以上、イリアは、飲めそうなものを壁の品書きに探した。


「──み、ミルクを」



「……ミルク! なんとまあ健康的な! あたしのでいいかしら!」


 下ネタをはさみつつ、年増女は、カウンターのなかに銅のボトルのヤギの乳をさがして木製ジョッキにそそぎ、ストローわらしべをさした。


 すると、どこに今までひっこんでいたのかディアンドルの若い娘たちが、ジャッキを両手にしてさきほどの隊商たちの樽テーブルにむかっていく。



 彼女らを見送り、ひと息をつくように大柄な女は、カウンターのむこうで煙り草のパイプに火をつけ、ケムリを吐いた。


「討伐で仲間をやられてるんですよ。あの憲兵隊」


 足の届かない椅子のうえで身を回し、イリアは受け取ったミルクをストローで、吸いながら、憲兵隊の様子を横目にいれた。




 隊商のテーブルについた若い女たちは嬌声をあげ、最奥の壁際でしかめっつらをしている先ほどのあご髭の憲兵隊長は、店内への彼女らの登場を歓迎しない様子であるが、カウンターの奥で年増女は素知らぬふりで煙り草をふかす。


「のう。あの憲兵隊長、なんか言いたげでおるぞ」


 わかってますよと年増は言った。


「今夜は若い女を店に出すなと。おまけに早く家に返せと仰っているんです。まったく……!」


 このエメラさんもナメられたもんですよと、女亭主は語気荒く煙を吐いた。


 酒の味も、女の味もしらぬイリアであるが、


「そりゃたしかに妙なハナシじゃのう」


 呑気を装って相槌を打ちながら、しかし、彼らの槍や弩弓ボウガン、なにより持ち込んでいる手筒砲のこともある。


 そのうえに、先程の若い憲兵の耳打ち──


 そう、耳打ち……



 なぜか、想いだして顔が熱くなったイリアは目をつぶり、ひげを振って邪念を払い落とすが、


 ──ここはまもなく、危険になる。


 確かにあの時、彼は耳もとでそうささやいた。


 「……危険。とは」


 イリアはつぶやき、ここまでに目にしたかぎりの違和感を、一つ一つと記憶のなか、掘り下げていった。


 ──長槍、ボウガン、そもそも酒場にシラフの憲兵たちがいることも、憲兵隊が壁際で囲むあの濡れた樽も。


「のう、エメラどの。憲兵たちのあの樽、水をはっておるが一体なにがはいっておるのじゃ」


 そもそもあの樽、こうしてよく見てみれば、材質もサイズも店の物とは異なるようだ。


 女は、火伏竜のようにケムリをぼかんと吐いた。


「あの樽、連中の持ち込みですよ」


「持ちこみ? では、憲兵隊が店に運びこんだというのか?」


 エメラはうなずいた。


「勝手に運び入れて、それっきりですよ。アタシだって何がはいっているんだか知りません」


「しかし、……いや、そういえば」


 イリアはヒゲに手指をあてた。


「あんな樽…… どこかで見たような……」


 彼女は腕をくみ、いぶかしげに首をひねり、天井や床をみているが、それもそのはずで、


「……あっ! そういえば!」


 外套のなか、イリアの口からうっかり地声がでた。


「村の入り口ですれちがった荷馬車が、載せていた樽っ!?」


 女亭主は大きな目をさらに剥き上げ、


「──あんた、オンナなのかい!?」


 フードに伸ばした手で内側をめくり、イリアの素顔を覗きこもうとカウンターから身を乗りだし、脚をばためかせているが、イリアのほうはそれどころではない。


「まって! じゃああれは、討伐隊が持ちかえったモノってコトですか!?」


「そりゃそうよ! あの憲兵の御一行さまはケルピー討伐隊ですからね。──って、なんだあんた、めんこい女の子さんじゃないの。何だってつけ髭なんか……」


「独り旅なので、男よけです」


「なるほど」


「イリアです」


「アタシはエメラ。この酒場で主人をやってるわ。しかし、こりゃ一本とられちゃったな。ミルクもうカタチチサービスしなくちゃだわね」


 そう言いながら、乗り出していた体を引いていくエメラだが、まくられたフードをかぶりなおしているイリアは、その中でつけひげを整えながら、至って真面目な顔であって、


「か、カタチチはいいんで、エメラさん、まじめに聴いてください! ひょっとするとだけど、このお店、危ないかもしれないんですよ……!」


 そう聞くとエメラは、眉間に縦ジワをつくり、


「──どういうことだい」


 イリアに顔を寄せた。





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