1-27 鉄と火薬

 タケシは、丘から参道を駆け下るなか、自分の足が、最大速度を超えていることに気がついた。


 やたらと軽い両の足は、まるで空中を飛んでいるようなストライドだが、内実としてそれは地表すれすれを空漕ぎしながら落下していくようなもので、それだけに、とてつもない速さだが、この反りに反った腰をあとすこし綿毛ほどのちからがもし押さば、彼はただ前のめりに転倒してゆくだけだろう。


 かろうじて、そうならないように、足先で、地をほんの一瞬、触れるのが精一杯の彼だが、歯を食いしばり、一直線に坂道を疾り抜けていく彼の速度は、とにかく速い。なにしろ最大速度など、とっくに振りきっているところに、さらに加速はつくものだから、これはもう、ただただ、足が止まらない状況だと言える。




 そんな弾丸のような彼にも、星明かりのなか、激しく振動する坂道のおわりが見えてきた。


 ついでに言えば、その先には、ぬらぬらとした皮膚のきらめく巨大な山椒魚サンショウウオが、重たげに身を横たえている様子が、これもまた激しく上下動しながら見える。



 だが、すでに制御を外れた跳び脚である。無理にとまろうとすれば間違いなく転倒し、そのあとは、あの御神木のような巨大サンショウウオの脇あたりに転げ、きっと、ちょうどいいそのエサだ。


 つまり転べば、それきりだ。




 ──ならば、これだけでも。



 彼は歯をむき食いしばり、如意を抱えた。


 そのまま、下り坂の終わりに背を丸めて首をすくめ、踏み切りのタイミングもなく、あらゆる神頼みと運をかけて、


 ──こんなバケモノが味方なわけがない!


 胸にも腹にも息を詰め、そのまま、行くがままに、体当たりに身を任せた。


 その怪物サンショウウオ、つまり、この世界における川馬ケルピーに肩から突っ込んだ彼は、そのまま胴体の粘液のうえを上空にむけて逆さまに滑り星空へとすっ飛んだ。そして、反対側に落ちてヌメる背中のまま、仰向けに石畳を滑っていく。


 如意も、手を離れ、金属音をたてて彼よりも軽いぶん遠くへと石畳を回転し転げていくが、とうのケルピーは、正面ばかりに気をとられていたのだろう。柔らかな肋部へ受けた思いがけない衝撃に、金属板を引き千切るようなをあげて身をよじり、悶えたが、その隙を逃さずアゴ髭の憲兵隊長は、星空にむけてサーベルを高く掲げ、


「──今だ! 槍隊ランサー! |突撃ッー!」


 その白刃と共に、槍隊が突撃チャージする。


 長槍の縦隊が一斉に、ケルピーの頭頸部に鋭い鉾先を次々に、深々と突き刺ささって骨にあたりゴリ、と手応えがする。


 その頸部くびを、四方から突き刺した槍で固定するように、手筈通りに各人が腰を落とし、体重をかけ、石畳の上でピン留めし、これを死守せんと気を吐く憲兵の槍隊十名が、頭部を四方から刺し押さえるなかでケルピーは、閉じるには強大なそのアゴも開くにひらけず、また首の支点を抑えられては、胴体の強靭な筋肉に依存する太い尾が思うように振り回せず、不満げな鼻先で粘液のを立てた。




 憲兵隊長のあご髭が、足止めならぬ、首止めにしたその脱走使役を見上げ、


「いいぞ! よしハイネス、手筒砲だ!」指示を叫ぶと、


 体格の良い憲兵が、天鵞絨ビロードの布をまくり、中央に穴を穿った八角柱の手筒砲カノンを出し、手もとの撃鉄をおこし、腰だめに構えた、ケルピーの半開いた口に突っ込むように突進した。


 隊長は、


「──槍隊! 持ちあげえいぃっ!!」


 号令し、槍隊十名は腰をさらに落として、槍に突き刺したまま川馬ケルピーの頭部から胸部を、星空へと持ち上げた。


 魔物は、持ちあげられた状態で、宙を掻くが、筋肉の塊といえる太い腰と長い尻尾にくらべて、水かきのついたその小さな手は滑稽なほど貧弱で、


 ハイネスは砲を両手に抱くように、その持ち上がったケルピーの下に身を屈めて飛び込んだ。そして狭いなか肩で皮膚を押し上げて、歯を食いしばり、手持ち大砲の砲口を押し付けて、皮膚の薄い内側に転生者を捜した。


 すると、前肢の中間の、その皮膚の下に、コア化した人体の胴体がもがいて逃れようとする感触がし、彼は咄嗟に片手で、その首を押さえ付けた。


 ──だが、コアは、命乞いをするように彼の腕に手を添え、薄い皮膜の下で、その顔を震わせた。


 ハイネスは、息を飲んだ。



 使役魔獣とは、そういう存在だと、聞いてはいた。


 座学でも学んだ。


 しかし、コアとして魔獣に埋めこまれた転生者ニンゲンを、皮一枚挟んでいるとは言え、触れるのは初めてだった。


 ──彼は、したたる粘液と躊躇に目をそむけ、歯を食いしばり、引き金をひいた。



 落雷ほどの轟音がし、赤い火花と濃い白煙が加速した鉛の砲丸は、ケルピーの胴体の側部をほぼかすめるように貫いて確かにそこを焼きながらに、噴き飛ばしたが、発砲直前に何があったのか、肋部の中央にある転生者、つまりコアが撃ち抜けていないのは明らかであった。


 片方の前肢まえあしは、ちぎれかけ、ぶらぶらと皮一枚で揺れているが、ケルピーは金属質の悲鳴まじりに咆哮し、自ら胴体を傷口から捻じ切らんばかりひねり、その反動で、長い尻尾をひとつ、大木のようにスイングして、石畳のうえを一掃した。



 その勢いは、槍隊十名の、脚や胴体、そして頭部を噴き飛ばしてもまだ余り、巨大な自己の胴体を半回転させてから、やっと、嘘のように止まり、ハイネスはその腹に下敷のまま、すり潰しになったようである。


 物音の消えた石畳を、また思い出したように半回転してケルピーは、左前脚を皮一枚で繋げたまま、広場のうえに再び腹を着け、頭と頸部に刺さったままの槍を振り落とそうというのか胴体をねじって石畳のうえでまた竜巻のように回転し、憲兵を遺体も負傷者もなく弾き飛ばした。


 


 こうなると、頭部を失って、即死できたものは幸いであったのかもしれない。


 その嵐が石畳を転げ回る間、身じろぎもせず伏している一見は無傷の遺骸もあるが、それは青いローブにつつまれた全金甲冑の下で、ろくに形も留めぬ程に損壊しているし、全金属甲冑フルプレートアーマーとはいえ所詮、そこは対人戦闘用の装甲である。使役魔獣を前にしてはガマに潰される羽虫に等しい。


 一命を取り留めた者たちは、それでも腰から下をのきなみ粉砕されており、各々、吹っ飛ばされたさきで散り散りにうめき、喘いでいる。



 逆に、槍ぶすまのような長槍ランスを頭頸部にうけたまま苦悶に暴れていたケルピーは、槍をすべて抜き終えて、気が済んだかのように、巨大なアゴをうっすらとひらいて今は顔じゅうに長槍傷を残したまま、歯のない口で、脱皮したてのやわらかなカニのような彼らを、そのガマグチではさんでまわる。


 憲兵を、み、舌で押しだし、広場を這いずる隻腕のケルピーの様子は、とても捕食行動にはみえない。それはある種の知性を感じさせ、腰をぬかして石畳に尻もちをついたきり、放心していたタケシは、その光景をまえに、いざるように這いずって後退し、手に当たった金属の筒を、如意だと思って反射的に掴むと、それを片手に立ちあがり背中をむけ、目でまだ破壊をまぬがれている家屋を探しながら、とにかく広場の外にむけて駆けだした。


 すすり泣きの広場は背中にあってただ暗く、順にあがっては消える命乞いと、洞窟が悲鳴を咥え込んでいく響きと、その後の静寂があるばかりで、ただ彼は、目を瞑り、心を凍らせ、ふりむくことなく駆けた。


 その足が、石造りの建物にむけて駆けたのは、偶然とも言えるし、あるいは喰われる側の本能だったとも言えるが、タケシは、なかば気を失い、白くなりかけた視界のまま、ともかく、その酒場の外れかけている木戸のなかに頭から駆けこんだ。



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