28

 頭の先からとびこむように、タケシは酒場へと駆けこんだが、灯りの落ちた店内は、星明かりが照らす野外よりも暗い。


 まだ利いてこない夜目に加えて、息を切らしていることもあり、人の気配はするものの、彼は荒い息をつきながら、店の床の砂を撒いた石畳に座りこんだ。


 酒場の外では、青いローブに銀甲冑の憲兵たちが、たった一頭の使役魔獣によって身動きの取れないまま、神の御名を、あるいは妻や子、母の名を叫びながら、ゆっくりと噛み潰されている。


 だが、その光景は、バルディアの戦場における非対称性そのものである。


 使役魔獣の製造技術は、春の国が独占したままである。同盟する夏の国はまだしも、敵対関係にある秋の国と冬の国は、工作で入手した三級品、あるいは紛争で鹵獲した少数を保有するのみに留まっている。


 つまり、春夏の連合に、使役魔獣を持たぬ秋冬の国は、正面から勝負をいどみようがない。それでも生じる国境の衝突では、強大な春夏軍の使役魔獣に、秋冬軍の人兵が多数で挑んでは散華してゆく。この光景は二〇〇〇周期も繰り返されてきたものだ。


 タケシが拾った命は、そうして失われつつあるあの十ばかりの青いローブの男たちあってのものだが、タケシには不思議と罪悪感がない。


 ただ、助かったという安堵があるだけで、この世界に順応してきた自分に気がついたように、彼は弱々しくかぶりをふった。







 戸口から差しこむ星明かりのした、そうして金属の筒を抱いたまま座りこんでいるタケシの頭上に、無精髭の男が顔をだした。



「誰かとおもえば、小僧! おまえか!」


 そう乱暴に彼の背中を叩くのは、


「──お、オヤカタさんですか!」


「おうよ! 見たぞ、使役魔獣に一番槍たあ、大したもんだな!」


 黄ばんだ歯を剥き出しにして頭目は、破顔していたものの、


「見なおしたぜぇ。しかしだな……」首を突きだして、怪訝な顔をした。


「── その腕はなんだ」


「え?」


 タケシは手にしている金属柱をもちかえながら、怪我でもしたかと自分の腕から肩にかけてを手のひらで触れて確認したが、そう言われてみれば、Tシャツは石畳に擦れてすっかり穴だらけになっているし、擦り傷と打ち身も案外とできているもので、あちこち痛みはするが、怪我という怪我もない。


「──なんとも…… ないですけど」


 すると頭目は、彼のだいている誰かの腕を指差した。


「ちがうよ。そいつは誰の腕なんだってきいてんだ」


 タケシは腰をぬかしてそれを放り出し、頭目は腹をかかえて笑った。


 音を立て床に落ちたそれは、全金甲冑フルプレートアーマーから肩ごともげ落ちた誰かの腕だった。


「如意だとおもったんだよおーー!」








 すると、破れ窓のむこうに外を見張っている赤鼻の弓取りアーチャーが、クスリと笑った。


 タケシは床のうえに手をついて身を乗り出し、


「アーチャーさんもご無事でしたか」


「お互いにな。おまえが頭に噛みついたボヤンスキーもあの通り無事だしな」


 彼のその視線のさきには、天井の間際で、戦斧の大男が微笑んでいた。


「よかった! みなさん、ご無事だったんですね!」


「まあな」赤鼻の男は言った。「俺はトズラン。その大きいのはボヤンスキー。そして親方は……」


 すると頭目は、襟元を整えながら立ち位置もキザな斜めにかえて、口ひげの先をつまみ、胸を張り、名乗った。


「──アフセン・ドロンナン三世。いいか小僧……。聞いて驚くな。こう見えて俺たちは、春の国のさる泥棒貴族の生まれよ」


 そう胸をはる頭目だが、


「そうなんですか」


 どれほどの価値がそこにあるのか疑問だが、タケシも、


「──で、オヤブンさん。イリア……じゃなくて、あのマントのおじいさんは、今どこに居るかご存知ありませんか」


 拍子抜けする頭目に赤鼻のトズランも噴きだしているが、寡黙な大男、戦斧のボヤンスキーは、その手のふとい指で、石壁の窓ぎわにある一席をタケシに示した。





 目をむけると、そこには、もフードすらも外している金髪のイリアがいて、


「こんな美少女に、またおじいちゃん呼ばわりとはひどいな、ユー」


 破れた窓の星明かりのなか、彼に微笑んだ。


 タケシは目に涙をためた。彼女は、まったく無傷で、元気そうであって、


「──イリア、よかった!」駆け寄って抱きつかんばかりに腕をひろげるが、案の定、足止めグラッボをくらって頭から床に突っ込んだ。


 そして、汗と涙と砂にまみれた面をあげ、


「──よかったぁ! ほんとに、良かった、無事で」


 顔をクシャクシャにしたが、イリアはにべもなく言う。


「全然よくないわ! エメラさんの店がメチャクチャじゃないの! ちょっとは空気よみなさい!」


「だってもう、おれは本当にイリアのことが、心配で心配で…… あ。そうだ、きみに渡したいものが……」


 そう如意のことをおもいだして、タケシは、自分のからだを手でまさぐってあちこちを探すが、


「──まさかとは思うけど、あれじゃないでしょうね」


 イリアの下三白眼が、戸口に落ちている片腕を見た。


「そう! そうなんだけどちがああああああーーーーーー!」


 そう聞くとやにわに背後バックを獲ってイリアは彼に卍固めをかけた。


「雑魚かーーー!」


「だからあああああああちがうんだおおおおおおおお!ーーーーー」


 どうやら如意を、ケルピーの胴体に弾きとばされた折、広場のどこかに落としたまま置き去りにしたらしい。


「フン。雑魚が」


 ゴミを捨てるように床へ彼を捨て、イリアは、もとの窓辺の椅子に腰をおろし外を見た。


 広場ではケルピーが、息のある数名もとにむけてもがくように這っている。左の前肢を失って、さらにおかは、あの魔獣にとってやりにくい土俵になったものとみえる。最初にこの酒場を襲った時よりも、格段に動きが鈍っている。





 そこにエメラが、ミルクを満たしたジョッキを持ってあらわれ、


「もうストローはいいわね」


 彼女がうなずいて受けとると、エメラはタケシにも同じミルクを別ジョッキで渡した。


「私はエメラ。まったく酷い有様だけど、気にしないで。姪っ子たちもふくめて怪我もなくすんだんだから。この店、もとは要塞なの。なかにいればきっと安心」


「そうなんだ。だから石でできているんだな……」


 タケシは、ミルクを片手に人心地ついたように店内を見渡した。


 切り出した砂岩を曲輪状に並べた壁に窓がいくつかあり、背面は崖なのか戸がふたつあるだけで窓がない。


「裏口をでれば井戸もあるし、籠城にはもってこいよ。もっとも、夜明けまでしのいで陽がのぼれば、あのケルピーも干上がって弱るんじゃないかって」


 そう始め提案したのはイリアだが、エメラは腕を組んで微笑んだ。


「で、あんた、イリアちゃんのなんなさ」


 あけすけなその質問にタケシは、にっこりと笑んで口をひらきかけたが、



「奴隷です」


 そう代わって答えたイリアは、その目の端に、広場でうごくものを見つけたのか立ちあがった。


 窓の外に乗りだして彼女が目をこらすと、その影は、生き残りの憲兵が仲間に肩を貸し、また借りているのか、ふたつ重なって、よろめきながら酒場ここを目指し歩いているように見える。




 


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