1-29 結ばれし者たち

 星明かりの差しこむ戸口から、青いローブの憲兵隊長が肩を借りる若い憲兵の身体ごと、倒れるように店内に転がり込んだ。


 互いの甲冑がぶつかりあう音のなか、彼らは砂の撒かれた石畳のうえに手をつき、身を起こそうとするが、隊長のほうは重症と見えて、ひっくり返ったまま仰向けに喘鳴をし、若い憲兵は、上官であるその隊長のそばにつき急いでその胴を開きかけ、中の様子に、複雑な顔をした。



 女主人のエメラが、綿を差し出したが、静かに首を振り、彼はそれを受け取らなかった。


 だが、暗闇のなか頭目のアルセンの口が、椅子に身を起こしながら薄く開いた。


「──しかし。みごとな、散華じゃねえか。隊長さんよ」







 肩でする息も荒く、あご髭の憲兵隊長は、


「……ぬかせ! 貴様ら、なぜ出てこなかった!」


 怒りに震えるまなこで仰向けのまま、野伏の頭目を睨みつけたが、


「……我らが血路をひらけば、後につづくと申しておったではないか……!」


 彼はそう言いながら石畳に手甲ガントレットを撃ちつけた。




 頭目は首をすくめた。


「そりゃ、おたくらがケルピーの急所を撃ち抜いたら、ってハナシだぜ」


 そう言うと彼は、背嚢ザックのなかから傷薬を取り出し、


「あんちゃんよ」


 隊長のかたわらに控えている若い憲兵にむけ、それをトスをした。


 憲兵がキャッチすると、


「気休めにしてくれ」


 頭目は背を向け、煙り草に火をつけた。


「痛み入る」


 若い憲兵はこうべを垂れた。







 タケシは、そばのイリアにたずねた。


「あのさ、オレ、何がどうなってんだかなんだけど……」


「ああ!? なんでわたしが説明しなくちゃなんないのよ!」



 ──本来の作戦、つまり憲兵隊の目論見はこうであった。


「あの樽の水で、卵のにおいを点々街道落としたことで、川から五里リーグも内陸にケルピーをさそいこんだの」


「なんで……?」


「なんでって…… ケルピーは水陸両性の水棲魔獣だからよ」


 水場のちかくでそれと戦えば、水中へとひきずりこんで彼らには剣歯虎獣サーバルタイガーでもドラゴンでも勝てないだろう。


 だが、一方で水陸両生獣のケルピーの皮膚は、粘膜でできている。


「つまり乾燥に弱く、陸上での戦闘は得意じゃないわけよ」


「だから、炎天下を乾いた砂地を這って歩かせて、逆に憲兵隊はヤツを内陸へ引きこんだってわけか」


「──そう」


 だが、弱らせたところで、あの強さである。






 頭目のアルセンは、ひきずり出してきた椅子へと腰掛け、タケシに謎かけをするように目を細めた。


「そしてここ、石組みの酒場には正面に戸が一つあるだけ。……だとすれば小僧、タマゴのニオイを嗅ぎつけたケルピーは、どうするとおもう」


「とすれば…… 正面口に、ケルピーは顔を突っ込むかな」


「そういうこった。そこを長槍でピン留めし、急所のコア手筒砲カノンで撃ち抜くって作戦さ」



「でも、そうはならなかった…… って、コト?」


「なんでわたしに聞くのよ」


 イリアは面倒臭そうな顔で歯噛みしたが、


「あの川馬ケルピーはね、その作戦通り、この酒場を襲ったのよ。あのタマゴのにおいに釣られてね」


 彼女は奥の壁にみえるたるを親指で示した。


「でもその一度目の襲撃で、この壁はやぶれないとみると広場にひきかえして、野次馬を襲ったの」


 そして、にげていく人たちを追い、宿屋や民家を襲い始めた。


 その音を、あの丘のうえの僧堂でシカルダと聞き、タケシは走りだし、憲兵隊も住民防護のため籠城から広場へと討って出て、あの戦闘になったと言うことか。


 タケシは腕組みをしていたが、「……じゃあ、魔獣のねらいはタマゴなんだな」整理のついたよう言った。



「──いや普通に、もうケルピーへとタマゴを返してみませんか」





 赤鼻は、窓から外を物見したまま、そして頭目は、煙り草を口で噴いて飛ばしそうになりながら、大笑いをした。


「──そ、その発想はなかった、さすがだぜ、小僧」


 彼らは呼吸困難を起こすほどに笑っているし、イリアも顔色をうかがえば、まるでそれが自分の恥のように眉間をつまんで歯噛みしているし、ボヤンスキーすらも戸惑って仕方なさげそうにうなずいている。


「な、なにがおかしいんですか」


 タケシは顔を赤らめたが、繰り返した。


「もう! 意地だか何だか知りませんけど、タマゴを返しましょうよ!」


 周囲の大人たちは、それがバルディアでも正論なだけに、やや耳障りなように顔をしかめている。


「そうすればケルピーは退くかもしれない! それに酒場への一撃のあとに一旦アイツが退いたのだって子どもを返せば害意はないって、そういうメッセージだったのかもしれないでしょ!」


 息巻いて、肩を怒らせているタケシに、頭目は、椅子に背中をもたせかけたまま天井のシミを見上げた目を帽子で隠し、若いな、とばかりに薄ら笑いを浮かべ、


「だそうだぜぇ、どう思う。隊長さんよ」


 その先で、憲兵隊長も、荒い息をしているが、口もとをゆるめたが、


「──断る。……死した部下に面目が立たん」


 一転して、毅然と言った。


「卵は…… 王都へと必ず持ち帰る。……奴は、ここで討ち取る」


 息荒げな、その彼は、タケシの異世界の装束を上から下まで、ねめつけるように見て、


「道理で…… 貴様、転生者か」


 タケシは、憤っている手前、引っ込みがつかないように粋がって言った。


「──そうだけど! でも今ならおれの方が強い、……たぶん」


 隊長は目を閉じ、乾いた笑いをした。


「頼もしいな」


 彼はその仰向けのまま、天井を見あげ、


「しかし。それは、コアとなった転生者への憐れみか……」


 乾きかけた血の滲む口もとに、また新たな血をひとすじ流した。


「……だがな、魔獣と融合した転生者はもう、ヒトじゃない。こちらの論理や道理の通じる相手ではない……」


 相手は腐っても使役魔獣である。手負にした上、討ち漏らせば、この村にどんな狼藉を働くかは見えている。



「じゃあ! なんだって、そもそも村に魔獣なんかを呼び込んだんですか。せめて村の外で戦うとか、人払いでもすれば!」


 隊長のそばで、若い憲兵が口をひらきかけたが、それを止めるように、虫の息とは言え、「責任者は俺だ」と憲兵隊長は仰向けのまま言い、


「昼間の緒戦で…… 前衛を損失したのでな……」


 そう言い終わらないうちに、隊長は喀血してむせこんだ。


 頭目のアルセンが、武人の情けか、


「…… 酒場で、装備と経験を持つ冒険者や馬幇まほうを巻き込もうとした。そういう所だろう。なぁ、隊長さんよ」


 隊長は、口もとの血を拭う余力も尽きたのか、目を閉じて軽くうなずいた。


「──申し訳ないことをした」




 そうつぶやくと、あご髭の根元に血を潤ませた隊長は、自分の重い手甲ガントレットの指を、今際「いまわ」のきわが来たように、胸の前で組んだ。



 頭目のアルセンは、煙の行先を見たまま言った。


「買い被られたもんだぜ」


 隊長は、いよいよ刻がきたように、おおきく一つ、息を吸い込むと、傍の生き残りの憲兵へと、


「……ディンゴ、彼ら勇敢な冒険者に名乗れ」


 もはや、むせることもなく、


「そして…… 指揮を執れ」


 そう命じ、事切れた。




 隊長の目蓋の半眼を、手甲ガントレットの掌で閉じ、若い憲兵は、


「ヴォルフレッド・エルンスト。──だが、今はディンゴでいい」


 つぶやくように言った。



「アルセンだ」


 頭目は、帽子の下で名乗り、尋ねた。


「……あんたのディンゴ卑怯者ってのは、あだ名かね」


 おそらくは、ヴォルフに掛けたものだろう。ディンゴにはの意味がある。


 

「そうだ。……なぜか独り、いつも生き残るのでな」










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