2-25 重力と自由のはざまで

 だが、広場のその惨状は、丘のうえの僧堂の、しかも倉庫の奥まではまだ届いていない。




 シカルダは、となりの衣帯えたい箱をひらき、タケシはランプのひかりを当てながら、金属棒を引き伸ばしたり縮めたりといそがしい。


「しかし……。この如意というのは、どれほどの昔のものなのでしょうか」


 暗黒時代、北バルディア軍がかつてこのイワエドにあった関に置いた砦と補給拠点に縁起をもつこの武教僧堂モナスタリーである。


「そこから考えると、ざっと三千周期まえ、というところでしょうかね」


 文脈からして、その周期なる単位は、最も大きな時間単位だとタケシは察したものの、


「……しかし、シカルダさま、これ、鉄ですよね」


 如意の鏡のような表面がさびておらず、曇りもないことに、彼は違和感を覚える。だがシカルダが答えるように、タケシにも、


「ええ。はがねだと思いますよ」


 手触りや匂い。手のひらから熱をうばい、また空気中へと放熱する熱伝導率の高さを意味する冷たい感触。そして、中子なかご外筒がいとうが内側でこすれあう高い響きからすれば、この如意にょいなる金属柱は、鉄。それも鋼鉄のように感じられる。


 しかし、タケシの頭は混乱した。はがねだとすれば、なおさら不自然だ。


 大小あわせて七八〇本あるその金属シリンダは、一本として酸化、つまり錆びておらず、あたかも今、工場からとどいたばかりの新品のようである。積み山の束も白々と表面を輝やかせているし、タケシがいま手にしている一本も、またやはり新品のようで、中子を引き、また戻しても、潤滑に伸縮し、経年劣化は感じない。


「可能性としては、クロム鍍金メッキかな……」


 だが、メッキを施してあるにしては、如意の表面はどれも日本刀の地金のように白い。おまけに如意を十本ずつ束ねている針金も、錆びついておらず、輝きを保っているところをみると根本的な原因は、材質以外にあると推論せずにはいられない。


 シカルダは、彼のその表情を背中で察したように、ふふ、と笑った。


「錆びておりませんでしょう」


「はい。それが不思議で不思議で…… もう、おれ、吐きそうです」


 その表現に笑いながらシカルダは、


「暗黒時代、使役魔獣の硬い外郭を貫いてコアに打撃をあたえるトドメの武具として使われたと聞きますから、やはりそこは、鋼鉄製でしょう」


 と、ランプのあかりの届かない、むこう側から返事をするものの、その手で桐の衣帯箱のなかを整理しながら探りながら、なぞかけの答え合わせをするような口ぶりで言った。



「それは、時磁力石ぢぢりいしのちからです」


「ぢぢりいし?」


「ええ。魔道具や魔導機械につかわれる石です」




 時磁力石ぢぢりいし。それは冬の国のタリア渓谷で採れる透明な鉱物で、精製し粉末に、あるいは液体に溶かし、もっぱらそれらは聖魔教会の錬金術師アルケミストたちの仕事であるが、


「光魔法や、炎魔法の収束率をたかめる杖の重力レンズに使われたり、千里眼や魔動機械の制御球に使われたりと、古くは盛んに魔道具に用いられていたといいます」


 賢者トキサダの書き記した書物によれば、それは時間が空間とがむすびつき結晶化したものとあり、あるいはシカルダたちの武教では、生きとしいける全ての個の生命いのちと、この宇宙という大いなる生命いのちとをつなぎとめているちから、つまり〝縁起ムスビ〟そのものが結晶化したものととらえると、道着を探しながらシカルダは言うものの、


「とはいえ、私も教義の座学は居眠りをしてすごしましたので、ちゃんと理解をできているとは言えません。腑に落ちぬ説明しかできず、面目ない」


 だが、もし詳細を知りたくば、ミハラの図書館で賢者トキサダの原本にあたられるのがよいでしょう、と言った。


「原本に、ムスビに……」


 いそがしく頭をのなかを動かしても、ニュートン力学でいうところの万有引力か、それとも量子論でいうところの量子のもつれた状態か、そのくらいしか似た概念が思い浮かばないが、いずれにしても、それら粒子の状態が結晶化するとは考えにくい。


「……うーん」


 その様子にシカルダも苦笑して、「おそらく如意にも、なんらかの形で時磁力石ぢぢりいしを詰めてあるのでしょう」と言った。


 タケシは仕方なさそうに頷きながらも「シカルダさまは、なぜ、そうお思いで」と質問をした。


 問われた彼は、


「時磁力石には、鉄や人体など相性のよいものの、腐れやさびを防ぐ働きがあるそうですからね」


 そう答えたが、ついに衣箱のなかに探し物を掘り当てたのか、懐かしい道着の手触りに、「おお」と声をあげ、


「なんとです。ありましたよ」


 シカルダは暗闇のなか、衣のすれる音をたてながら正座の膝先を、タケシのほうに向けた。




「探し物に、さがしあたる。これも〝ムスビ〟のなせること。そして、我々ふたりの出会いも、星々の運行の、そのムスビの振る舞いもと」


 そう微笑むと、


「奇しくも今宵は十五夜。よければタケシさん。あなたも武教僧団の共柄ともがらとなりませんか」


 タケシを誘った。しかし、本人には、その誘いは唐突で、


「──それは、つまり、おれに武僧モンクになれと…… いうコトですか」


 武僧の目が見えていないことも忘れ、タケシは自分の顔を指差し、聞きなおしたが、シカルダは闇のなかから微笑んで、


「出家者は、出家した後の人生において、このバルディアの身分階級の輪のなかから外れた、自由な存在になります」


 そしてそれは転生者にも適応される。そう念を押すように言った。


「さすれば今後、イリアさんと旅をつづけるにしても、あるいは、ここで別れの道を選ぶにしても、あなたは自由の身です」


 タケシは、口をぽかんと開けたままでいたが、


「……つまり、おれに、イリアから逃げろと」


 まるでその発想が無かったように、本当にいま気がついたように、他人事のように彼はそれを口にした。


「いえ。違います。あなたには本来、そうしている自由もあった。ということです」


 シカルダが、そう真剣な表情で言っている以上、


「そうか……」


 思ってもいなかった運命の転換点のうえに、いま自分が今あることを、自覚せざるを得ないタケシは、ランプのあかりの揺らめきを眺めていた。


 


 正座の上に乗せた道着へと、手を置いたままシカルダは、


学侶クレリックであれば、このバルディアでも、もとの世界で学んだことが活かせましょう」





 武教徒の出家には、ふた通りがある。


 ひとつには、教義を研究し回復魔法を研鑽し後世へと教えを伝える、学侶クレリックの道。

 もうひとつには、おのれの五体と武芸を磨き武教の教団と信徒を護る、武僧モンクの道。


 それに、ミハラの四王立図書館に紹介状を書いても良い。


 あるいは、バルディア全土の武教僧院モナスタリーで一宿一飯のほどこしをうけながら旅をしてもいい。


 ともかく、出家をすれば転生者であるというだけで、官憲から理不尽な扱いを受けることはなくなる──



 そう言ってシカルダは、少年のなかで揺れている水面みなものさざなみが、徐々に収まって、そこにふたたびタケシの姿が像をむすぶまで、心を無にして待った。





 だが、タケシは、ぽつりと言った。


「……でもそうだよ。なんでおれ、あいつから、こんなにも離れたくないんだろう」





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