19
シカルダは、歩みなれているのであろう本堂につづく階段をおりて、暗い渡り廊下を杖の音をたてながら進んでいく。
「
彼は、そのまま暗い廊下を杖の音を頼りに進んでいったが、
「おっと。いけない」
ふりかえると、
「もう夜でざいましたね。どうぞ道場のランプを外して手燭になさってください」
見えない目で、そうタケシに笑顔をみせた。
ランプを手にタケシは、盲目の青年武僧シカルダのあとを追って暗い廊下をいくが、しきり首をひねって考えてはみるものの、なぜ目の見えない彼に自分のTシャツが異世界のものであることがわかったのかが、わからない。
おもいきってたずねてみると、シカルダは「匂いですよ」と微笑んだ。
すると暗闇のなか、自分の体臭を嗅いでいるのか鼻で盛んに息を吸いこむ音がきこえだしてシカルダは笑った。
「いやいや、そうではなくて。異世界からきたばかりの方からは、なんともふしぎな芳香がその服よりすることがありましてね」
そう聴けば、タケシにはピンときた。
おそらくはそれは衣服の柔軟剤か、あるいは洗濯洗剤の香りだろう。となるとバルディアでは石油から香料を合成するところまではまだ科学技術が至っていない可能性がある。
とは言え、この世界に化石燃料が存在するかどうかもまだわからないらなと、タケシは心中で納得して、ひとりうなずいた。
「──どうされました?」
「あ、いや。よかったなって思って。じつはオレいま学校が夏休みで、研究室に泊まり込んでいるんです」
研究棟にはシャワーも洗濯機もあるが、三日前より風呂に入った記憶がない。
「あ、いっけね! 洗濯干しっぱなしだ!」
シカルダは歩きながら噴き出した。
「しかし、まるで弟が帰ってきたようですよ。こんなに笑うのも何年ぶりでしょう。──そうでしたか。タケシさんは学生さんでしたか」
「ええ。高専っていうんですけどもね」
高専とは、高等専門学校の略で、中学校卒業後すぐ工業分野か商船分野で専門知識を学びたい生徒のあつまる高等教育機関である。
「おれ、親がいないもんですから、中学でたら寮のある学校に入りたくって」
シカルダはうなずいた。
「お気持ちは分かる気がします」
「ではシカルダさまも……」
「ええ。父がいましたが、戦死をしまして。母も弟がうまれた時に」
「そうでしたか」
「しかし。タケシさんの世界にも
「ぶりん?」
「ええ。われわれ武教団の子ども僧侶、つまり
「そっか。いいなあ。まだシカルダさまには弟さまがいらしゃる」
「そうですね。まぁ生意気で、私に輪をかけてどうしようもないなやつですが。いまは
そう話しながら、杖の反響音に壁とドアとの境目を感じたシカルダは足を止めた。
「さあ。ここです」
そこは本堂と道場のあいだにある大倉庫であった。
タケシはランプを手でたかくかざしたが、シカルダのほうは暗闇のなか、所狭しとならぶ書棚の合間を杖の音を頼りにかわらぬ歩調ですすんでゆく。
その後ろ姿はまるで暗闇の路地をゆく猫のようで、おいてある書の
「あしもとの箱までわかるのですか」
シカルダは、あゆみを止めずに言った。
「ええ。左右の耳で異なる音の遠近を聴いているのですよ。──まこと人の体とは不思議なものです。光をうしなった途端、幼きころ嫌々していた修行ではついぞ果たせなかった課題があっさりと出来るようになりました」
耳や鼻、そして風の流れや温度をかんじる手や顔の皮膚は、かえって物を目で見るしかなかった頃よりも感覚が鋭敏になったと言う。
「
「ふふ。ときどき賢者に戻りますね。タケシさんは」
そうして行き着いた大倉庫の最奥には、また壁一面の書物があった。
床には四つ脚の経櫃のなか朽ちつつある巻物の収まりと、そのまた奥に隠すようにして金属の柱の束が薪の山のようにうずたかく積んである。
それは
「製本された書物は近代のもの。巻物になりますと更に時代が古く、暗黒時代以前のものとなります」シカルダはそれが見えているかのように言った。
「すごいや。じゃあこのなかに、龍哭について書いたものもあるってことですか」
「どうでしょうかね。私も全ては読みきれておりませんので…… しかし龍哭に関しては、ついぞ常用経典にある以上のことはみかけませんでしたな」
「じゃあ。やっぱりミハラの図書館をあたるのが早いか」
するとシカルダは彼を勇気づけるような顔をした。
「それがいいかもしれません。出立のおりにはここをお訪ねください。私が四王立図書館に紹介状をかいておきましょう」
そう言いながら、桐箪笥のまえで膝を折り、引き出しを開けて彼はなかの法衣をあらためた。
「まあ。まずは道着をさがしましょう。とりあえずサイズが合うものがあるとよいのですが……」
タケシもランプを床に置き、彼から畳んだ衣や帯を受け取っては抱いていくが、そのあいだにも彼の目が、どうしても気になる倉庫の奥の筒状をした金属の薪束のような膨大な山積みを見ていると、
「どうされました? なにか奥に気になるものでも?」
皮膚に感じるタケシの顔の熱が、横をむいたままであることに気付いたのであろうシカルダは声をかけたが、
「──はい。シカルダさま、あの巻物の木箱のうしろにある金属の筒、いや、棒のようなものは、なんでしょうか」
そちらをむいたまま言った。
「ああ。あれは
「
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