1-17 武僧の微笑み、少年の悩み
それは、市城都市と書く字のごとく、あの暗黒時代においても商人たちの財力を背景に、たかい城壁と
「また、暗黒時代以前に異世界よりもたらされた学問や工芸、はたまた芸術をよくのこす文化の都でもありましてね」
「──すごいや。まるで想像がつかないけど、ぜったい面白いところだそれ」
武僧も微笑んだ。
「そう。まことにおもしろき街です。── 学術、芸術、歴史、文化、それらのすべてが商人たちの自治のもと、四つの国家からは独立した自由かつ中立の立場でいるところがまた実に意義深い」
そうして武装した永世中立をつらぬく市城都市ミハラには、各国が大使館をおくほか、国際協議の場である四勇者記念会議所と、その付託機関をかねたバルディア中央学院が四つの国の共同出資でおかれている。
「このバルディア中央学院には、それぞれの国で初等教育を修めた王侯貴族の子息が遊学に訪れるのが慣わしでしてね。この節の十の日に、その入学試験が行われるという話なんです」
「……そうか。それが春の国の皇太子が来ている、って話しだったのか」
この武僧、目がきかず、見えこそはしないが、タケシの動揺は脈診にあきらかなのか、
「──お気にされている様子ですね」
そう言うと、見えない目を細め、
「さて。おわりましたよ」
彼の右腕を、そっと手放した。
タケシは、その右手をさすり、揉んで、五指を開いてから握りこんだ。
「すげ…… すっかりなおってら」
武僧は、見えないその目で微笑んで、杖をとった。
「しかし油断は禁物です。明日までは様子をみてくださいね」
そう言いながら板の間に立ちあがり、
「──ですが、私の手が遅いものですから、せっかくの宿の夕食をさましてしまいました。せめて熱い茶をいれて参りましょう」
タケシはかぶりをふった。
「いや、そんなことないです。魔法ってすごいですよ。正直驚いてばかりです」
それはタケシの本心だったが、武僧は、謙遜ではなく心底から恥いるように頭を掻き、
「いやいや。武林では武術にかまけ、治療のほうは居眠りしておりましたので、今もこうして手の遅いままで。檀家さんにご迷惑をかけております」
そう言いながら盲目の武僧は、渡り廊下へと足をむけたが、タケシはあわてて膳から二枚の小銀貨を掴むと腰を上げて、彼の手に握らせた。
「おお、なんと。助かります。しかも忘れっぽくて私はいけません」
細い目で微笑んで、ふたたび本堂につながる渡り廊下へと足をむけた彼の背中に、タケシは、
「あのう!」
と、思い詰めていた気持ちを投げかけるように、よびとめた。
「── いや、その、
「ええ。道場こそ畳みましたが、
だがタケシは、まだもじもじと両手の指先をこねている。
「おれの生まれた国だと、お坊さんは悩み事を聴いてくれたり、相談にのってくれたりするものなんですが、その…… この国でもおなじなのかなっておもいまして……」
すると、
「そうですか。坊主はどこの国でも。おなじような仕事をするものですね」
そう彼は微笑んで、もう何もかも全てを見透かしているような物言いだったが、それでもなおタケシは、まだ尻込みをしている。
「でも…… この世界のおかねを…… もってないんです、おれ……」
それ自体がもう告白である。その少年の様子に、武僧は吹き出して、
「では、あの
そういえば、道場の板張りのうえで、宿の亭主の孫と娘がもってきた膳の一人前が、冷えきっている。
「シカルダと申します。御前試合で目をやってからは。
「おれはタケシです、さあ、これを」
彼はシカルダの手をとって、丸パンに挟んだミートパテを持たせた。そして自分は木椀のシチューに匙を入れ、
「──。」
が、どこから話したらよいものか、あるいはどこまで話して良いものか。そもそも自分の正体を伝えないまま、教えて欲しいものをどう伝えたら良いものか。その冷めたブラウンマッシュのシチューをかきまぜつづけた。
しかし、はたと気がついた事実に、タケシは口をひらいた。
「ん、そういえば! この世界のお坊さんって、お肉をたべて良いんですか……」
シカルダは、たまらず噴きだした。
「いやはや、そちらの世界の坊主は真面目なのでしょうな」
隠しだてはもう無用とばかりに、ふたりはひとしきり腹を抱えて笑い合った。
そして、むかいあわせに座る板の間の中央に、熱い茶をいれた茶碗をひとつ置き、たちのぼる香気をはさみ、交互にそれを酌み交わし、
「もうお気づきのことでしょうが、── おれ、異世界から来たんです」
タケシがそうきりだしたことに、シカルダは細い目でうなずいて、それ以上を問いたださなかった。
「では、お話しというのも?」
「はい。もとの世界にもどる方法を、ご存じないものかと」
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