16

 夜祭のような広場のにぎわいも、森の参道をあがった丘にある、この武僧堂モナスタリーまではとどかない。


「──ほんとだ! 全然いたくない! イリアのプロレス治療とは大違いじゃん!」


 板張りの道場のなかで、右腕を剃髪した武僧モンクの青年にあずけたままタケシはきつく閉じていた目を、感動したようにひらいた。


 武僧の彼は、微笑むと、


「それはなによりです」


 と、傷口にかざしている手のひらからの解毒魔法を、つよめていく。


 すると、武僧の彼が赤子のように抱くタケシの右腕が、創部きずを中心に、青白らんだひかりを帯びはじめ、みるまにあかるさを増したそれが、道場の羽目板や天井の木目を水色のひかりでみたした。







 水族館にいるような清涼なひかりのなかで、タケシは子どものようにこの回復魔法へとみとれているが、イリアは、宿から運んでもらった膳に匙をおき、


「しかし。あの亭主が御坊おんぼうの檀家でよかった。こんな夜中です。聖教会であれば断られていたかもしれません」


 武僧堂モナスタリーの青年僧にイリアは、そう礼を述べると、緋色の道着を身につけている彼は、ちいさく微笑んでかぶりをふった。


「なんの。それよりも応急処置が早かったからでしょう。歯牙の毒も、これならあとびきしますまい」


 そう目を細めて言う武僧の青年が、剃りあげている額へと汗の粒をにじませている様子に、タケシは、


「すみません、おれなんかのために」


 身を縮めて恐縮したが、眼の見えないその武僧は細い目をさらにほそめて言った。


「いえ。毒と戦い治ろうとしているのは、ほかの誰でもないあなたですから」


 そう聴くと、タケシは、ふしぎそうな顔をした。


「──おれが、治そうとしている?」


「ええ。私も、そして解毒魔法も、ただ御身のお手伝いをしているだけです」


「そうなんだ……。おれはてっきり魔法のちからが毒を消すんだとばかり……」


 青年はうなずいた。


「まことに人のからだはたえなるもの。こころでは死を望んでおいででも、爪や髪はあすのため伸びつづけ心の臓も鳴りやみませぬ」


 タケシは、治癒のひかりに照らされながら、そしておなじように青く揺れているこの青年僧の表情を間近に、なにかを感じたように唇をむすぶ。


「この光も魔法ではなく、あなたのひかり。傷もこうして毒とたたかっております」


 そばにイリアがいなければ、彼はまた涙をこぼしていたかもしれない。


 





 その彼を横目にイリアは、丸パンを口にくわえ、カバンを肩にすると、立ちあがった。


「ひかし、なにがフロレス療よ、感謝ひなはいよ。まったく」


 そして彼女は自分の外套を羽織り、膳のうえに銀貨を二枚、軽く音をたてて置き、口の中のものをのみこんで、その盲目の武僧へと聴こえるよう言った。


「包みもせずに失礼ですが、小銀貨二枚でたりますでしょうか」


 すると彼はイリアの声のするほうへと微笑みを向けた。


「ええ。治療代には余るくらいです」


「よかった。では釣りは灯明代に。── 私はちょっと出てまいります」


「どこいくのさ」タケシは腕を預けたまま言った。


「三悪党を探してくる。おそらく連中も今夜はこの村に足留めのはずだ」


さんあくとう三悪党、って…… 昼間おれを誘拐しようとしたあの親分たちか。そりゃまだ居るかもしれないけど、またなんで」


 イリアは、ブーツの編み上げ紐をきつくしながら言った。


「使役魔獣の脱走ケルピーを狩るのよ」


 タケシは不思議そうな顔をした。たしか彼女は橋をわたらず、迂回して下流域から市城都市ミハラをめざすと宿の主人と話していたはずだ。


「ケルピーをさけて西に迂回をするんじゃなかったか? 明日から下流にむかって……」


 だが彼女は、編みあげた紐を蝶結びにまとめ、その左右の輪をそろえながら、チラとタケシを見た。


「西の街道にまわれば、ミハラまで五日かかる。十の日までに間にあわない」


 青年の武僧も、彼女のほうをむいた。


「間にあわぬと仰いますれば、ではイリアさまもバルディア中央学院を……?」


 すると彼女は、その横顔から表情を棄て、


「──いえ。春の国の皇太子が滞在中だとかで」


「では行列の見物でございますか」


「まぁ そんなところです。ミーハーなものでして」


 そう言いながらも目は冷たく、わらっていない。


 武僧には、見えていないのであろうがタケシには明らかだった。様子がおかしい。


 そのタケシの目を拒絶するように、イリアは、


「では私はここで。この奴隷も一人で宿まで帰れますので、どうぞお構いなく」


 と、道場の門をあけ、去り際にいちど振りかえり、胸下に左手を置いてこうべをたれた。







 その戸が、閉まるまでのあいだ村の広場の喧騒が、この丘のうえの道場のなかにもきこえていたが、タケシは、右腕を預けたまま言った。


「しかし賑やかですね。この村は、いつもこんなお祭り騒ぎなんですか」


 参道に入る折、村の広場では、博打に興じる男たちの歓声や駆けまわる子どもたちの声がしていた。武僧は言う。


「いや。珍しいことです。村としては潤って助かりますが」


 サモエド峠の森と、ユラの川にはさまれたこのイワエドの村は、秋と夏の国境に位置する交通の要衝として、暗黒時代のそれ以前、古代バルディアの頃さかえた。


「しかし今ではその位置を、市城都市ミハラにとってかわられましてね」


 毒素はあらかた傷のうち側からきえたが、それを産み出す菌はまだ死滅していなない。あともうひと息というところだが、青年武僧は額に汗しながら瘡部きずへの手かざしを続ける。


「──その、ミハラっていうのは、そんなに大きな町なのですか」


「ええ。バルディア大陸の東西南北から中央に向かってのびる四つの街道の中央に位置する、重要な交易都市です」




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