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「え! 部屋がもうない!?」


 イリアが信じられないような顔で声をあげたが、木戸からもっとも近い宿でこうなのだから、亭主の言うことは本当であろう。


「このイワエドのさきに、ユラという大河があるのですが、その大橋に川馬ケルピーが棲みつきましてな」


 宿の亭主は、さも困り事が自分ごとのように、白髪の混じった眉毛をさげた。


「道行く人を威嚇し、まるで通そうとしないのでございますよ」


「まいったな」イリアは顔をしかめた。


「それで旅人もキャラバンも、この村で足どめを喰っているわけか」


 広場がお祭り騒ぎが、ここまで届いている様子に彼女は目をやった。


「はい。もうひと節ばかりになります。足留めの客めあてに香具師や流しの遊び女、はては大道芸人まで連日ああしておりましてな」


 もっとも、彼らもミハラをめざしサモエドの山をこえてきた者たちである。


「足止めついでに小銭を稼ぐ魂胆ね」


「ええ。全く。たくましいもので」


 人溜まりさえあれば、そこが彼らの田地となる。それに交通と政治経済の要衝である市城都市ミハラよりは明らかに官憲の監視がゆるく、所場代もないに等しいこの辺境の宿場村であるから、単に足留めに倦んでいるだけで、その気になれば西に迂回すればいいだけの旅人相手のほうが気楽な商売ができるに違いない。






「そんなわけでございましてな。おそらくはこの村の、どの宿も、うちに同じく満室ではないかと……」


 亭主は、同情する目でイリアをみているが、そうしながらも、チラチラと、タケシのフードのなかをうかがってはいる。


 イリアはその目に言った。


「これは小間使いでな。まあ奴隷なんだが。よければここで薪割りもさせよう」


 それで相談なのだがな、と、イリアは、


「軒先で構わない。明日まで貸してもらえないだろうか。もちろん正規の宿賃ははらう」


 なにせここまでの七つ日を、野宿のまま来たイリアである。湯浴みはしたいところであろう。


 すると亭主はうなずいて、宿帳をひらき、ペンとインク壺を差し出した


「ようございますよ。ちなみに、お客様はどちらまで」


市場いちばに用があってな。ミハラにな」


 そう言いながら彼女は筆記体で、〝冬の国の冒険者イリア・ミリアスと〟と、流麗に記入しながら、


「しかし、水辺に水獣など、特段めずらしくもないような気もするが」そう言った。


 だいたいからしてケルピーは、魔獣とは言え穏やかな生物である。むしろ臆病といってもいいほどで、人通りの多い橋に巣をなしたうえに、人を威嚇して渡さないなど、妙な話である。


 その点、亭主も同感のようで、記入済みの宿帳を受けとり言った。


 水魔である川馬ケルピーは、ふだんは深山の泉や清流にひっそりと棲んでおり、繁殖期にはで餌の豊富な下流域へ降りて来ることもあるが、その場合、彼らはひとけのない場所を選んで慎ましく営巣をする。


魔獣が、サモエドの森からつがいで降りてきて、ユラの漁民を困らすことなどは、これまでも、ままあることでしたがね……」


 そう聞くと、イリアも心当たりのように、眉をあげた。


「まさかそのケルピー、使魔獣か」


 困ったように眉合いを寄せ、亭主も、その目にうなずいた。







 

 文字どおり、おしだまってここまで来たタケシだが、なぜか日本語のまま会話の通じるこの異世界に、転生してまだ半日ほどではあるものの、聞き慣れない言葉には、やはりうずうずと反応してしまうようで、


「ね、イリア……」


 フードのなか、伏せ目がちに、その〝使役魔獣しえきまじゅう〟なる言葉には、なぜだか心を針で刺すような痛みを感じ、なんだかわからないが、嫌な響きがするそこに、声をひそめ、彼女の耳もとに囁いた。



「──ね、なにその〝使役魔獣〟って何さ」


 すると彼女は、その顔を押しのけて、しっ、と自分の口に指を立て、


「ご亭主。その使役魔だけど。まさか、海軍から逃げたってコトはないわよね」


 だとすれば、一大事である。


 野生魔獣とは異なり使役魔獣の心臓部には意思疎通と知能向上のため転生者を〝コアとして移植し融合させてある。しかも軍用となると、水中および水上活動に加えて短時間なら陸でも行動が可能な地球世界における両生類にちかい生態をもった魔獣。武装した水陸両用車のようなものである。


 初老の亭主は、困り眉でうなずいた。


「まさにそこでございましてな」


 先の節、秋の国の艦艇が夏の国の海軍と、ユラの河口にあるニエの軍港近くで小競り合いをしたらしい。


「そのなか馭者ぎょしゃを討たれたケルピーが、一頭、どうもにげておったようでございます」



 タケシがしつこく、イリアの袖をひっぱった。


「なぁ今度もさ、ギョシャって何?」


「んもう! 家畜や使役魔獣の主人のこと!」


 亭主は微笑ましそうに、主従というよりも、姉弟のようなやりとりに目を細めている。


「その脱走使役獣のケルピーが、どこをどう上がってきたものかサモエドの森にまで遡上し、野生のメスをめとったものとおもわれます。この節に、ふたたびユラを下降し、よりによって大橋に巣をしたという訳で」


 イリアは腕組みをした。


「どう考えても、野生にはありえない習性ね……」静かな湿地帯はいくらでも上流にあろう。


「おそらくは、〝コア〟の前世記憶がそうさせたのでしょうな」亭主は言った。



 野生魔獣の脳神経回路に、転生者の脳神経をはさみこんだうえで、そのふたつの脳の主従関係を均質化させるのが使役魔獣化の要点なのだが、転生者の基質的うまれながらな性分や生育履歴により後天的に習得した行動パターンは、魔獣のなかの単なる副脳となってもその使役魔獣の個性へと反映する。



コアの記憶か。──橋や人通りに関心のある人だったのかな」


 イリアは推理し、顔をしかめたが、しかし、思いついたように顔をあげ、亭主に言った。


「でも。それじゃ海軍から討伐隊が出るんじゃない?」









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