5

 歯を食いしばり、あぶら汗をながしながらさんざん悶え苦しんだ後である。地面に倒れたままでいるタケシは、こころなしか手当てを受けるまえよりも、やつれている。


 だが反対にイリアのほうは、すこぶる上機嫌であって、それは彼女の路銀が乏しくなりかけていたためである。


 彼女は、肩掛けバッグに、軟膏の合わせ貝をしまい、


「ユー、運がよかったじゃないか。サーバルが見つけたとき下手に意識があって抵抗していたら奴のことだ。喉ぶえをきりさくか、締めていたはずだ」


 そう言うと、


「──これで準備よしと。そっちはどうだ、行けるか?」


 封したバッグをたたいて確認をしている。








 タケシは、道に横になったまま、


「……いくって。どこにだよ」


 すねたように背中をまるめているが、イリアはのヒモを両耳にひっかけて、


「このさきの村だ。このエド穢土の山を管理する、イワエドっていう村」


 言いながら外套マントを羽織り、小男の変装へともどった。


 口をとがらせて不満げな彼だが、内心は心細い気持ちでもある様子で、すっかり支度を整えた彼女を地面から見あげて、「ムラって…… なんで」と聞いた。


 イリアは、豊かな金髪を後ろで束ねて、外套のフードにそれをおさめながら答えた。


「なぜって……。村なら教会がある。そして解毒のできる武僧モンク修道僧クレリックがいる。晩までになんとかしないとユー、ほんとにその右腕、腐るよ」


「ふうん」噛み跡の痛々しい右腕をつかんでながめながら、タケシは言った。「でもさ、この世界のお坊さんは無料で毒を消してくれるもんなの?」


「そりゃ、タダってわけにはいかないよね。失礼だもん」


「じゃあ俺むりじゃん! PASMOしかもってねえし!」


「ぱすも?」


「おれの世界の金! こっちじゃ…… ちがうんだろ」


「まあ違うね。でも異世界の金属コインはこっちじゃたかく売れるし。村で売ればいいんじゃない」


 そう言う彼女に、タケシは寝っ転がったまま、


「おれ、現金持ってねえの。だからコレだけさ」


 尻のポケットから、パスケースを出して見せた。


 イリアは背中から駆け寄り、奪いとるようにしてそのパスケースを、手にした。


「なにこれ! これが、まさか お金なの!?」


「そうだよ。正確にはデータで、はいってる」


「こんな薄いなかに、コインがか……」


 彼女は、カードのしたに手のひらを添えて、そっとひっくり返して様子をみたが、中身が容易に落ちぬものと見るや、振って、曲げて、噛んで、一心にしごき、思いつくひと通りはしてみた様子で、


「タケシ……」


 世界が終わるような顔をした。


が、でてこない」




 すると、タケシは初めて勝てたように気色ばんだが、


「イリア、もしかして、カードはじめて?」


「……いや、ぷらっちっくは、しってるぞ」


 つけひげのまま執念する、異世界の美少女に、しだいに頬をゆるめた。


「なんだよ、つまんねえ異世界だな」


 そう言いながらも彼の目は、妹を見るように優しい。


 イリアは、今度はPASMOから振り出す作戦なのか、肘にスナップをつけ、でーたでを振りだそうとしている。


「しかし、タケシは、エンダマとか、知らないのか?」


円玉えんだま? ああ。硬貨か……。つまりええと、コイン?」


 イリアは、子どものような目でうなずきながら、カードを振っている。イチノエンダマが好きだそうだ。


「あれば、くれ」


「そうか。んー……。ガキんのころはつかったかな。コンビニでお菓子かったり……」


「年齢でかわるのか。残念だな。 はー! しかし頑固な板だな! イチのエンダマがあれば大の金貨と等枚なのに……」


 彼女はそう言いながら、くたびれた顔で、パスケースにカードをさしこんで戻したが、道に寝転がったままでいる彼がまた、ゆっくりと背中をまるめていくその様子を不自然なもののように感じたらしく、顔付きを変えた。


 タケシの肩が、小さく震えている。息も苦しそうである。


「おまえ! まさか……!」


 彼の右腕をとって、傷口をまず確かめたのは、敗血症をおそれてのことだったのだろうが、あおむけのままのタケシが、そのイリアから顔をそむけて反対を向いているのは、


「ちげえよ」


 彼女が手を離すと、目元を拭うためだった。


 マントを敷物に、その背中へと座り込んだイリアは、パスケースを自分の膝のうえに置いた。


「──泣いてなんかいねえ」








 バルディアの通貨はギルダンと言う。大中小の三種の金貨と銀貨に銅貨が、春夏秋冬の四つの国に共通で流通しているが、まだ郊外では物々交換もよくみられる。


 その当時、中有の国バルディアには異世界転生の概念を物語を通して知っている転生者が増えていた。そしてこの時のタケシも、そのひとりだったわけだが、当事者になってみないとわからないのが、不幸の味の苦味というものである。


 




「大丈夫か」


「……全然」


 そう言いながらタケシは、ハナをすすった。


「うそつかなくていいんだぞ」


 イリアはバッグからハンカチをだし、道で丸まっている肩のうえにおいた。


 しばらくそうして、彼はハンカチを乗せたままでいたが、落ち着いてきたのか鼻をひとつ大きくすすり、


「おれ。ともだちってやつもさ。そんなにいないからさ」


 と、肩のハンカチを手にし、涙まじりの鼻をかんだ。





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