6
涙をふき、顔では笑いながらも咳きこみ、肩を震わせている。
背中を向けたままだが、どう考えても、そんなタケシは泣いている。
「……いや、中学まで野球やってたんだけど、おれ高専いっちゃったからさ」
そう言いながらも、顔をくしゃくしゃにして彼は歯を食いしばり、抱えた膝のなかに顔をうずめた。
「でもなんでだろう。帰れないかもしれないと思うと、やっぱ悲しくなるもんだな」
ヤキュウもコウセンもわからないが、イリアの眉尻はさがった。
「──そうか。帰りたいんだな」
「イリア……。この世界には、おれのほかにも転生者はいるのかい」
背中越しである。彼女は、うん。と声をだしてうなずいた。
「何人もかい」
「ああ。年に百回はある」
タケシは、おもわず顔をあげた。そして腫れた目をぬぐい、ふりむいて言った。
「そんなにもか。じゃあ…… そいつらって、もとの世界に帰れたりしてる?」
イリアは、彼の目をみていたが、そうしていることがつらくなったように視線をそらした。
「……そうか。帰れないんだな」
タケシは、異世界の空をみあげた。
「もうジャンプも読めないのか。──あでも、さみしいのがそれだけっておれ、めっちゃいまさみしくないか」
と、鼻をすすった。
イリアがたずねた。
「家族はいるのか」
タケシは微笑んだまま、かぶりをふった。
「じゃあ私とおなじだな」
そう言う彼女に横目をあわせ、タケシは口角をあげて言った。
「でもなぁ。ラーメンが食べらんないのも、ハッピー⭐︎三国志の実写みてないのもあるしな……。なんか。けっこうやり残しって、あるもんだな」
するとイリアは、彼に微笑んだ。
「ラーメンはあるぞ」
「あるんだ!」
「スパロニっていう似たのがな」
「まじか、よおーし! なんかヤル気でてきた!」
しかし、再び目をそらした彼女が、パスケースを自分の物のようにバッグにしまいこみながら、
「でも、たましいだけになったら帰れるって母さんは言ってた」
そう独り言のように言うと、タケシは、その意味するところを連想した。
「……そうなのか」
だがイリアは首をふった。
「実際のところはわからないぞ。母がそう言ってただけだからな。早まらないほうがいい」
タケシも、目をとじて微笑み、その顔をあげる。
「でも、良いことを聞いたよ。そんなにもあっちから転生者があるんだったら、千葉の県人会とかこっちにできてそうじゃん」
そう言って、歯をみせてからハンカチで、大きく鼻をかみ、
「イリアはさ。旅をしているって言ってたよね」
身支度をしている彼女にたずねた。
「うん。わたしは春の国をめざしている。海をわたって、砂漠をこえて。南のはてにある国だ」
彼女は
「女の子なのに、そいつはすごいな。その春の国ってのは何年もかかるのかい」
「千
タケシは、その意味がわからないようで、首をひねった。
「なんで縮むのさ。ながびくのはわかるけど……」
「は? だって、どっかでうまいこと戦争があれば傭兵になって、船や馬車で運んでもらえるかもしれないじゃないか。へんなこと言うな、タケシは」
屈託なく、そんなことが、あたりまえなように可笑しそうに笑うこの少女が、なんだか切ないもののように見えてきて、タケシは、たのしそうな彼女に違う話題をふった。
「なぁ、イリア。その春の国だけど、目的はあるの」
すると彼女は、表情筋から、ちからをぬいた。
「あるよ」
知り合ってまだ間もない彼女だが、それは初めてみる心のない横顔だった。
赤みがかった金の髪と、青い目をしている彼女は、あくまでタケシの生まれ育った世界のある時代における基準でしかないが、相当な美貌である。それもあいまって、今の彼女の冷えた表情は、ひとふりの冴えた刃にしかみえない。
タケシは、その美しさに息をのんだ。そして言葉に詰まったが、
「そっか。わかった。でもまぁ、もし話したくなったらその時には俺にも話してくれよな」
そう月並みなことを言ってはみたものの、イリアは芳しくない顔で首をかしげ、たちあがり、イワエドのほうを向いてつぶやいた。
「それは。ないかな」
そして尻についた砂を落とした。
「じゃ行くぞ。さっさと立てタケシ」
「なんで?!」タケシは、地面に諸手をついて追いすがるように言うが、イリアはそれを見おろしながら、
「だって。ユー、旅しないじゃん。わたしと」
そう口にしながらイリアはバッグを肩にかけ、
「とにかく行くぞ。ついてこい。日が暮れる」
イワエドの村にむけて歩きはじめる。
タケシは立ちあがった。
「なんでだよ! ついてこいとか、でも旅は一緒しないとか、訳わかんねぇし、だいたいイリアさぁ、異世界って、この流れだと一緒に旅するやつじゃん!」
しかし彼女は笑って、振り向きもせずに言う。
「いやいや、ふつうにないから。奴隷と旅とか」
「おま、ドレイって? 俺のことか!」
だが、実際その時のイリアには、おそらく全く悪気はなかったと思う。純粋に彼女は転生者を高値で売りたかっただけなのだ。
「だって、ぶん獲ったのはわたし。だから、わたしのもん。ユーは」
「あらまあ!そうなの! こえー、こええええーーーっつ、こわすぎんだろ! すうっげーこえーよ異世界!」
「それにユー、お金ないでしょ」
「そらまあ。ですけども……」
「だから私が一緒にイワエドの村にいって、治療を頼んで、お布施はわたしが払うって言ってんだけど、どこに不服が?」
ないけどさ……。と、タケシは足もとの石を蹴り、彼女の一歩あとを歩みながら、ちいさく毒づいた。
「……なんか、ちげーんだよな。リアルの異世界って」
手をうしろにくんで歩いた。
「マジろまんない。ガール鬼畜だし」
「なんか言った?」
「なんでもねぇっすよ」
だが、崖際をゆく二人の背後には、道幅におさまりきらない巨大な影がさしていた。
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