7

 木立ちの森をあとにして、ふたりは崖ぞいの峠道にさしかかっていた。


 歩きながらタケシが谷の崖下をのぞきこむと、遠い谷底には小川のきらめきが小さく見えた。


 目がくらみ、街道の崖側へとまわる彼にイリアは、


「ばかだねぇ。こわいなら覗かなきゃいいのに」


 と、かなたの山なみを眺めながら崖のふちを悠々と歩いてみせる。


「みてごらん。絶景だよ」


 このオトウミの峠をこえれば、あとは下り道である。






 転生したそばから奴隷呼ばわりされている少年と、その主人だと言いはる旅の少女であるが、ふたりはまだ出会ったばかりである。並んで歩きながら、おたがいの素性を横目で探りあっているふしが大いにある。


 タケシのほうは、旅するイリアのその軽装さが、気になっているし、彼女のほうは、フードのなかで気づかれぬよう横目で、彼の黒いTシャツの胸にある禍々しいロゴが気になるのか時折うかがっている。




 そうしてできた会話の間に、ならんで歩きながらふたりは、どちらからとなく同時に、「あのさ」と声をかけた。


 だがイリアは、「……なに。そっちから言ってよ」と、外套マントのフードのなかに視線を隠す。


「じゃあ……」と、タケシがせきばらいをした。


「なんていうか。イリアきみ、装備すくなくない?」


 すると、前を見たまま目を合わさずに歩く彼女は、「魔道士だからね。武器を持ってても重たいだけでしょ」さもそれが常識なように言った。


 タケシは、「そ、そんなものなのか」と呟くが、


「防具は?」


 と、まだ気になることは多いようで、イリアは面倒なように眉間に皺を寄せた。


「なんで旅に防具が必要なのよ。甲冑なんか着てたら重たいだけでしょ」

 

「なるほどな。リアルはそんなもんか。──でも魔術…… いや、魔道士まどうしか。杖も無しかい?」


 杖? ……と怪訝な顔をしてイリアは、くやしそうに口を尖らせる。


「あんなものは飾りよ。年寄りの真似してさ、みんなハクをつけたいだけ。──まぁ。お金があれば私だって買ってるけどさ。収束率も上がるし」


「……めっちゃ欲しがってる」


 そうつぶやきながら、彼が右手に目をやれば、彼女が噴き飛ばしたばかりの山の頂が、そこだけ新しげな岩肌を剥き出しにしている。


「…… まぁ、あんな派手な魔法がつかえりゃ、たしかに武器もいらねえか」


 裾野の森も、土をかぶって災害レベルで変色している。「いつもの採石場みたいになってるし」と、彼はつぶやきながら歩いた。



 すると、「私も聞いていいか」と、イリアが聞いた。


「いいよ。なんだい」


「──いつもの採石場ってなに」


「おー。そこか。それはな、おれの国じゃ毎週日曜に……」


 ……と、言いながら、彼はイリアを見て、


「いや。それ、さっきしようとしてた質問と違うくね?」


 怪訝な顔で、彼女をフードを横から覗くが、


「なんでよ」逃げるようにフードをかぶった彼女に、タケシはにんまりと笑った。


「だってさっきからイリア、ちらちらとオレのシャツみてたじゃんよ」


 そう胸を張ってあるく彼の黒いTシャツの中央には、メタリカのロゴが入っている。そこを摘み、タケシは、


「ふふふ。かわいいとこあんじゃんよ。なにが聞きたいんだ? ……そうかおまえオレの世界に興味があるんだな? いいんだぜぇ? なんでも聞いていいんだぜぇ?」


 面白がって周囲をまわりながら、彼女をからかうタケシだったが、そのときイリアが聞こうとしていたのは、おそらく彼女自身の出自に関係する話だった。



「うるさいな。なんかムカつくからきかない」


 しかも、嫌なことでも思いだしたのか彼女は、苛立ったように足を止めて言った。


「……とにかくね、あまり異世界人は目立たないほうがいいよって話よ」


 しかしタケシはからかうのをやめない。


「さいあく捕まって死ぬよ? マジで。……まったくなんなの、ばかなのガキなの、アンタいくつよ?」


「16だよー」


 そう答えながら、ちょうど良いながさの棒切れを拾いあげ、振り回して歩く彼に、イリアは、口に手をあて、良くない顔で笑った。


「ちっさ」


「なんだよ! そっちだってそんなに歳かわんないだろ! そんな顔でわらうなァ! 気にしてんだぞこれでも!」


「ざんねん。わたし14」


「歳下じゃねーか!」


「17と14でならんで同じ背なんて、おかしーじゃん! ちんちくりんのくせにえらそー」


「ちんちくりん言うなあ!」







 そう言いながらイリアを振りむいたタケシの顔に、厚い雨がかかるような影がさした。



「?」


 イリアも影のなかで、笑顔のまま見あげると、そこには、なにやら薄よごれた毛皮の壁のようなものがあり、さらにみあげると、その頂上で、ながい牙が二本、閉じた口から余ってとびだしている。


剣歯虎さ、さ、さー……」


 反転して、その影に彼女は、正面をむけ、冷や汗に笑顔をうかべて、「いいタケシ? 背中、みせちゃだめよ、後ろ向きにこのままだよ、ゆっくりだよォ……バックするよォ……」


 二人ならんで、あとずさりしながら、彼も、トレーラーの運転席ほどのたかさを見あげるように剣歯虎の両眼を見すえながら、笑顔で、


「ねえイリアさ、あのさっきの魔法さ、つかおうよ……」


 しかし、彼女は「あー。そうね、でもアレいま使えないんだ……」


「え、なんで」


「……でね、わたしが、三つかぞえたら、反転してダッシュだよ……! それまでは一緒にサーバルの目を見ててね、いいね……?」


 そう言いながら、巨大な四つ足の魔獣に、ともかくふたりならんで、ジリジリと後ずさりをし、彼もうなずいてはいるのだが、


「いや、でもちょっとまって…… 3・2・1の、で逃げるのか、3・2・1・で逃げるのか、どっち?……」


 しかし、彼女がいるはずの隣からは、返事がかえってこない。


「ねえって……! イリア……!」彼は横を見たが、そこには誰もいない。


 イワエド方面をふりかえると、イリアのマントが逃げて行くのが見えた。


「……え?」



 タケシの目が、目前の獣と、かなたの彼女を交互する。


「ちょ、え、えっーーー!!?」





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